第13話 新たな旅立ち



 リリスとカンナはひたすらに走った。

 体力は尽きかけている。しかし休む時間が惜しかったし、休もうとも思わなかった。半日かかる道のりを必死で駆け抜けて、ようやくたどり着いた村の様子は一変していた。

「……これ」

 リリスは混乱していた。

 そう、そこには村があったはずなのに。

「本当にこの場所なのか?」

 カンナの質問に答える余裕はない。

 目の前は単なる牧草地だった。短い芝生が敷き詰められた平原だ。

 リリスは歩を進めた。

 火の見やぐらも、隣のおばさんの家も、なにもない。リリスが住んでいた家ももちろん跡形もないのだ。壊されたとか火事で焼けたとか、そういう部類ではなかった。

 パッと消えた、と表現するのが的確だった。

 リリスは焦ったように周囲を見回した。ここが村であった証明になるものを探したい。

「あっ」

 村であったであろう場所をひとしきり歩き回ったあと、リリスは声を上げた。それから、最初に旅立ちの儀式をした林へと足を踏み入れる。

「……あった」

 そこにはリリスお手製の貧相な祭壇があった。すべての始まりとも言える、小さな祭壇。

 それを見てリリスはうなだれる。安心したのと同時に、絶望感のようなものがこみ上げてきた。

「カンナ、やっぱりここは俺の村だよ」

「……」

「これから俺、どうすればいいのかな」

 ぽつりと呟くリリスに、カンナは酷な質問を投げかけた。

「……悪魔にでもなるか?」

 カンナはマホトと会ったことがない。しかし彼らは、こういう絶望感から悪魔への道を選ぶ場合もあると聞いたことがあった。

 悪魔へ転向する者は、全てが自らその姿を望んだわけではないと思いたい。そしてリリスがそれを選ぶのであれば、彼を処分しなければならないことも同時に考えた。

 人々に幸せをもたらすといわれる天使の立場として。

 この、年端もいかない少年を。

「……悪魔?」

「そうだ」

「ソレになれるの? 俺が?」

「そうだ」

「……」

 リリスは顔を上げない。

 その様子を見ながらカンナは気がついた。天使の世界から地上へ来たときの警告音は、このことを意味していたのだと確信した。

 リリスと長い時間を過ごさずによかった。これ以上長く共にいれば情が移るところだった。そうすれば、彼を処分することにためらいが出てくる。

「……」

 しかしそこまで考えて、カンナは絶句するしかなかった。

(俺が考えていることの方が、よほど悪魔のようじゃないか)

 天使は人々を幸せにする存在だと、そう教えられてきた。それなのに、その『人』を簡単に処分などと言い切ってしまっていいのか。

「……父さんは」

 カンナが考えを巡らせているところに、リリスがぽつりと呟いた。

「父さんは大丈夫かな」

「お前の呼んだ精霊が、今頃頑張っているはずだ」

「……うん」

 小さくうなずくと顔をあげる。その目には力強い光が宿っていた。

「俺は悪魔なんかにはならない」

「そうか」

「第一どうやってなるのかも分からないし。なったって良いこと無さそうじゃん」

「そうだな」

「俺、母さんを探すよ」

 そう言うと、林の外へ向かって歩き出した。

「だって村が壊滅したとか、そんなんじゃないし。消えただけだろ?」

「そうだな」

「理由は分かんないけど、どこかにいると思うんだ。きっと村ごと逃げたんだ」

 リリスはしきりに言葉を繋げる。

 たったの十五で帰る場所を失った彼の心中は、不安感で溢れているに違いない。それを、必死に平常心を保とうとしているのか。

「カンナはどうするの?」

 林を抜ける前に、リリスが振り返って尋ねた。

「やっぱり家に帰るのか?」

「そうだな……」

 警告音も鳴り止んだ今、カンナの仕事はすでに終わっているのだろう。また、リリスが悪魔に変貌しないのであれば、カンナが今ここでしなければいけない仕事はない。

 それに、今のリリスを処分するという気にはなれなかった。それが神の意志に逆らうことだとしてもだ。

 今のカンナには、地上に残る理由も天上へ戻る理由もない。すると突然、胸の奥にふわりと懐かしさが漂った。

 なんとも形容しがたいその感覚に戸惑いながら、

「特に理由もないし、リリスの村でも探すか」

 言葉が口をついて出た。

 リリスが目を丸くする。

「え? ホントに?!」

「なんだ、俺がついていったら駄目なのか」

「いや、大歓迎!」

 大喜びで太陽の下に出たところで、頭上からふわふわと白いものが降りてくる。リリスの頭に着地した。

 目の前にあるのは白い……。

「俺のパンツじゃねーか。なんて雰囲気のない……」

 しかし、どこかに見覚えのある光景。

「なんだよー。せっかくカッコよく出発しようと思ったら、こんなところにオチ?!」

「なんだよ、オチって。ほら、置いていくぞ」

 騒ぎ出すリリスを追い越して、カンナが歩き出す。

 リリスは上から振ってきた自分の白きお召し物を見やると、ふふっと笑みをこぼした。

「俺、こうやって出発したんだぜ」

「なんの話だ」

「出発前に母さんが抱きしめてくれてさ」

「……抱きしめて欲しいのか?」

「いらないよ!」

 庭先でふわふわと笑う母の姿はそこにはない。リリスは村の外へと駆けだした。

 故郷に辿り着くための旅路を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偏物天使はかく語りき 四葉みつ @mitsu_32

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ