第5話 バイト
俺はできるだけ早くバイトに入れてもらった。
同じシフトだったのは、フリーターの20代の若者だった。眼鏡をかけていて、親しみやすい感じの人だった。
「前田さんって、バイトするような感じに見えないですね」
「うん・・・ちょっと前までサラリーマンだったんだけど、メンタルの病気で」
「そんな風にも見えないですね」
お世辞かもしれないけど、俺は嬉しかった。
「そうかなぁ・・・記憶喪失なんだよね」
「いつから記憶ないんですか」
「8年くらい記憶がざっくりとなくなっててね」
「へえ。何かきっかけってあったんですか?事故とか?」
「それも覚えてなくて・・・」
店ではBGMが掛かっていた。
そこは大手コンビニで、変なラジオ放送みたいなのが掛かっているのだが、聞き覚えがあった。
「あ、このラジオ」
「ああ。いつも同じ曲ばかりで飽きるんですよね」
「この曲、聞き覚えがある・・・これって何年くらい前の曲?」
同じコンビニで聞いた気がする。ここは△△△だ。
「曲自体は2-3年前ですよ。△△△(コンビニ名)は毎週曲が変わるんですよ。でも、ずっとおんなじ曲が延々と流れてて飽きます」
「この曲をコンビニで聞いたことある・・・」
俺は確信した。8年間記憶がなくなっていたけど、その間はコンビニに行ったりしていたんだ。しかも、△△△に。全国に無数にあるこのコンビニに。一体、どこだったんだろうか。そんなのわかるはずがなかった。
俺はそのお兄ちゃんに自分の身の上話をし始めた。誰かに聞いて欲しかったし、何かとっかかりになるようなことを言ってくれないかと期待していた。
「これ、時間帯でも変わるんですよ。夜6時から11時までは、これですね。ってことは、仕事終わってコンビニ行ってみたいな感じじゃないですか」
「なるほど。仕事してたのか・・・。でも、覚えてないんだよね」
「でも、前日まで、会社で働いてたんですよね」
「うん。俺は残業して8時くらいに仕事を終えて、家に帰って一人で酒飲んでたんだけどね・・・すぐ眠くなっちゃってソファーで寝転んでて、朝になったら家族がいなくなってた」
「家族がガチでいなくなったんじゃないんですか?」
「でも、一晩で荷物みんな持って逃げるとか不可能じゃない?」
「いやぁ・・・引越しも、業者に頼めば数時間ですよ。僕もやったことあるんで」
「そんなことあるかなぁ。俺を家から追い出すためにそこまでする?」
「ええ。きっと、家からしばらくいなくなってほしかったんじゃ」
「でも、前の家の鍵もなくて・・・ポケットには今のアパートの鍵が入ってた」
「朝起きた時は前の家だったんですか?」
「うん。でも、朝ぼーっとしてたし、遅刻しそうな時間だったんで。慌てて飛び出しちゃったんだよね」
「鍵は掛けたんですか?」
「それが覚えてなくて。嫁が家にいるから鍵掛けないで出るくせがあったし・・・」
「ふむふむ」
「どう思う?」
「そのマンションって覚えてますか?場所」
「うん。俺がローン組んで買ったから」
「行ってみませんか?どうなってるか」
「行ってくれる?俺、何だか自分の記憶に自信なくてさ・・・初対面なのに、ごめんね」
「いいえ。僕、暇なんで」
俺は思わず笑った。どうやら本気らしかった。
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