直違の紋に誓って~Spin Off~剛介の初恋
篠川翠
第1話
明治五年。
学生の身であれば、学業に専念するのが本筋である。だが、そこは年頃の者たちが集まっている場だ。同級生の中には、同じ年頃の婦女に胸をときめかせる者も、少なくなかった。
戊辰の役の時に十四だった剛介も、あれから多少なりとは背が伸び、声も、少年の声から落ち着いた男の声に変わっていた。同様に十歳だった伊都も、近頃は胸が膨らんで女らしさが出てきたような気がする。
伊都は、兄となった剛介を「剛介兄様」と呼んでいた。戊辰の役の直前に母を病気でなくしてからは、遠藤家の家事一切は伊都が受け持っている。幼少期よりよほど厳しく躾けられたのか、包丁を握る姿などは堂に入っていた。だが、しっかり者とはいえ、まだ行き届かないところもある。そのような細々とした婦女のしつけや嗜みは、遠藤家の隣にある星家の登美子が教えてくれているらしい。登美子は、
ある日、珍しく伊都が寝坊をした。普段よくやってくれているのだから、剛介はそれほど気にしなかったが、伊都はひどく恐縮した。
「剛介兄様。朝餉の支度が遅くなりまして、申し訳ございません」
「いいよ、別に」
剛介は、妹に軽く笑ってみせた。伊都の顔は、心持ち青い。病気なのだろうか。布団も上げずに、伊都は慌てて台所に立っていった。
その日、剛介が学校から帰ってくると、伊都はまだぼんやりとしていた。剛介が帰宅を告げても、どこか上の空の返答だった。
「伊都。具合が悪いのか?」
剛介の問いに、伊都は黙って首を振った。
「病気なら、無理をするな」
「いえ、病気というわけでは……」
そこへ、隣家の
「伊都ちゃん。持ってきたよ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
伊都の顔が、ほんのり赤らんだ。登美子から櫃箱を受け取ると、そのまま台所へ持っていった。櫃箱から漂ってくる香りからすると、どうも赤飯のようだった。
「赤飯ですか?何か祝うことがありましたっけ?」
剛介は、素直に登美子に尋ねた。剛介の言葉に、きょとんとしていた登美子だが、やがて腹を抱えて笑い出した。
「剛介さん、女のことを本当に知らないんだね」
登美子の言葉にむっとした剛介は、登美子に詰め寄った。
「どういうことです?」
「伊都ちゃんが、子供を産める体になったということに、決まっているでしょう」
その言葉に、台所から戻ってきた伊都が、真っ赤になった顔を伏せた。登美子の言葉の意味を解した剛介も、思わず顔を赤らめる。
そんなの、分かるわけがないがないだろうと、内心でごちる。二本松の郷では、剛介の周りにおいて、女性の気配はほとんどなかった。年の離れた兄との間には姉が一人いたが、剛介が色気づく前に、いつの間にか嫁に行ってしまったから、女性の体のことを聞く機会など、ほぼ皆無だったのだ。
それにしても、あの剛介の手に縋り付いていた女の子が、いつの間にか成長しているとは。これまでのように、平常心でいられるかはどうにも怪しかった。
その日の夕飯には、当然のように、登美子が持ってきてくれた赤飯が出された。
伊都が子供を産める体になったということは、いずれどこかに嫁に出されるのだろうか。
それからの伊都は、みるみるうちに女らしさと美しさを増していった。会津の女らしく、色が白く肌の肌理が細かい。目がぱっちりとしていることもあり、冷静に見れば、兄の引け目を差し引いても、まずまず人目に止まる容貌だった。実際に、剛介の同級生の間でも「めんこい」と評判になっているらしい。目敏い奴らめ。
「遠藤。妹に紹介してくれ」
中には、不埒な提案を持ちかけてくる者もあった。別に紹介くらい、とも思うのだが、どうにも面白くない。遠藤家の大切な一人娘に、悪い虫がついては困る。
「駄目です」
剛介は、今日も一人、すげなく断った。相手は
「そこを何とか。うちの妹も紹介するから」
芳賀は、なおも食い下がってくる。芳賀の言葉に、剛介は歩みを止めた。剛介も、まるっきり女に興味がないわけではない。ただ、女と知り合う機会が一向に訪れないのだ。
「芳賀さんの妹?」
「我々より一つ下で、
芳賀は、いたずらっぽく笑った。妹の願いを叶えてやろうという兄の思いやりなのか、それとも伊都への下心があるのか。芳賀の話からだけでは判断しかねる。
「会津では、女と口を利いてはならないのではなかったのですか?」
剛介は、呆れて芳賀に尋ねた。あまりにも有名な「什の掟」の一つに、「おなごと口を利いてはなりませうぬ」という戒律がある。二本松との大きな差の一つで、剛介が伊都以外の女と出会う機会がないのは、この戒律のせいもあった。
「もう明治だ。別に構わないだろう」
いけしゃあしゃあと、芳賀が答える。どうしても、剛介兄弟を引っ張り出したいらしい。
「それならば、七日町辺りを散策するという体でよろしいですか?」
仕方なしに、剛介は提案した。七日町には、近頃新しい店なども出来つつある。同級生とその妹と、伊都。兄弟同士で待ち合わせるのならば、あまり咎め立てされずに済むだろう。
「決まりだな。それでは、今度の日曜に」
その時、予鈴が鳴った。芳賀は弾むような足取りで、自分の席に戻っていった。のみならず、鼻歌まで混じっている。
(やれやれ)
成り行きとは言え、妙な事になったものである。剛介は、苦笑せざるを得なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます