第2話

 家へ帰ると、剛介は、伊都に事の成り行きを説明した。

「そんな事を約束してきたのですか」

 伊都は繕い物をしていた手を止め、眉をひそめた。どうも、伊都にはお気に召さない話だったらしい。

「剛介兄様は、お人が良すぎます」

 つん、と顎を上げる始末である。無理もない。芳賀と伊都は、面識すらないのだ。それを言ったら、剛介とて、芳賀の妹には僅かな興味を抱いたくらいなのだが。だが、男同士の付き合いというものもある。

「会うだけ会ってみたらどうだ」

 脇から、清尚が口を挟んでくる。父親としては、娘の縁談も考えなければならない。良縁があれば、伝手を辿るのが当然と言えた。

「父上まで」

 剛介は、いつになく機嫌が悪い伊都に閉口した。伊都は普段は大人しいが、時折、妙に頑固になるところがある。今が正にそうで、なぜ自分が伊都の機嫌を損ねたのか、分かりかねた。確かに、伊都の真意を確かめずに一方的に決めてしまったのは、悪かった。だが、そこまで怒るほどのことだろうか。

 夕餉の後のカチャカチャと食器を洗う音も、心持ち普段より高い。だが、約束をしてしまったものは、仕方がないではないか。思わず、溜息が漏れた。


 約束通り、芳賀は妹を連れて待ち合わせの場所に現れた。結局、剛介の後ろに隠れるように、伊都もついてきている。嫌々ついてきた割には、藍染に細かい麻の葉模様を散らした、若い娘らしい着物を纏っている。上には、葡萄色の羽織。頭には、手の込んだ細工の簪を刺している。手には、着物と揃いの反物で誂えたらしい巾着を下げていた。珍しく、化粧まで整えている。一見すると、この逢引に乗り気であるように見えた。だがその顔は、お世辞にも愛想がいいとは言えない。

 それとは対照的に芳賀の妹である奈緒は、にこにこと笑っている。こちらは、茜染めらしき薄紅の着物。さらに半襟には、蘇芳色の返しが見え隠れしている。美人とは言い難いが、人をほっとさせるような雰囲気を持つ娘だった。挙措も美しく、いつ縁談が持ち込まれてもおかしくなさそうな佇まいである。どうやら剛介に惚れている、という芳賀の言葉は、まんざら嘘ではなかったらしく、「まずは茶でも」という芳賀の言葉に入った茶店でも、四人がけの席で剛介の隣に座ったのは、奈緒だった。

「剛介様のことは、以前より兄から伺っていたのです」

 愛想よく、奈緒が話しかけてくる。勉強が出来るのもさることながら、体練がお得意なのだとか。剣の踏み込みの鋭さなどは、目を瞠るものがあると、兄が申しておりました。

 剛介は、曖昧な笑みを浮かべながら、奈緒の話に相槌を打つことで、やり過ごした。それよりも、目の前の芳賀と伊都の方が、気になる。芳賀は礼儀正しく話しかけているが、伊都は視線を合わせようともしない。「はい」「いいえ」くらいしか、先程から言葉を発していないのではないか。気乗りしないのは分かっていたが、そこまでつれなくすることはあるまいと、兄としては気が気ではない。

「剛介様は、何かお好きなものはございますか?」

 気まずい空気を取り繕おうと、奈緒が懸命に話しかけてくる。

「そうですね。ざくざくでしょうか」

 聞き慣れぬ言葉に、芳賀兄弟は顔を見合わせた。しまった。ざくざくは、二本松の郷土料理である。会津育ちの芳賀兄弟が、知っているわけがなかった。

「二本松のお料理なのですよね、剛介兄様」

 いつになく、伊都がやや勝ち誇った顔を見せる。滅多に食卓に登らないが、遠藤家でも正月に「こづゆ」を食したことがあった。いつだったか、それが「ざくざくに似ている」と言ったのを、伊都はしっかり覚えていたのだろう。

 束の間、気まずい空気が流れた。

「申し訳ありませんが、夕餉の支度がありますので。これにて失礼いたします」

 伊都はやおら立ち上がると、戸口に足を運んだ。芳賀に財布を取り出させる隙も与えず、自分の分の会計をさっさと済ませると、剛介を一睨みしてから、そのまま出ていってしまった。まだ、店に入ってきてから半刻も経っていない。第一、まだ日が高いというのに、夕餉の支度も何もあったものではないではないか。

「済まぬ」

 残された剛介は、やはりその場に取り残された芳賀兄弟に頭を下げた。妹が、あれほど頑なな態度を見せて空気を壊してしまった以上、頭を下げるしかない。

「気になさらないでくださいませ」

 今しがた嫌な態度を見せられたというのに、奈緒は艶然と微笑んでみせた。

「剛介様が悪いのではないのですもの。謝るのは、こちらですわ」

「というと?」

 剛介は、小首を傾げた。芳賀と目を合わせたが、彼も伊都の行動は理解しかねるようだった。

「お気づきになっていらっしゃらなかったの?伊都さんは、剛介様がお好きなのです。恐らく、長いこと懸想されていたとお見受けしました」

「えっ」

 まさかの、指摘であった。剛介自身は、伊都を妹のように思ってきたし、これからもそのような関係が続いていくのだと信じていた。

「それは、間違いないのか?」

 芳賀が、勢い込んで妹に尋ねた。

「間違いありません。あれは、兄を慕うというのとは違います」

 自信たっぷりに、奈緒が頷く。それでは、見込みがないではないか!とがっくり項垂れる芳賀を後目に、奈緒は上品な手付きで茶を啜った。

「剛介様と伊都さんは、お顔もあまり似ていらっしゃらないようですし。義理の御兄妹なのでしょう?」

 そこまで見抜かれていたか、と剛介は唸った。

 確かに、剛介と伊都は血がつながっていない義理の兄妹である。であれば、義理の兄に恋心を抱くというのもあり得るか。

「そういう剛介様は、伊都さんをどう思われていますの?」

 奈緒は、話の先を剛介に振った。

「どうと言われても……」

 剛介は、まだ恋を知らない。そもそも、会津で生きていくのに必死で、色恋に目覚めるゆとりすらなかったのだ。

「早くしないと、うちの兄のような不逞な輩に、伊都さんをかどわされますよ」

 からかうように、奈緒は剛介に笑いかけた。

「兄に向かって、その言い草はないだろう」

 むすっとした様子で、芳賀が腕を組んで妹を睨みつける。だが、「伊都が剛介を好きだ」というのは、認めざるを得ないようだ。その気安さは、確かに実の兄妹そのもので、剛介と伊都の場合とは全く違う。

「そういうお前は、剛介殿の元へ参りたいとは思わないのか」

 自分自身の恋路は見込みがないと踏んだか。せめて、妹の恋は叶えてやろうというその言葉は、確かに兄の言い様である。

「いいのです。あれほど思ってくださる方がいらっしゃるのならば、大人しく身を引きます。私は、剛介様とお話できただけで、満足です」

 ほんのりと寂しさを漂わせながら、それでもきっぱりと奈緒は述べた。そう言われてしまうと、ますます身の置きどころがない。剛介は、黙って再び頭を下げた。


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