第7話 あの夜の人物

 眼前の壁にカンナは顔を寄せた。

「ここか、扉は」

 隙間を確認しつつカンナが呟いたそのときだった。

「ご名答」

「?!」

 第三者の声にリリスとカンナは振り返った。仰ぎ見るとこちらを見下ろす男が立っている。が、どう見ても神官でないことは一目瞭然である。

 薄汚れたシャツとズボンに裾の破れたベスト。だらしなく肩まで伸ばした髪は清潔感のかけらもなく全体的に埃っぽい。いやらしい笑みを浮かべたその顔は、ハ虫類を思わせるような顔つきである。

「お前は!」

 この声はどこかで聞いたことがある。そう、こいつはあの夜、父親を脅しに来た男だ。

 座り込んでいたリリスは立ち上がった。

 目の前の男はニヤリと笑う。

「リリスくん、初めまして」

(なんで俺の名前知ってるんだ?)

 突然名前を呼ばれてリリスは後じさる。ぞくりと悪寒を感じた。

「なんでと聞かれると……やっぱり愛、かなァ」

「?!」

 男の台詞にリリスは目を見開いた。自分の考えがこの男に完全に読まれている。

(何者だ、こいつ)

 ただの盗賊ではないのか。人の心を読める術師、それともそういう能力を持ち合わせている人間。そもそも人間ではないのか。

 リリスの脳裏に様々な可能性がよぎる。

 その男の前に、カンナがリリスを庇うように立った。

「おやおや美しい友情かい? 泣けるねェッ」

 そう言うが早いか、男はカンナのみぞおちめがけて勢いよく蹴りを入れた。カンナはそれをひらりとよけた。

 そのはずだった。

「ぐっ」

 カンナの身体は後方に吹き飛び、そのまま背後の壁に激突した。背中を強く打ちつけてその場に崩れ落ちる。

「フフ、上手く避けられそうだったけど惜しかったね。そちらの行動は手に取るようにわかっちゃう。ボクってすごいよね」

 うずくまったカンナを足で乱暴に転がすと男はすぐさまきびすを返して、動けないでいるリリスにすり寄った。リリスの胸ぐらを掴んで引き寄せると、空いた手でその頬をゆるりと撫で上げる。

「ホントはね、キミも一緒にもらう契約だったんだよ。ホラ、キミの住む所って魔法村でショ」

 ハ虫類のような顔をした男が腕を伸ばしてくる。逃げたいがリリスはその場から一歩も身動きが取れないでいた。しかも言っている意味がよく分からない。

「魔法村? 何、言って……」

「そしたら思いのほか結界が強くてサァ。精霊たちには邪魔されるし、結局キミはもらえなかったんだよネ」

 頬を撫でられる感触に全身を不快感が駆け巡る。男はチロチロと見え隠れする蛇のような長い舌で舌なめずりをした。

「でもここは村から遠くて結界も弱いから安心。それに今日はまだお祈りしてないでショ。だめだよォー、精霊への祈りを忘れたら。ボクにはとっても都合がいいけどネ」

 嫌悪感と吐き気が一緒になって押し寄せる。しかし反撃しても食い止められるのだろう。

 カンナはうずくまっていたが、動かない身体でどうにか這い寄ると必死に男の足首を掴んだ。

「や、めろっ」

 男はリリスの頬に手を置いたまま、カンナをさげすむように見下げる。

「おやおや、まだ生きていたのか。意外としぶといね。綺麗に蹴りが入ったから死んだと思ったんだケド。だったらしょうがないナァ」

 そう言うと男はカンナに手をかざした。

「?」

 カンナはその行為をいぶかしげに見上げた。

 その男の呟く言葉を聞いたリリスは目を見開く。それが不穏なものを招く言葉だと気がついたのだ。

「カンナ! 逃げるんだ!」

 リリスが叫んだ瞬間、男の掌から黒くドロドロとした塊が現れる。塊は瞬く間に大きな球体になった。

 黒い怨念のように渦巻くそれが、カンナめがけて勢いよく発せられる。

 その至近距離からの攻撃は、地を這うようにしてカンナを押しのけた。彼の身体は扉に激突すると、その扉と共に聖堂の方へ吹き飛んでいく。

「カンナッ!」

 今の攻撃でカンナに致命傷を負わせたことは見なくても推測できた。その息があるのかどうかは、リリスの位置からでは分からない。

「これで邪魔者は居なくなったネ」

 男は、今し方黒い塊を放った手でリリスの髪を優しく撫でつける。リリスは男を睨み返した。

「お前ッ」

「許さないからなーって? すごい、物語の勇者様みたい。でもキミひとりじゃどうしようも出来ないでショ。だってキミはただの村人A、何の力もないただの通りすがりの旅人だもん」

「……ッ」

「さて、キミをアジトに招待しげあげるヨ。このお部屋に来たくてたまらなかったんだよね? 僕も招待したかったからちょうど良かった。ねえ知ってた? 魔法村の人間の肉や体液は魔力を高める効果があるんだ。血、汗、涙。どこから食べても僕の魔力になっちゃう。フフフ、キミはゴチソウのかたまりだヨ」

 男はカラカラと乾いた笑いを通路に響かせると、リリスの背後の隠し扉をトンと押し開けた。

 リリスは絶望した。

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