3.3. 夏祭りを建て上げていこう

『花火團』は握手を頂いた時、いきなりお腹が空いちまった。その為、お父様とお母様が思いっきり働いている『あおゆみ』飲食店に行く誘いをあげた。彼らは早速同意し、三階ある空色と赤色だけに塗られた外壁や水酸化銅の色の屋根と共の和洋折衷の飲食店に行ってお父様を私達の督促で少し困らせたのさ。


『あおゆみ』はいつも通り湘南や横濱からの食客を惹きつけている。但し、和食だけを出すし、無礼で命令的な食客を追い出すのを励ますし、我が儘な外国人や海外向きの人などに断られる可能だった。でも、誰かは私の親の飲食店で食事した度に言葉で出来なく満足の顔で褒めるしかなかったよ。


 今お客の多数派が夏休みの為に旅をしているから、客数が普通より半分未満しか届かなったが、お父様とお母様は暇がたっぷりで私達と食事する切っ掛けがあった。笠人君の屋台に料理の原料を提供する話は三日間前早速助けを承認し、笠人君に5月28日に授与した一年期就職実習証書を住吉さんに更新して頂いたが、お父様の印鑑を待っていただけ。


 7月18日に、晴れて良かった。然し、八日間前真夜中まで考え続けていたのと同じ事情に落ちちまい、6時20分ぐらいに目覚め次第、まるで学校に遅刻しないようにするように、品物を円滑に輸入する機械らしく朝ご飯を完成させた。もし厚喜さんが睡眠中の私の体を良く揺らさなかったら、もう一時間掛かって起きられるかもね。20分しか食べ上がらなかった後で、彼は直ぐに見せてくれた、『江草えぐさ』の有名な服屋に特に縫って頂いた工事の服を。竹布で作られ、右で青と左で赤を塗られた菱模様の法被、黒い腰紐や、チョコレート色の短袴。工事中に汗によって邪魔されないのに男女に使われる制服になったが、女にすると、下着が必要。身頃だけで上着と同じような服や暑い天気に対し、キャミソールに限るの。


 駐車場で私だけでなく残りの47人もわくわくさせるはずは、昨日言及した未公開の二台の自転車。日光を反映する黒い新型のタイヤが最大のサイズまで窒素を入れられて競技選手の脚のように硬くなった。水牛の角のようなハンドルが運転をさっぱり支配する為にタイヤをゴム紐で繋ぎ、右にあるお猪口のような鈴を添付した。この自転車は全体を黄と緑の線引きしたし、サドルを15センチほどで低めたし、運転手の後ろでもう一人或いは小さな物を乗せる為の一席を加えたの。そのハンドルの上に掛けてあるのは水色と芝生の色に3÷4の割合で塗られた二個の冒険帽で、先輩達に『大変労働向けアクセサリー』として作られたようだった。


 その帽子を被り紐を整理した時、思った通り私達の開発中の頭が窮屈する気がせず良かった。お父様とお母様も丁度良い時間で出掛けようとしていたに当たり、私達はお父様とお母様が盛んな自転車に乗り一緒に運び始め次第、自分の自転車のサドルに安定し、ハンドルをしっかり握り、ペダルを漕ぎ始めた。


 やばっ、本当やばっ。ペダルを完全な円形に踏んだ毎にタイヤが馬車の車輪らしく5mほどすらすら転がった。群青の襷も髪束と共に速度に従い、揺れていた。粗くて滑らかな道の上に脚と腿の力で家並みと田圃を越え、自転車も乗っている人々を追い越したり、前で突然に障害物となった通行人と子供達に危険を戒めたりした。セーフだったら、振り向き自転車の速度のせいに謝って挨拶した。


 田圃だらけの風景が覆い掛けていた。横濱行きの道路へ運転しているところを、二つの田圃ほど離れる枝道らを渡っている私達の友達が見えた、同じ自転車を通じて。同じ格好だから誰もの顔が互いに分からなかったが、皆がわざと腰を少し上げペダルの回転の周波数を倍増やしたのが分かりやすかった。


「雨降らへんで良かったな」


「降恆君と競い合いてえのかい、お前は」


 その二つの声が後ろで出てきて私を呼び、智埼ちゃんと純彦君の声だけでなく、高橋ちゃんと橘君の声もだった。彼らが速度をいきなり増やし先に行き次第、彼らに劣りたくなくて同じ道路の上の競技となった。散り乱れたにわたずみやぬかるみだらけの道を渡るのはタイヤの品質を上手く確認し、果たして皆が精々靴と短袴の折り返ししか汚さなかった訳。


 数十の枝道と交差点を渡ってもっと多くの同じ服のと出会ってから、遂に大きい道路に出てきた。酒匂川に沿って一団に運転しているところに、数艘の丸木舟、停止を信号している作業員の服の数人、そして向こう側にいた白い狩衣の姿の神主の団体が見えた時、橋を架ける場所に着いたと気付いた。作業員の姿の原崎さんと森本さんの指示の下で、私達女性は南口とするここで止まらせる一方で、純彦君達は北口に届かせたの。人力を配分し、予め建てられた隣の駐車場に女性達の自転車をしまう前に、教室の手作りの女神と称えられる長谷川ちゃん、桐谷ちゃんと松山ちゃんは黄色く刺繡された銀杏の模様の厄除けのお守りを皆にゆったり配ってあげた。


 漕ぎ手さんによって、客船の長さの半分ぐらい広い酒匂川の部分を全員が簡単に渡って川沿いを踏んだ。栗園くりぞの神社の城田政壽郎しろたせいじゅろう神主達のご案内に従い、私達は靴を清浄の為に脱ぎ、巫女さんの箱に入れ、携えられたお手水で洗い、無人の草原の中心にゆっくり歩き入ろうとしていた、まるで聴く人を爽やかにさせる曲のピアノの鍵盤のリズムを真似るように。純彦君達に再会した時、私達は巨大な円形に性の互い違いに下の草が土から抜けないように正座をした。この地は購入されたとは言え、誰でも住む意図を持っていない地なので、ここの万物に気を付けた方が良い。


 儀式の始まりに、お禰宜さんは私達に縦目の紙を与え、自分のご要望を書き出して頂いた。少し違っても、「建設中も開催中も誰でも残念な事故に合いませんように」という同じお祈願を含んだかも。


 そして、私達のご要望が毒の棘じゃないのを明かす為に、林も川も空中もから風を全部集合するように、大幣をふわふわ揺らし、数回も身軽く周り上がった。次に、お巫女さんはこの無人の地を守護していらっしゃる神様に私達のご存在とご計画を無形な波の姿にして神楽と申す踊りを通してお伝えしようとしていた。


 私達のご要望を含む祝詞を読み上げて下さった上で、城田神主は金幣をそれぞれの私達の頭に揺らし鳴らしていた、私達に神様のご承認をお受けして頂ける為に。そう、神様からのご信号はすっかり受け取るには誰かとか何の動物とかを生け贄にしたり、大枚を奉納したりすることが要らぬ。美術の感を満たす白拍子殿のような柔らかな足踏みと手振り及び、夏の気流を迎える風鈴のような優しい揺れだけが済むでしょうね。手を合わせて拝むのもう儀式を終わらせることになった。長靴を履いてから、神様の地に真剣にお立ち入りする鳥居を立ち上げていく。120mの範囲の夏祭りの敷地を定め、大人の身長の2÷3ぐらい高い垣根を作業員達と一緒に二時間だけ立て切り、私達の縦目の紙を掛けた笹を真中で挿入した。


 10時38分に、浮世絵にあった景色が見えてきた。中断されずに川の両側を繋いだ丸木舟の並びは、一つに合併したような3艘に形成された集団達の並び。集団当たりは二人を乗せる先駆の舟、木材や強化の原料を乗せる中間の舟、もう二人の監視者を乗せる付き添いの舟だった。距離が著しくないほど3艘が近くなったから、油断しない以上、素材をここに円滑に運び上げられるでしょう。果たして、鳥居の骨格と呼ばれる檜の12丁の切り立ての木切れは、5mの長さ、20センチの直径の丸棒で、両方で上手く運ばれてきた。さすが篠崎家の木工さん達の腕だね。


 最も運びにくい作業台が最後に運ばれたと共に、鳥居の作りが開始出来た。まずは、それぞれの木切れに鳥居の部分の役割を配り、彼奴らの皮を砂糖キビのような肉が出るまで剥ぐことにした。


 鳥居の柱は4mの高さを決めといたから、1丁には1mぐらい切断し、笠木と島木をぎっちり打ち込む為に、20センチのほぞをまっ四角に作り、次の70センチの位置で貫と楔をぎっちり挿す為にポケット瓶の形の穴を開けることになった。


 笠木は神聖な入口の屋根として現れる為に、10センチ細くなって両側の端が羽ばたく翼のようになるまで鑢と鉋で削った。


 笠木の台座として島木はその翼の着陸場となる為に、なるべく平らに研ぎ、丸棒から角棒まで削った。


 槌の音が時計の針の周期のように鳴りつけ、「ドン」と「ボン」が鳴った毎にそれぞれの木材がぎりぎり数センチ繋がり合い、やがて彼奴らがちっともずれずしっかりしたと、4.2m高くて3.5m広い鳥居の骨格は一日中出来たの。


 7月19日に、鳥居を彩色し立ち台を造るよ。笠木を伝統的な黒で色付いた一方で、鳥居の体が橙色で彩られ、二時間掛かって塗り抜いてもう一時間干すことになった。そのうちに、私達は先日廃棄とされた木片らを使い直し、主柱が寂しくなくもっとしっかり立ち上がる為に、控え柱を造った。芦川家が製作したコンクリートの根巻きは立方体の頭部で、円柱の身体で巨大なねじのようだが、控え柱を刺し次第、抜けないシャンパンの栓となった。


 鳥居が沃土で横になったまま、鳥居を魂らしくする為に、神額を彫ろうとした。鳥居の部分を作るのにただ直線に手が震えない限り削ったが、神額が出来る為に、海岸を打とうとする波紋の形に額縁を作り、暗い青に塗られた背景の真中で『若原屋わかはらや』と申す文字を、墨も一雫さえ残し散らさない書道のように彫った。


 綱を貫と主柱との交差点といった二つの支点に結び、柱らを握り締め、鳥居を梃子にして立ち上げた。中間の若者達や両側の経験者達の配分からして、根巻きが土をぴったり刺したに伴い、鳥居も自ら地面に刻印し、翼を広げて見せた。


 二つの鳥居が成功に立ち上がったと共に、北方と南方でも架け橋を施工することも進んでいた。海老の背中の形の道路は、細い直線で離れる礫岩の断片らにコンクリートとアスファルトで舗装され、階段の形に並ぶ10層以下の敷板、梁と桁に一生懸命に持ち担ぎ抜いて貰った。


 7m深いと測った河底を踏むには、足指として焚き物のような四本の楠の丸棒が組み合う四つの脚を貰ったね。山口家の会社に共同事業を行なっている木下家の作業員達は森本さんの請求によって橋を架けるのも、敷地への道を建てるのも協力した。15年以上の経験を持ってきて、自分の作品を滅茶苦茶にしたり、人々を大変怪我したり、川を大変汚したりしないことという原則と共に、人混みの質量と道の材料の圧力と風速を橋がどの限りに耐久出来るか計ってから次の段に移ったの。


 鳥居が完工した二日後、私達は長谷川家の建設作業員達と一緒に階段と入口と敷地を敷く。その長くて滑らかで草が濃い坂を野菜を刻む包丁ぐらいの鎌で緑が薄くなるまで剃り掛けた。


 80センチ広い剃り済みの部分は、畝を耕す鍬でもう一つの5センチの土層を剥がした、草の根も抜き出されて虫が住んでいる土が残るまで。その虫の群れを追い出した上で、坂の土を階段の形に各段で下駄がきっちり置かれるようにまっ四角にした。


 土を固めるには鏝を通して分子との隙間が縮むのを保証し、三次元で土を伸ばしながら転圧した。


 ちょっと叩いたと石膏のように固い気がした時、さっさと各段の面を埋める象牙色のタイルを土に直本さんの接着剤で固定し、モルタルで彼奴らを組み立て、階段がもう出来たの。


 鳥居に導く入口は階段のと同じ手続きをしたが、頭脳に血を提供する六つの枝に中間で割り合う動脈の姿だったし、タイルが五倍小さくされ、魚の鱗の模様に互い違い三原色に組み立てられた。


 やっと頭脳に到着しちまった。7月26日に、階段と入口の安定性を作業員達の数十個の木材の配達に渡って試した時は、彼らの爽快な足踏みを見ただけで安定性が有効だと認めた。その直後、この草原に光を閃かせる為に、電灯を立てることにした。ロンドンの街の古風を少し混ぜた風格に電灯の外見を酸化銅の蒼に着せ、頭部を灯籠のようにし、後で電球を入れ次々の電灯に電線で繋ぐのだった。これらの道に沿う電灯、『歓迎の門』の両側の電灯、そろそろ広場になる地の電灯は梅雨が一週間明けたこの間に全て建てられた。


 電灯を目印にしたなら、敷地と屋台を建てよう。校庭ほど広い敷地では、まず階段と入口を造りに残った土を粉まで潰し、きっちり周りに撒き囲んだ。その先、『耕す』のを担当する62人は敷地の両方で分け合い、南方の人は北方の人の立場へ移りながら草を立たせる土層を掘り出し、北方の人は渡した鋤で南方の人の立場へ行き返しながら粗い土塊を抜き出し、平らな土層を固めた。


 一方、残りの12人の部外者は手押し車で出番を取って掘り出された土を河川敷へ集め、そして石の板を持ってきて、双方向の交通の模様となった。


 もう四日間掛かって陸上競技らしく土に『皮を削る』のをやり、灰色の板をみっちり組み立てたと、夏祭りの敷地に新しい顔をあげたよ。さー、『花火團』の屋台を立てて見せよう。五つの専門に基づいて開こうと思ったが、全ての屋台に外面も仕組みも同じ。


 数十枚の木板の集合には、床を造る倍厚い物、売り場向けお金と道具の収納の為の倍薄い物、外壁や連続ゲームの中間の壁を造る合板、上の屋根や下の敷地としっかり繋がる傾斜板を造る物があった。


 しかも、毒性のある気体に取り組み、部屋のような雰囲気で窮屈感を下げる為に、通気用の管らが必須で屋台の隅に設置されといた。槌、釘、樹脂や汗で屋台の一般的な形が出来たのわ。


「では諸君、是非ご金額をお賽銭にさせて頂く求めでございます」、篠崎君が売り場に入り禰宜さんらしく言った、屋台を品質を確かめる為に揺らし捲った後で。皆は無論、屋台の貯金箱に自分にとって幸いを貰うと思うお金を入れといた。平和な生活を期待させる5銭とか25銭とか115銭や、良い縁起を引き寄せる50銭とか1圓とか125銭などが入れられた。あの面白い休憩が終わったと、皆はベンチを作る次の手段を始めた。船に乗った頃の私達の写真に基づき、大工の職人達がベンチを最低でも三日間掛かって作り上げたよ。鉄を打ち曲げ要らず、木材こそを数枚の板を接合し、手摺りと脚の形に削り込み、亜麻仁油を持って丈夫にした時、結果は広場を照らす電灯の間に成人の五人が座れるぐらいのベンチの列が置かれたよ。


 そして、六つの組は自分のセクションを立ち上げる時間だ。降恆ちゃんの案内係の組は夏祭りの経過の管理を担当するという一番大事な役割によって一番多い人数や一番多い拠点が当たり前だった。


 出入口の管理、健康の管理、秩序の管理の為に、彼女は入口の両頭で二つの拠点、澁薙君の屋台と舞台の両側でもう二つの拠点を配置しといた。それぞれの拠点には外観には受付台、内観には五枚の担架、医療の道具と薬の収納棚、殺菌のセクションや十台の病床。大量な医療の設備なんて東京大学からこそね。


 また、日向町長の協力で、橋を架け始める時さえも警察がここに参り、あまり車と通行人が多く往来していない道路や、鳥居から敷地まで検察し、屋台造りにも同じ作業員となって随分助けて下さった。彼らは確かに少年祭以来、私達の団体にちゃんと目を向けているかもしれないね、彼らの家族を楽しくならせたし、廣瀬君を大人らしくする為の悪戯に彼らに補助して頂いたことによって。そもそも武士達の乱暴が田舎で良く発生している事情だから、祭の間に警察が降恆ちゃんの組の傍にいて意外の不安定を防ぐに決まっている。


 夏祭りの敷地が形成されたに当たっては、いよいよ降恆ちゃんの『鳥居の引き札』を配達する切っ掛けがあったよ。吉岡家の印刷所が二日間経って数百冊の引き札の集ばかりを複製し、二つの学校の一番熱心な教師達が力を出し、神奈川の全県、駿河の地域や南東京でさえ、二週間以上、車夫さんの力を借りたことから列車に乗ったことまで、引き札を散らしたの。その際に、先生の皆は恋人とか家族とか親友と一緒に旅をやるかもしれなかったが、主に居民に手伝って貰い、引き札を壁に貼り付けたり、通行人達に渡したり、更に文学の強さを利用し魅惑的な言葉を広告に言ったりしたそうだった。先生の皆は一体そんな唾の量を何処から得たのですかね。


 こんな催しにトイレとゴミ箱はないと違反。だから、皆の排出物によって雰囲気を汚くしないと共に折角土を掘り出し水管を入れないように、ずっと前から信用になっている活性炭は最高の方法。それで、ゴミ箱は緑で塗られ、蓋の下側に細かい活性炭の層を敷き、それぞれの屋台の入口の両側でも、案内係のそれぞれの拠点の内装でも配置された。トイレは二つの入口の側に二据、澁薙君の組のセクションの両側にある案内係の拠点の側に二据配置され、より複雑だから、身体からの排出物を管理出来るように、まず排尿や排便向け便器を配分し、竹の管ぐらい大きい出口で流される小便には男向け壁掛け式や女向け台座で、それと同じ出口で連れられる大便にはただしゃがみ式だった。


 排出済みの小便と大便を農事に向かって再利用するのは、臭い匂いを収める活性炭のみならず、機動的な消臭器も、この田舎の凄く潔い川水も利用する。消臭器は巨大な恵方巻きの格好で、匂いの濾過の四室の構造で、三門に区切られ、『活性炭→沸石→竹炭→活性炭』の順番を守り、小便と大便にも3分以内で各室で消臭され、次の室へ移動されることになった。


 流す水は昼で各据で少なくとも100ℓ収納され、排尿に3ℓと排便に6ℓバルブの連続開閉に汲み上げられ、便器に繋がったの。更に、皆は流す為に、便器の上の水管の蛇口をどの向きにも直角で捻って良く、そのうちに蛇口が梃子の原理で小窓を引き上げる水を流し切り、自分自身で元に戻ると共に振り子の原理で小窓を押し下げるものだ。やがて、尿素の濃度が下げられた小便そして、有毒なメタンと硫化水素と有害な細菌が吸収された大便は、効力満々の肥料になり、有機化学界の『宝物』と認められるでしょうね。


 純彦君の組は体力をあまり使っていない様子だったが、脳にとって別に圧倒的な力を貸して貰ったということだったね。


 籤に入れる問題集は詰まらない演算ばかりじゃなく、引き札の作りの絵の技を再び使って画像化したり、面白そうな或いは出鱈目な物語を紡いだりした。百問題を演じる百枚の絵の集は波の重なりのように折り込み、扇子と同じようになるのに二本の板に貼り付け、それで問題を出す度には扇子を開くことに似ている。


 物理の組の手伝いで、数個の球を竹から作り、円卓の真中で、百の型が百本の扇子をぴったり設置するのに彫られといた車輪を作り、風に振りそうな鬣のナイトの駒の形に回転軸の頂点を形作った。この車輪を思いっきり廻したうちに球を投げ込んでみてから、かたかたする音がばたばた鳴ったその球が車輪の速度を届け回転を段々止めるという結果が出てきたら、ルーレットが出来たと確認したの。


 数学を美術的にする折り紙と切り紙の屋台では、色が多い用紙の積もりが吉岡家や廣瀬家に運ばれてきたが、祭の開幕までしまわれていた大部分の一方で、残りが飾りの為に使われ、壁と屋台の外装に掛けられた。それに、日向ちゃんと貴島君は紙の作品で皆をわくわくさせる為に、物語を三次元で伝える『紙芝居』という小さな舞台を組み立て上げたの。


 全国少年数学大会は今回は5回目で催され、5月の第一段と11月の第二段で分け合われたまま、都道府県の代表としてたった一人の出場者の代わりに二人の相棒が参加するという今年の新たな決まりが出てきたよ。第一段は数字そして誰でも握れる数式についての挑戦だから、私と彼は結構見やすくない目に遭っちまったにも関わらず追い越し大会の第二段へ進出出来る点数を得た。あと三ヶ月の第二段は幾何学の挑戦で、これから純彦君と私も幾何学の問題で頭の力を試そうとする特訓をしていくのね。図形達の方が解き方が見つかりにくそうでしょう。


 物理の組は物理の魂である方程式を利用するのは勿論、屋台を富豪だけが乗れる列車の体育館にしようとした。全く夜で開かれる夏祭りの為に、電球そして『栗鼠輪檻』を中心に、古典的な街灯を入口の両側で立ち上げたし、屋台の内装でも前でも4mの高さで数十個の電球が配線に繋ぎ吊られたし、大舞台で数個の提灯に火に代わって電球も入れられた。もしある気球が出て私達を乗せたら、この敷地がやがて暗い荒野の中心にある巨大な蛍と見られるかもね。


 けん玉は上下の皿に玉を安定に落とすという最低の基準から、童謡を歌いながら躓かずに玉を両皿に移し終わりに先端に着陸させるという最高の基準まで、ずっと遊び人を挑むものだね。


 火起こしは暖炉や煙草のパイプなどに用いるマッチ抜きで、遊ぶ人に原始時代の人間が生存の為に出来た同じことを挑戦し、あの頃の人間が最初の発明を生み出したうちにどれほど誇らしい感じがしたのを理解させたの。


 射的のゲームはおもちゃだけという目的を倒しご褒美にする為に火薬の恐ろしく強い反力を百倍減少したが、手があまり震えないに従い、目的の心への目線を調整し引き金を引く仕方に遊び人が格好良いガンマンとなれる十分なの。


 連続のもう一つは、足の力を試し機動的にする蹴球の番。ここの草をイギリスでの蹴球コートの姿に刈り、ゴールを作りに綾取りをやる紐を使った。誰かが熱心にボールを蹴ってまでゴールに入れる代わりにコートから飛び出しちまう場合、四本の6m高いの電灯に付けられる大きなネットが周りにボールを捕まえようとする。


 ボールというと、家畜達の遺体の皮をボールの素材にしたね。柔軟化と清浄後の皮を数枚ぎっちり組み立て縫い付けたら、ボールの南極に残した穴にゴムの小さな栓を入れ、その栓にボールの皮が硬いほど膨れるまで空気をゆっくり注入することにした。これは井戸ポンプに似ているが、直角でハンドルを押し引く仕組みにしたよ。


 力学の屋台から電気学の屋台に移る。参加者が電気を安全に作れるようになる為に、テスラ殿の発明界の入場前ずっと信用されていた直流電流を利用するようにした。私のうちの実験室の仕組みを持ったことで、必要な道具を準備し、電気絶縁を保証し、回路が正しく組まれたか確認し、アンペアメーターとボルトメーターでパラメーターを読むという段階を勿論守ったの。


 疲れそうな二つの体験後、イギリス人らしくお茶を沸かしゆっくり啜るのは体をまるで水溜まりに溶かすように緩めちまうと思っていたよ。この屋台でイギリス人のお茶に限らず国の茶道も中國人と朝鮮人のお茶も教えるもので、高橋家と池澤家の店に提供して頂いたお茶も庭で育てたお茶も販売しようと思った。そして、参加者も担当者も熱動力の実験のようなお茶作りを行い、水の蒸気がやかんの注ぎ口を迷惑な音と魅惑な香りと共に出ていった時にお茶を味わっても良い様子になる訳。


 化学の組は他の科学と繋がる橋を架けるという化学の役割を担っている。智埼ちゃんの組の屋台には案内係の組と物理の組と舞台の組に重要に役立つ素材を作る装備があったよ。


 化学の組の連続体験の屋台では加熱と鍛錬の技術を巡る三つの活動が並べられた。粘土を形にするという暇潰しの活動の一つから、陶器とガラスを出すという芸術家の腕次第で上品となる求めを持つ活動までは、刀鍛冶或いは中古の錬金術に比べると、参加者の力を挑むとなると、五分五分でしょう。筋肉が付く作業員達に適切なその仕事によって、窯は野外で置かれなければならないこと、蹴球の問題と同じ。ある富豪な船の底で炭を注ぎ捲るなんて誰でも絶対したくないもんね。


 次の屋台では、複雑な原料から化粧品の作り方を教える代わりに顔をケミカルの副作用に影響されずに美しくする方法や、自分に似合うと思う服を選び方に従い、参加者がエレガントな外観を見せることになる。鳥や花や葉などの色んに派手な柄を刺繍された数十着の和服は一列に掛けてあるし、畳んで積みとなってあるし、屋台の床を全部覆った畳と一緒にここを豪華な呉服屋に変えたらしかったわ。


 化学の名物である魔術っぽい実験の屋台では、加藤家と緒方家の芸術家に繊細に生み出されたガラスと磁器の器具は役割によって配分した。ケミカルを収納するにはガラスを信用し、ケミカルの安全性によって注釈付きで棚或いは倉庫にしまうこと。そして、燃焼、蒸留、中和、分解、溶解といった反応と関連の手続きに沿って、ガラスと磁器のみならずアルコールランプ、マッチ、指示薬、洗浄剤も備えなければならないこと。


 智埼ちゃんの組こそ打ち上げ花火の演奏を担当していく。夏祭りの開幕の前の二週間経って、黒色火薬の大量は湘南と箱根の全域から運ばれてきて、色を出す為にその倉庫にあった様々な金属と混ぜ合わせられ、『火薬化』した籾殻と一緒に一個の花火玉を形成されたよ。花火は誰でも幸せになれる爆薬だが、空気と草と川水を汚す物であるから、その恐れを出来る限り減らす為に、花火玉を小さくし、高く打たざるを得ないのでしょうね。


 いずれの催しにも最も困難な仕事は案内と調理に相違ない。料理長としてお客様の注文による圧力が良く分かった笠人君は厨房の雰囲気に慣れていないメンバーに最初の十日間だけでその圧力を体験に『稽古』を行い続けていた。笠人君に何度も注意され叱られずにいられないにも関わらず、料理の組は家庭料理のままに腕を硬く向上される教え方を守り、期待通りの製品を出すことが出来たのね。


 お父様の熱心な協力によっても、相模湾の海浜とか牧場からの肉や海産物の大量が『あおゆみ』の名義の下で運ばれてきたので、笠人君は全ての倉庫に氷の大量を入れ、あのアイスの背嚢を更新するように室温を守ると共に日光を突き通らせないようにしていたよ。


 お腹を拵える軽食は焦がし物、揚げ物、涼しい物で、味を立派に理解させる主食は丼物、炒め物、汁物、焼き物で、そして甘さを楽しませるデザートは和風と洋風で分類した。食べ物のそれぞれの種類が屋台の側の献立表で示された。


 お客様が歩き或いは雑談しながら食べることに対し、陶器を分別する板紙で茶碗を作った。それで、お客様は食べた上で、その茶碗を封筒まで折りゴミ箱に入れられるし、ゴミ箱もそれからも再利用可能と再利用不可で分類となる。なお、出来立ての料理の暑さそして冷たさが邪魔しないように、一枚の薄葉紙を茶碗の底に貼り付けた。特にジュースはグラスに口が触らずに飲む為に初めて麦の幹でストローをも作ったの。


 夏祭りの心臓へ飛び込んでこようわ。澁薙君は果たして自分の専門を巡って屋台を建てないたった一人のメンバーとなったにしても、音の組み合わせを好むので、皆の心の傍にずっと立つ音楽へとの傾向を担っていく。


 舞台は上部と下部で良く分別された。上部では踊りに拍子を与えて盛り上がらせる太鼓そして踊りの交響曲を奏でる和風と洋風の楽器が設置され、小田原の学校の音楽部のメンバーに弾かれてくる。下部ではフランスの三色旗と同じような青、白と赤で縞模様に彩られた大幕が襖の役を担って、全ての演舞にとっての化粧と服装と心の覚悟が行われる内装の舞台裏を外に隔てる。


 残りの二つの屋台では、参加者は生物学の組そして音楽部のメンバーの指示に従い、自分が欲しい全ての楽器を弾いてみて良いということ。舞台の左側はピアノ、バイオリン、トランペットといった洋楽器で、右側は笛、箏、三味線といった和楽器だったよ。上手く弾けるようになった参加者が音楽部と一緒に舞台で演奏しても構わない機会もあるから、オーケストラの雰囲気に慣れる為にとにかく練習せずにいられなかったものだ。


 踊ることと演奏することといえば、音楽部と舞踊部は東京大学の協力のお陰で、大変助け合っていたの。一週間で夜毎に独自な踊りを演じる為に、全国の伝統的な踊りを研究し、東京大学の音楽部の先輩達と一緒に七つの独自な楽譜そして応じる踊り方を作り出し、オーケストラが舞踊の団体の拍子を操れるまで、その楽譜をオーケストラに応用してみると共に踊り方を演習したの。


 但し、その七つの楽譜だけを気になったら、演奏の多様性がなくなっちまうから、色褪せない和風や西洋の有名な作曲家の作品も奏でられなければいけない。それによって、一週間で皆の音楽の興味を満たす為に演奏される予定の作品の数は夜毎に少なくとも七曲となる可能性が高いわ。


 敷地の建設に渡って、舞台がまだ建設中で楽器がまだ入れられていないとしても、数十人の舞踊の団体は早速よさこい踊りや阿波踊りや北海道の漁師達の踊りなどに沿って荒野な芝の上に夕暮れまで思いっきり叫んだり、手を伸ばしたり、回したり、足を踏んだり、跳んだり、位置を互いに交換したりしていたよ。両方の楽器が団体の踊りに参加した時はやがて団体を意欲満々と踊らせただけでなく、残りの組をやる気満々と最後の手続きまでやらせたのさ。大抵は彼らの演習を一見しただけで、働く途中で彼らの振る舞いを自ずと真似たり、叫ぶ時の言葉をも自ずと言い出したりしたのもあったの。


「よさこい、よさこい」とか、「おいよっしょー」とか、「どっこいしょー」とか、「ええじゃないか」とかもね。それのお陰で、8月19日に、全ての屋台、舞台、トイレ、花火と配線の品質をもう一回試した上で、私達はそう叫んだ、「出来た————」

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