第2話
尋常ではない衝撃に大半が両肩を跳ね上がらせる。地面の傾きを感じた頃には亀の居座る水槽や机に置いた教科書や水筒が倒れ、上がった悲鳴が鈍い叫声に変わる。恰好付けていた男女の脚が逆様となり自然に抗えない無邪気な昔に回帰する。隣の女だけが危機感無く起立して崩れゆく世界に微笑んでいた。
…………取り戻した視界には一面廃墟となった学び舎が映った。伝統という名の老朽化を象徴するように体育館以外の校舎は全壊したようで、知り合いの一部分が所々に散らばっている。そして学内に運良く生き残ったのは一見した限りわたし、メイラ、斉藤、宮森、ラミーの五人だけであるようだ。
「痛って………………おい、何だこれ」人と物の残骸に囲われながら、校庭の中心地で背中を痛める斉藤はまだ状況を掴めていない。スマホだけは手放さなかった彼女は早速検索に掛けるが、先んじて遅過ぎる緊急地震速報が鳴った。わたしも最近購入したスマホに触れば「東海~九州沖で地震発生。強い揺れに備えてください(気象庁)」と表示され、偽情報に気を付けながらソーシャルメディアを漁れば日本気象協会が「十五日十二時十七分頃、東海沖から九州沖にかけて最大震度七、マグニチュード八を観測する地震がありました。震源の近傍で津波の発生する可能性があります」と呟いていた。タイムラインの阿鼻叫喚で現実味を認識し、八秒経って町のサイレンにも少なめの情報量が届き、兎に角避難しろと言われる。第一の避難所候補が詰まれてしまい、校庭に留まり続けるのも危険なので場所を変えなければならない。
「皆、死んじゃったのか?」口癖からして望みの光景に満足するかと思えば気鬱な顔をする。思い出したようにスマホに耳を当てる斉藤に合わせて各々最愛の家族に向けて電話を掛けるが繋がらず、「ちっ、何だよ畜生!」苛立つ彼女は近縁の前では可愛い子振る矛盾を孕んだタイプなのだろうか。ここでバケツを用意し悪戯すればどうなるか、興味は沸くけれどそれどころではない。
「ど、どうしよう、何処に逃げれば安全なの……?」宮森は今にも泣きそうな声で自然に対して被害者面をする。個室に囲われていた存在が同じことを思う想像力は機能しなかったのか。「泣く暇なんて無いぞ、早く避難しないと」屈み込んでしまった宮森を斉藤が引き摺って起こす。ラミーはこの状況でも焦り一つ窺えない間抜け顔である種頼りになる。揺れが続く中で何となく五人が共に行動する態勢になると、微塵の埃も付いていないメイラがその前に乗り出た。
「さっさとコンビニに行くわよ」転校早々最大級の災難に見舞われるメイラが意想外の目的地を指南した。二秒経ってわたしの理解が追いつき、非常時にも落ち着いて対処する頭のキレが披露された。わたしも考えるところはあったが澄んだ瞳の彼女に任せることとしよう。
「早く逃げた方が……」
「あと九分しかない。つべこべ言わず二、三日必要な物だけ盗んで百貨店に行くわよ」宮森を封殺し堂々と火事場泥棒を推奨する彼女は「あそこのセブン」放課後よく立ち寄るコンビニを指す。社会的な正しさよりも力強い語気と焦燥に惹かれたわたし達は走り始め、正門の跡地を飛び越える。転がった自転車から借用を思い付いたが、道の困難を思うと却って危ないと判断する。防犯カメラの生死は兎も角、配給や支援が十分に機能するとは限らないので混乱に乗じて奪われるより先に奪うのが賢いだろう。出来ればこのまま静岡市から脱出したいけど、渋滞が目に見える車やバス、タクシーには絶対に乗れない。元より食料を始め防災用品を備えていれば最善だったけれど、誰一人として習慣化されておらず、されていたとして大きな荷物は倒壊に巻き込まれて取り出せなかった。
「水二リットル最低一本、ビスケット類最低五箱、衛生用品や衣類は持てる分だけ持っていきなさい!」倒れた看板や樹木を横目に店員の消えたコンビニへ入ると、本当は足りないけどと妥協しつつメイラが端的なアドバイスをくれた。落下した商品に救いの手を伸ばしながらレジ袋Lを勝手に用いて必需品を回収する。この暑さでロックアイスは重量対効能が見込めるか、ガムテープは必要だろうか等と品定めしていると「残り五分、もう出るわ!」メイラは例の時刻を見計らってわたし達を外へ誘導した。四人が袋一杯に食料を抱える一方、ラミーだけはお茶一本の軽装だけど突っ込む余裕は無い。
この近辺で距離と標高において最も適当な百貨店を目指す。神社が右手に現れようと神頼みに逃げることは無かった。駆けながら、もし逸れたら連絡取ろうと確認し合う。しかしその中で斉藤だけが背後に位置しており、腕を振る努力は観察されるので単純に足が遅いのだと分かった。あるいは運動不足か、何でもいいのだけど親友の宮森は我先に助かろうと後ろを見向きもしない。
友情の薄っぺらさに感心していると、バガドタンッッッ、市内全域に響いたのではないかという轟音が後頭部を叩いた。流石のわたし達も一度停止し振り返ればそこには倒れゆく瓦礫の山があった。原型として町工場を思わせる鉄骨や燃料タンクが露出して道を塞ぐ。そう言えば斉藤の姿が無いと凝視すれば、瓦礫の手前に細い腕とレジ袋が見えた。その白色を染め上げるように血液が流れて、あぁコレは死んだのだなと分かった。
散々人を物扱いしてきた人間がプラモデルのように潰れていた。「ぐわあああぁぁぁぁ」宮森が事実を置き去りに全力疾走する。わたしも祈りを捧げる時間は無いので先を急ぐ。最期は意外と呆気ないものだと思った。これで漸く被害者の気持ちを理解出来ただろうか。
まぁ、死んじゃったけど。
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