第3話

 この地震の到来は予てより分かっていたはずだ。環太平洋造山帯の日本では毎日何処かで地震が起こる。わたし達は二十年前の出来事にも学んでいた。それなのに南海トラフ地震臨時情報は来なかったし、いざ我が身となれば硬直する人間が殆どだ。安全を最優先すれば海外移住したって良いのに呑気に震源付近で働く馬鹿が大半だ。地震に備えつつ通常の社会活動を維持した結果、かなりの人が死ぬのだろうね。怖がり泣き出す女子高生の群れを阿保らしく眺める。

 百貨店の最上階へ移動したわたし達は休憩室に背を凭れる。フロアには他にも人がずらりと並んでいてこの中で犯罪者はどのくらい居るのだろう。皆が見つめる先はテレビの緊急ニュースで、被害状況をリポーターが伝えているかと思えば不意に映像が途切れた。現地中継のリスクを報道してもらえた所で避難者や帰宅困難者の予測値が発表され、現在確認出来る死者数が六百人、警告として高所に上り海岸へは近付かないこと、ホテルや車中泊等を避難先として利用すること、食料等の物資は当面自助で補給すること等が言われた。後ろ手に持つ黄色い包装は人の目から隠しておこう。そしてキャスターが告げるのは多くの人が聞きたくないだろう事実の登場だった。

「津波が来るわ」窓硝子を正面に、顎に指を乗せてしみじみとメイラが呟く。すると南の競技場の方から、国道と住宅を巻き込みながら波が訪れるのを捉えた。今まで居た場所が水面下、それどころか十階分はあるだろう波が目下へと迫り、ゆっくり夏の地表を支配する。この景色の中に逃げ遅れた人が必ず居ると思うと嘆かわしい。あの死体も水に流れてゆく。

「ねぇ、メイラが地球を狂わせたのかな」ふと思ったことを口に出してしまった。偶然とは言い難いタイミングの一致より彼女は宇宙人か何かで、地球に降り立った衝撃でプレートが揺らいだのではないかと。彼女の碧い眼が回る。

「学校も家も町も全部壊れちゃった」

「学校にそんな思い入れあるの?」嘲笑うように尋ねるのは何だか共感を覚える。彼女が転校族だとすれば逐一生み出す絆に価値を認めないのも想像が付く。

「…………まぁ無いけど」今朝打たれた滝に比べればこの流れるプールは大人騙しの下らないイベントに思える。標識や洗濯物、植木鉢等が楽し気に浮かぶ様子を消防隊や救急隊がヘリコプターから観賞する。海上保安庁の男達が到着するは良いがダイバーはこの波に飲まれず自在に泳げるのだろうか。泳ぐという経験をしたことの無いわたしには遥か遠い世界だ。

「落ちてみる?」開閉式の窓の鍵に触れて、この数十分で二十年は加齢した顔の宮森を煽れば「やめて!絶対に」激しい身振りで拒否された。冗談の通じない人が居ると興が醒める。しかし日常に戻ればつまらない発言で無為に争い合うのが人間の常なのだろう。このまま絶望が続けば少しは変わると思うけど。

「あれ、ラミーが居ない」宮森がわたしの肩を掴んだかと思えば一人の不在に気付いた。確かに周りを見渡しても彼女の目立つ姿は無く、知らぬ間に三人となっていた。先程伝えたように電話を掛けても繋がらない。まさか彼女も視界の外で倒壊あるいは津波に襲われたのか。彼女に対しては印象の好悪を伴わないけれど気の毒だとは思った。集団は少人数の方が上手くいくので有難いけど。

「…………あれ、宮森は」するとメイラがわたしの方を見つめて疑問を投げる。あれ、おかしい。たった今話していたはずの宮森の姿が消えている。前後左右何処を向いても見当たらず、トイレかと数分待っても現れない。彼女は元々実在するはずで、わたしは認知もしないで突き落とす程非情ではないので勝手に消失したらしい。倒壊、津波と続いて今度は時空の狭間にでも吸い込まれたのかと面倒臭くなってきた。

 わたしとメイラ、二人きりとなり黙ってしまう。少しして沈黙を面白がる相手は語り出した。

「宮森は、あたし達の真上」彼女が指す上空からは虐めっ子のスカートが見えた。

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