直違の紋に誓って~Spin Off~剛介の初恋

篠川翠

第1話

 明治五年。剛介ごうすけは、遠藤家の養子に迎え入れられ、新しく出来た若松中学に通っていた。武谷たけやという名字は、みちのくの地では珍しい。そのため、武谷の姓のままでは戦犯として目をつけられる可能性がある。ということで、遠藤家の養子に入り、これからの人生に差し障りが出ないようにとの、義父の配慮だった。もっとも、遠藤家の養子となった後でも、剛介の微妙な立場を慮ってか、義父は「剛介殿」と呼んだ。実の娘である伊都いとよりも、一段丁寧に扱われている。剛介も、その方が却って気が楽だった。

 学生の身であれば、学業に専念するのが本筋である。だが、そこは年頃の者たちが集まっている場だ。同級生の中には、同じ年頃の婦女に胸をときめかせる者も、少なくなかった。

 戊辰の役の時に十四だった剛介も、あれから多少なりとは背が伸び、声も、少年の声から落ち着いた男の声に変わっていた。同様に十歳だった伊都も、近頃は胸が膨らんで女らしさが出てきたような気がする。

 伊都は、兄となった剛介を「剛介兄様」と呼んでいた。戊辰の役の直前に母を病気でなくしてからは、遠藤家の家事一切は伊都が受け持っている。幼少期よりよほど厳しく躾けられたのか、包丁を握る姿などは堂に入っていた。だが、しっかり者とはいえ、まだ行き届かないところもある。そのような細々とした婦女のしつけや嗜みは、遠藤家の隣にある星家の登美子が教えてくれているらしい。登美子は、敬司けいじと同じ年で気の置けないご近所仲間、といったところか。戊辰の年に、遠藤家が藩命で江戸からの引き揚げを命じられた時、清尚は江戸で妻を亡くしたばかりだったこともあり、途方に暮れた。そこへ現れたのが、登美子である。登美子は、家付きの娘であるため、婿を迎えて子供までいる。それにも関わらず遠藤家の境遇に同情したのか、何かと遠藤家の世話も焼いてくれるのだった。

 ある日、珍しく伊都が寝坊をした。普段よくやってくれているのだから、剛介はそれほど気にしなかったが、伊都はひどく恐縮した。

「剛介兄様。朝餉の支度が遅くなりまして、申し訳ございません」

「いいよ、別に」

 剛介は、妹に軽く笑ってみせた。伊都の顔は、心持ち青い。病気なのだろうか。布団も上げずに、伊都は慌てて台所に立っていった。

 その日、剛介が学校から帰ってくると、伊都はまだぼんやりとしていた。剛介が帰宅を告げても、どこか上の空の返答だった。

「伊都。具合が悪いのか?」

 剛介の問いに、伊都は黙って首を振った。

「病気なら、無理をするな」

「いえ、病気というわけでは……」

 そこへ、隣家の登美子とみこがやってきた。その手には、櫃箱が抱えられている。

「伊都ちゃん。持ってきたよ」

「あ、すみません。ありがとうございます」

 伊都の顔が、ほんのり赤らんだ。登美子から櫃箱を受け取ると、そのまま台所へ持っていった。櫃箱から漂ってくる香りからすると、どうも赤飯のようだった。

「赤飯ですか?何か祝うことがありましたっけ?」

 剛介は、素直に登美子に尋ねた。剛介の言葉に、きょとんとしていた登美子だが、やがて腹を抱えて笑い出した。

「剛介さん、女のことを本当に知らないんだね」

 登美子の言葉にむっとした剛介は、登美子に詰め寄った。

「どういうことです?」

「伊都ちゃんが、子供を産める体になったということに、決まっているでしょう」

 その言葉に、台所から戻ってきた伊都が、真っ赤になった顔を伏せた。登美子の言葉の意味を解した剛介も、思わず顔を赤らめる。

 そんなの、分かるわけがないがないだろうと、内心でごちる。二本松の郷では、剛介の周りにおいて、女性の気配はほとんどなかった。年の離れた兄との間には姉が一人いたが、剛介が色気づく前に、いつの間にか嫁に行ってしまったから、女性の体のことを聞く機会など、ほぼ皆無だったのだ。

 それにしても、あの剛介の手に縋り付いていた女の子が、いつの間にか成長しているとは。これまでのように、平常心でいられるかはどうにも怪しかった。

 その日の夕飯には、当然のように、登美子が持ってきてくれた赤飯が出された。清尚きよなおはやや驚いた様子だったが、それでも平然と赤飯を平らげている。父親であるからには、そのような男女のことについての知識もあるのだろう。だが、さすがに話題が話題だ。詳しく聞くのは、憚られた。

 伊都が子供を産める体になったということは、いずれどこかに嫁に出されるのだろうか。


 それからの伊都は、みるみるうちに女らしさと美しさを増していった。会津の女らしく、色が白く肌の肌理が細かい。目がぱっちりとしていることもあり、冷静に見れば、兄の引け目を差し引いても、まずまず人目に止まる容貌だった。実際に、剛介の同級生の間でも「めんこい」と評判になっているらしい。目敏い奴らめ。

「遠藤。妹に紹介してくれ」

 中には、不埒な提案を持ちかけてくる者もあった。別に紹介くらい、とも思うのだが、どうにも面白くない。遠藤家の大切な一人娘に、悪い虫がついては困る。

「駄目です」

 剛介は、今日も一人、すげなく断った。相手は芳賀はがという同級生である。

「そこを何とか。うちの妹も紹介するから」

 芳賀は、なおも食い下がってくる。芳賀の言葉に、剛介は歩みを止めた。剛介も、まるっきり女に興味がないわけではない。ただ、女と知り合う機会が一向に訪れないのだ。

「芳賀さんの妹?」

「我々より一つ下で、奈緒なおという。以前から、お主に惚れているらしいぞ」

 芳賀は、いたずらっぽく笑った。妹の願いを叶えてやろうという兄の思いやりなのか、それとも伊都への下心があるのか。芳賀の話からだけでは判断しかねる。

「会津では、女と口を利いてはならないのではなかったのですか?」

 剛介は、呆れて芳賀に尋ねた。あまりにも有名な「什の掟」の一つに、「おなごと口を利いてはなりませうぬ」という戒律がある。二本松との大きな差の一つで、剛介が伊都以外の女と出会う機会がないのは、この戒律のせいもあった。

「もう明治だ。別に構わないだろう」

 いけしゃあしゃあと、芳賀が答える。どうしても、剛介兄弟を引っ張り出したいらしい。

「それならば、七日町辺りを散策するという体でよろしいですか?」

 仕方なしに、剛介は提案した。七日町には、近頃新しい店なども出来つつある。同級生とその妹と、伊都。兄弟同士で待ち合わせるのならば、あまり咎め立てされずに済むだろう。

「決まりだな。それでは、今度の日曜に」

 その時、予鈴が鳴った。芳賀は弾むような足取りで、自分の席に戻っていった。のみならず、鼻歌まで混じっている。

(やれやれ)

 成り行きとは言え、妙な事になったものである。剛介は、苦笑せざるを得なかった。

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