第4話 鳴り止んだ警告音
そうしていくつの部屋を見たのだろうか。炎の勢いが一番激しいその奥に、カンナは見覚えのある背中を見つけた。
その人影は何やら小さくぶつぶつと唱えている。
「おい、お前」
声をかけると、すっかり怯えきった顔がこちらを振り向いた。
「!」
彼はカンナを見た瞬間、安堵と喜びの表情を見せた。
「カンナーッ」
涙目のままカンナに勢いよく飛びついてきたのは、そう、昼間出会ったリリスである。
抱きつかれた瞬間、カンナの中の警告音がぱたりと静かになる。
「お前……」
「こんなところで会えるなんてな! カンナも逃げ遅れたのか? 大丈夫か? なんか気がついたら部屋に火がついてるし、みんなバタバタ倒れていくし怖かったー!」
カンナにしっかり抱きついたまま、勢いに任せてしゃべり立てる。
「いいから落ち着け」
カンナはリリスを身体から剥がすと、火の粉を払ってやるように彼の両肩両腕を軽く叩いた。幸いにして、彼の身体に火傷などは全くないようだ。
「よほど強い精霊に守られているようだな」
魔法の炎にも負けないくらい強い精霊に。
「精霊? やっぱ旅の前の儀式が効いたのかなあ」
「そういえば、さっきは何を呟いていたんだ」
「あー、あれはおまじないだよ。怖いときに唱えると怖くなくなるって。えっと、母さんが……」
リリスは恥ずかしそうに語尾を細めた。十五歳にもなって母親の気休めを信じているのを公言していることにハタと気がついたのだ。
(しかしあれは……)
彼はおまじないだと言ったが、カンナの知りうる限り、さっきのはどう聞いても魔法を引き出すための呪文だった。
「まあいい。行くぞ」
いぶかしげにリリスを見下ろしていたが、カンナはくるりときびすを返し、出口へと歩き出す。
「え? どこに?」
「ここで燃え尽きたいか」
「それは嫌だ!」
リリスは大きくかぶりを振った。
「じゃあ行くぞ。火のまわりが異常に早い。気をつけろ」
カンナに促されながら、リリスは足元で炎をあげる角材を飛び越えた。
そうしてたどり着いたのは、街から出たはずれにある納屋だった。今はもう誰も住んでいない農家の敷地内にある、掃除箱のような小さな部屋だ。
リリスは思わず大きな家屋の方を指さした。
「え、大きい家があるじゃん」
「家だと見つかる可能性が高い」
「見つかる? 誰に?」
「お前には関係ない。さっさと寝ろ」
カンナはため息混じりに言い放った。言ったところで彼が理解できるとも思えないし、理解させて不安を与えても仕方がない。
リリスは小首をかしげたが、あまり深く考えるのは苦手なようで、すぐさま積んである枯れ草で寝床を作り始めた。先ほど火事で怖い目に遭ったと思えないほど楽しそうに、鼻歌まじりに枯れ草のベッドをこしらえている。
「そうだ!」
リリスは思い出したように顔を上げて、カンナに微笑みかけた。
「助けてくれてありがとな」
「……なんだ急に」
「うん。まだお礼言ってなかったから。正直言うと、さっきはもうダメだと思ったんだ」
「昼間の借りを返したまでだ、気にするな」
「うん、ありがとう。じゃあ先に寝るね」
呑気な声でおやすみと言ってのけると、リリスは枯れ草ベッドに横になった。
と思ったら、再びがばりと起き上がった。
「忘れてた! お祈り!」
少しうるさいけどごめんと一言謝ると、リリスはその場で手を組み目を伏せて、なにやら小さく唱え始めた。
「しゅよ、そのおんみたまにて、われをしんえんへといざない……」
「……」
カンナは思わず絶句する。そんな棒読みで大丈夫なのかと言いたい。
おそらくリリス自身は、その文言の意図するところを分かっていないだろう。台詞に抑揚がない分だけ聞き取りづらいが、自分が深い眠りについているときに周囲の外敵から守ってくれ、というような意味だ。
古代の、結界の魔法だ。
「それも母親に習ったまじないか?」
祈りを捧げ終わったところでリリスに確認すると、彼は横にかぶりを振った。
「ううん。これは父さんから」
「そうか」
夫婦そろって魔術師をやっている者がいる、という噂は聞いたことがない。そもそも魔術師自体がこの時代に現存しているのかも怪しい。
ということはやはりこの少年は、これらのまじないとやらを魔法として習ったわけではないようだ。それは日常の中に、ごく自然に存在するのだろう。
リリスは再び就寝の挨拶をすると、今度こそ枯れ草の中に潜り込んだ。すぐさま健やかな寝息が聞こえてくる。
(……変なヤツ)
カンナはリリスの方へ一瞥を寄越すと、そのまま壁にもたれかかった。それから思い返す。
先ほどの火事は、間違いなくこの目の前の少年を狙ったものだろう。彼のいた部屋だけ火のまわりが異常に早かったことからも伺える。唯一の救いは、彼が普通よりも強い精霊によって守られているということだ。
もしかしたら先ほど唱えていたような祈りが、実際に効力を発揮していたのかもしれない。あの棒読みの詠唱で。
(コイツ、何者だ)
純粋なのか天然なのか馬鹿なのかは分からないが、放火犯からすれば、存分に狙う価値はある人物なのだろう。見た目は普通の少年だのにだ。
そして、ソレに呼ばれたであろう自分だ。リリスと再会してから、頭に鳴り響いていた警告音はいつのまにかどこかへ消えていた。つまり自分の目的が彼だったということだ。
彼が何を意味するのかはまだ分からない。とにかく今わかることは、この目の前の少年を取り巻く危険が、これだけでは終わらないだろうということだ。
(何か理由を作って、一緒に行動せねばな)
カンナは眉間に深いしわを刻む。
こうやって呼ばれはしたものの、その対象が命を狙われているのだ。守らねばならないだろう。
しかし「呼ばれたから」と理由を告げたところで、すんなり信用してもらえるだろうか。いや彼の天然度合いからして、すんなり受け入れてもらえそうな気もするが……そのぶん理解力が低いような気もする。
とにかく朝までに、何か理由を考えよう。
明日もおそらく狙われる。あんな火事まで起こすくらいなのだから、冷やかしではないはずだ。
そんな予感を胸に抱きつつ、カンナもまた目を閉じた。
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