第3話
一方伊都は、さっさとあの場を離れると、そのまま隣の登美子を訪ねた。母親のいない伊都にとって、登美子は頼れる姉である。普段は男ばかりに囲まれていて出来ない話も、登美子には打ち明けられた。
「――というわけなの。ひどいでしょう?」
伊都は、頬を膨らませた。大人の体になったとはいえ、まだ時折その仕草には少女っぽさが残っている。そんな伊都の様子に、登美子は思わず吹き出した。
「剛介さんも、悪気があったわけじゃないんでしょう?」
「分かっていますよ、そんなの。だから余計に頭に来るんです。今日だって、せっかく気合を入れてめかしこんだのに、うんでもすんでもないですし」
伊都としては、剛介の目を惹きたくて、いつになく洒落込んだのだった。だが、伊都がせっかく気合を入れたにも関わらず、剛介は褒め言葉の一つすら、かけてくれなかった。一応は兄妹だから、仕方がないのかもしれないが。
「まあ、伊都ちゃんが怒るのも無理はないけれどね」
剛介が遠藤家にやってきたとき、「新しい兄様が出来たの」と目を輝かせながら、伊都は登美子に報告しに来たものだった。女の子は、男の子よりも早熟である。それからも伊都は折々につけ、「剛介兄様」の話をしたがった。実兄の敬司のことよりもしばしば話題に登らせることから、登美子はとうに伊都の想いに気づいていた。ただし、女にとって大切な「嫁入り」の妨げになってはならないから、あからさまに伊都の恋心を遠藤家の者に指摘することは、避けていた。
「伊都ちゃんも、大人の仲間入りをしたからね。そういう色めいた話にお付き合いすることもあるでしょう」
それにしたって、とますます伊都が膨れる。
実兄の敬司が東京に行ってなかなか戻ってこないために、今では伊都も家付きの娘のようなものだった。ただ、剛介という存在がいる以上、伊都が嫁に出される可能性も残っている。清尚に「嫁に行け」と言われれば、それに従って家を出るしかなかった。
「剛介さんも、勉強はお得意でも、男女のことについては初心そうだから」
登美子の方が年上とは言え、剛介に対してなかなかひどい言い様である。だが、その通りだと伊都も認めざるを得なかった。
そこへ、清尚が仕事から戻ってきた。戊辰の役後、清尚は丸山家が起こした「
「伊都。いつまでそこで喋っている」
「今戻ります」
呆れたような父の声に、伊都はそそくさと家の中に入っていった。そんな娘をちらりと見ながら、清尚は、登美子に頭を下げた。上の息子と同い年という気安さから、清尚も登美子にはあまり遠慮がない。
「すまぬ。いつも相手をしてもらって」
「いいんです。伊都ちゃんは、妹みたいなものですし」
登美子がひらひらと手を振った。そこで、登美子は清尚に話を向けた。
「清尚さん。差し出がましいようですけれど、伊都ちゃんの気持ち、お気付きですか?」
その言葉に、清尚は微かに笑みを浮かべた。
「剛介殿のことかな?」
さすがに、父親は娘の気持ちに気付いていたらしい。だが、一つ屋根の下に暮らす以上、娘や息子の色恋に口を挟まないことに決めていた。
「伊都はまあ、いい。だが問題は……」
「剛介さん、その方面については鈍そうですものね」
清尚も黙って苦笑を浮かべている。まったく、兄弟と言いながら、ふてぶてしさと鋭利さを併せ持ち、父親の目を盗んで女のこともそつなくこなしていた上の息子とは、大違いだ。
「剛介殿のお気持ちが分からぬ以上、伊都を押し付けるわけにはいくまい」
「ふうん。ということは、お二人を夫婦にするつもりはあるのですね?」
登美子が、目をきらきらと輝かせた。この手の話は、大好物なのだろう。全く女という生き物は、と思いつつ、清尚は頷いた。
「でも、あの剛介さんの様子だと、百年経っても自分から伊都ちゃんをもらうことはなさそうですけれどね」
「やはり、そう思うか」
登美子の言葉に、がっくりと肩を落とす清尚であった。そもそも、剛介は二本松の出身である。風習の違う会津で生活するだけでも大変なのに、自分から嫁取りに頭を下げるなど、恐れ多くて出来ないのではないか。
「清尚さんが、思い切って剛介さんに伊都ちゃんの嫁入りを、持ちかけるしかないんじゃないですか?」
登美子が大胆な提案をした。
「ううむ」
清尚も、確かにそれ位しか妙案が浮かばない。そもそも、剛介の実家の武谷家は、二本松でも古参の家柄である。婿として迎えるにしても、遠藤家には不相応とも言えるくらいの家柄だった。その遠慮もあって、清尚からは伊都を強くは勧められないのである。
「伊都ちゃんの花嫁衣装は、私のをお貸ししますから」
そこへ、当の剛介が柴垣の角を曲がってくるのが見えた。噂をすれば、何とやら。
「義父上、お早いお戻りでしたか」
「今日は、あまりやることがなかったからな」
清尚は、義理の息子に応えてやりながら、この男と伊都が夫婦として並んだところを想像してみた。うむ、悪くない。
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