地震で死んだ宇宙人
沈黙静寂
第1話
二〇三四年の夏、わたしはトイレでバケツからの水流に襲われた。朝の水浴びに喜び踊る気分にはなれず、状況確認すれば重たい手先が震えている。「あぃはは!」取り囲む三人の薄ら笑いが地球上で誰よりも悪魔に似ていると思えた。
「どう?目が覚めた?」掃除用具の用途を誤った張本人は間違いに気付かないまま、眼前に屈み込んで疑問符を打つ。
「朝から目障りな姿を晒すから洗い流そうと思ったの」億劫ながら名前を思い出せばコイツは
「うわぁ大丈夫?風邪引かない?」親身に近付いて肩を触り始めるもう一人の言葉を、皮肉でないと勘違いする程には信用していない。黄色い髪で制服を着崩すコイツは確か、
「…………」二人から少し離れ、棒立ちで何も考えていないような顔をするのはラミー。無垢な瞳と褐色の肌からはわたしに対する害意が読み取れない。毎度この二人に張り付いて傍観者を装う彼女の底は知れない。
「琳、やり過ぎたんじゃない?何も喋らなくなったけど」宮森がそろそろ着替えを求めたい濡れ女の額を突く。
「えぇただの挨拶だろ。はい、『わたしは元気です』って言える?」
「……わたしは元気です」
「『わたしはゴミでクズで底辺の何の価値も無い女です』」
「わたしはゴミでクズで底辺の何の価値も無い女です」
「『こんなわたしに話し掛けてくれる琳様は神様です』」
「こんなわたしに話し掛けてくれる琳様は神様です」反抗出来ない性格のわたしは提示された暗唱例文を音読する。最近日課となったこの作業は黙ってしまうと暴力が追加される仕様なので従う他無い。世の常識はこれを虐めと言うのか否か、判例を集める気は起こらない。彼女のように才能と自信の欠ける人間は他人の踏み台抜きに飛ぶことが出来ない。一般人であれば耐えられないだろう彼女達の「死ね」を一頻り浴びたら「やべ、先公が来ちまう。じゃあ
昼時の連行が主であるけど今日は斉藤の機嫌により着席するや否や腕を掴まれた。入学当初は気遣いを送り合う仲だったのにいつの間にか優越感の餌となっていた。心当たりは無いけれど強いて言えば人より大きな眼球が注目の的か。さて、この後どうしようか。個室の湖は雑巾に任せる意味さえ見出せず女子排泄所を出る。素直に教室へ戻れば四十数人から更に冷たい目線が配られ、隣席の三人から細々と噂される未来は明らかだ。
どうしようもないなら、と一つの案が浮かんだ。廊下を曲がらずそのまま階段を上る。着いた先は屋上。何度か下見の経験はあるが、壊れた鍵を開ければ客の居ない不人気な舞台が広がり、周囲には寺社や競技場が座り込み百貨店の延長線上にて住居が見据える。全体的に古びた造りが窺え、頼りない金網の間を抜ければ自由な景色がわたしを覆う。真下を覗けば砂粒大の不良男女一組が頭上を忘れて口付けする。足元の死体には少し経てば気付くだろう。
「これで漸く終わりだね」両手を挙げて空に呟いてみた。深呼吸して目を瞑り、勇気を出してそのステップを踏む。わたしは飛び立った………………………………………………そう期待したはずだったのに踵が地面から離れない。意気地無しと言う突風に煽られて金網にドンと背中を預けてしまう。結局、わたしはこの世を去ることが出来なかった。加虐精神のリアリティと与えられた感情を表現することは無かった。五分間天に呆けたらいつもの席に戻ることにした。はぁ、全員死ねばいいのに。
乾いた制服で不味い空気を吸い込めば、見慣れない人物が教壇で直立していた。隣に教師が構える様から怪しい者の風格はわたしに軍配が上がるようだけど、教室で唯一ワンピース姿の彼女に常識の二文字はあるのか。
「今日からこのクラスに転入するメイラ・クリースティンだ。ほら挨拶しなさい」
「転入生のメイラです。よろしく」艶のある身体を振り払うと皆が阿呆面でおおぅと感動する。わたしは何処か鼻を伸ばすような教師を軽蔑しながら席へ向かう。斉藤に舌打ちされながら彼女の後ろ、宮森の左後方、ラミーの前の窓際に座ると、教師が「あそこに座りなさい」と新設した右隣の席にメイラの運命を託した。
「初めまして」クスンと笑う彼女に釣られて、先程まで屋上に立っていたわたしも何故か笑ってしまう。三人は案外人見知りなのかわたしの味方の誕生を恐れるのか、話し掛けはしないが彼女の方をチラチラ見る。反対にメイラは真っ直ぐ前を向きながら時折こちらを振り向く。何だか不思議な奴だなと思った。
日常に戻り授業が進む中、数学Aの間に小刻みに椅子が揺れるので引いて確かめた。後ろからウグンと咳払いが聞こえるのでラミーの脚かと察したが、彼女はそっぽを向く。何か嫌な予感を抱えながら時間が過ぎていく。
時刻は十二時十七分、もう少しで四限が終わるぞと背伸びする。流石の三人も弄り飽きただろうし今日の昼は自由の身だと息巻いて鞄の中身に手を伸ばす。別の教師が英単語のテストを回収した時、全員の知覚が横隔膜を捻じ曲げたように歪曲した。
ガダタンンンンンンンンンンンンンンンンッ。
瞬間にして死を誘い、経験を殺戮する巨大地震がやって来た。
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