第三章。鳥居の引き札
3.1. 越川家の豪邸にて
「原崎さんはまだ館に帰ってってないはずだから、僕は通知の申し越しを書いてツグミちゃんに結んで彼に届けて貰う」
澁薙君はカウボーイの上着の左下のポケットから紙を出した。「原崎おじさん、僕達の会議はおしまいになりましたところなので、近くの何処かで待っていましたら、僕達の場所にご到着し、昼食に館にお乗せ頂いて宜しいですか?皆をお乗せする為に、馬車の席が足りると期待しています」と書いた。ツグミと名付けた椋鳥を召し出す為に、モーツァルト殿のピアノ協奏曲第十七番の第三楽章のリズムをオペラの声で奏でた。30秒だけぐらい掛かったと、あの椋鳥は北の林から戻ってきて、原崎さんの所へ送信すると覚悟した。
降恆ちゃんを除き、私達は家族にお知らせを送らなければいけないことになった。秦野で三日間宿泊するだろうと思っていたから、お父様とお母様にとって「私は澁薙君の家に泊まりますので、恐らく明々後日の朝までに帰ってくるかもしれません。昼ご飯と夜ご飯に飯を半分切っても大丈夫ですよ。この際に、お父様お母様も二人っきりで愛情をもっと濃くする機会で、私に心配を掛けずのんびり待って下さいね」という内容を欠席届として書き、越川家の御曹司の号令の下で机に集まってきた一匹の鴉に渡邊の家への送信を任せた。
原崎さんの馬車の到着を待っている間に、河川敷に座り、年初以来関東の皆を呆れさせていた事件についての記事を考えといていた。放火団体のメンバーの珍しい不器用さのお陰様で、残されちまった痕跡に基づき、西郷隆盛殿が他界して以来政府の親切な待遇を受ける代わりにまだ造反し続ける武士達かもしれない正体を警察に見付け出された。西洋の銃と大砲をきちんと装備している政府の軍隊に反し、刀と弓矢を使ったままの代わりに、彼奴らは時代の流れを自認し、刀と銃ばかりか、火薬もさ。
「ムラマサちゃん、どっかを眺めてんでしょう?それとも、まだあのこと考え掛けてん」
「そうよ、綺麗な姿を穢した侍達のこと。覚えてんのね、チサトちゃん、私の誕生日パーティ後、泥棒で変装した武士達は私の家に闖入して、無茶苦茶にしようとしたが、丁度良く私達親子は激しく阻み、警察に知らせながら彼奴らを拘束したこと」
「勿論。貴方だけちゃうく、少年祭を司ったカサト君と純彦君も襲われたの」と言った智埼ちゃん。笠人君と純彦君は戦中に西洋らしい祭を開いたせいで、彼奴らの最初の被害者となったの。祭の終了の六日後、彼奴らは松兼家を狙った。綺麗な洋風の台所をぶっ壊したり、お母さんを脅かしたりしても、笠人君は二年間学んだ武術で彼奴らをぶっ倒した。もう四日間を過ぎたと、あの卑怯な武士団は絲島家の焼酎製作所を掻き乱し、蒸留中のお酒を通じて全部を燃やすつもりだったが、絲島のお父さんの贈り物らしい聴覚のお陰で、起床した全員が彼奴らをぶっ飛ばしみっともなく逃げさせたの。
「彼奴らの訪問はうっかりして私達が折角学んでる武術と軍事らしい戦術を見せ付ける機会を与えてくれたでしょう。スミヒコ君の事件の後で、次の数回に闖入する場合を取り扱う為に、私達は鍛冶と越川家に本物の刀と銃を作って貰ったり、爆薬の守り方を教えて貰ったりしたんだって」
「ったく、あの時、あたし達は貴方のお母親と一緒に、九人の武士団の囲みを解きつつ貴方の家の財産を無うさへんようにしたん。宴終わったところで皆帰ってく振りをして、庭のどっかで待ち伏せて、号令があったと一斉打ち返そうとしたわー」
「おっ、私の悪魔らしい言葉と、笠人君の異常な筋力のせいに、彼奴らの顔が青白くなっちまったな。そう言ったら、たった一人の笠人君すら自分の家に突入した武士団をぶっ飛ばしたものだから、沢山のアイスを含む鉄の背嚢を運ぶのは驚くべきじゃないの」
「ひひっ、『花火團』の一番強いメンバーであるさかい。この力があれったら、将来絶対にぎょうさんの女達に慕い申して頂けんで・・・まっ、貴方の家を襲うた数日後、彼奴らは残りの家をもう襲うつもりやなかったなー」
「うん、どうせ彼奴らは愚かな犯罪者じゃないから、私達を知ってからでないと、絶対に無欠に逃げる訳なかったの。貴方がケミカルが一杯の実験室を建てたことと、戦の武器や生活の道具を製作して富豪になったナギ君の家族と、国の交通に影響を与えた降恆ちゃんの家族を彼奴らは知ってるはずだから、じっくり防具を着けたし、私達と小さな戦いをしたのさ」
「そうやな。彼奴らはどろどろ溶けて焼肉の匂いを出す顔と逃げたけどらへんわ。眠れへんくなってまいそう」と智埼ちゃんが言い、二人共がにたにた笑った。武士達の問題を脇に置いといた方が良いのね。
遂に熱心な原崎さんの馬車は到着した、一輌じゃなく二輌になって。皆は自分の道具を整頓し、てきぱき馬車に乗っていた、並びの規則をまだ守って。純彦君は机の引き出しからバイオリンと篠笛を出し、机を紙のように折り、携える黒板ぐらいにさせた。私は智埼ちゃんと純彦君と一緒に、原崎さんの部下の長谷川光史さんの馬車に席を安定した一方で、豊かなカップルと笠人君は原崎さんに乗せて頂いた。四頭の馬が手綱の弾力で嘶き皆を秦野へ列車のように乗せてきた。
右の樹林を越えている真中、あの薄くて腐りそうな橋を良く見たり、南口とする橋を架ける場所をあれと240mぐらい隔てるのを決めたり、純彦君と智埼ちゃんがバイオリンと篠笛でチャイコフスキー殿のピアノ協奏曲第一番を演奏するのを観たりしていた。むしろ携帯出来るピアノが発明されれば、その二人共と一緒に三重奏と完全になったら良かったな。
秦野は小田原の地域を小さな山脈で隔絶しているし、豊かなカップルの豪邸に着く為に、十年前本営と家を横濱から引っ越しした山口家が大勢の作業員を雇って建てた峠を渡らなくちゃ駄目なの。この8kmぐらいの峠は椈と松の森を貫き、まだ街路灯を両側で付けていなかったから、夜に獲物を狩る動物や亡霊達などの理想的な居場所となり、薄暮から翌日の暁まで誰にも必死に渡る大胆がなかったものだ。通行人の恐怖を利用し尽くす為の旅館が山の下で建設され、開業されたという訳ね。
山に横になっている南米の錦蛇と同じような峠を15分ぐらいだけ渡った。引き継いでいる野草をもっと渡り続けたと、二個のソーセージーに囲まれ卵白が黴に良く覆われ卵黄が段々広がり白に変わっている巨大な目玉焼きだと都市とか居住中とかの人々に描かれた秦野は目の前にあった。丘を降りたままに、上半身が窓の外に向かって楕円の草の絨毯の真中に立っている澁薙君の豪邸や、遠くの東の数百メートルで正方形のコンクリートの敷地の真中に立っている降恆ちゃんの豪邸が見えてきた。
越川家の豪邸は尾が半分縮まれる逆のTの形や三階の標準で建設された。琥珀色の煙突が主軸の三つの所の両側で立ち上がった屋根は群青の瓦で最も細い隙間さえもないほどぴったり葺かれた。窓はという関数の放物線に作られたり、一室二枚に配られたりした。階を分ける木材の境界線は漆で塗られ、煌めく行燈で飾られたし、バニラ色の壁はまるで0.5mぐらいの立方体の塊で組み合わせられたようだった。フェンスは合計で186本の槍と同じような鋼の延べ棒らで、刈り込んだ草の帯を真っ直ぐ突き刺さった。
正面の南口の両側で迎えてきたのは、執事の夏服の格好で冷たげだが雅やかな顔を持つ二人の勤務員のお姉妹、
原崎さんが常に挨拶を返し、「お子さん達が三日中我が家に泊まりますので、いつも通り仕事の空間とお風呂とご飯お準備しておいて頂きますね」と求めた。
「畏まりました」と土屋姉妹が答え、原崎さんが東口へ行った。
私達が降りたと、土屋姉さん達は顔が温かく変わっちまい、うちでお坊ちゃまと呼ばれている澁薙君が出ていった時にお湯と食べ物をちゃんと設置しといたと沢山の興味で話したよ。姉さん達と家に入っている間に、右の庭で花の世話をしている澁薙君の兄の
「よっしよっし。皆もう疲れたり、汗を臭くかけたりしたから、じゃあお風呂に飛び込むぞ」と澁薙君が言ったと、羽月さんが早速東北の浴場へ皆を導いてきた、陽毬さんが昼ご飯を準備していった一方で。浴場、花庭、駐車場、倉庫と野外の食堂は火山灰と沙石と玉石をセメントに混ぜた道で家に繋がっている。その道らも川のように四つの入口に繋がっているし、雨が降った時に一階目の境界線から機動的に引き出す木材の切妻に遮蔽されることになった。
私達は一人ずつの汗の臭さによって離れながら互いに覗き見せずに服を脱いでタオルを取った。イゾウと一緒に、銭湯らしい浴槽に一斉飛び込んじまい『熊の蛇口』からの水の爽快な涼しさをみっちり感じていた。私と純彦君と笠人君が「気持ち良い」って叫ぶほど一番爽快になっていたの。六人全員が混浴に初めて入ったが、三年間経って立派に重ねている友情なので、裸で恥ずかし過ぎでも、互いに相手の体がどうなっているか図々しく討論出来たね。
「お前の胸が脳のみてえにでっけー」とか、
「降恆ちゃんの方が一番でかいのよ、白濱の紅蓮だって」とか、
「脇毛もう剃っただろ」とか、
「僕達のここ元気に剥けちゃったよ」とか、
「そこの毛濃くしないようにね」とか、
「少しの脂が臍の下で残ってんの、ムラマサちゃん」だって。
お楽しみの潜水とお洗いでもう満足。『花火團』に専用となる箪笥に整えてある浴衣を着てきた。三つの色調で縫い合わせられた花柄の浴衣で、大家さんの息子の澁薙君に紫系統の藤、私に青系統の紫陽花、純彦君に赤系統の薔薇、智埼ちゃんにピンク系統の桜、笠人君に黄系統の向日葵、降恆ちゃんに白系統の百合だった。私達の胃が収縮しちまっていたところで、羽月さんが昼ご飯は配置したてですと知らせ、野外の食堂へわくわくと歩いた。
十年立っている真緑の樫や、真っ赤の花弁をぶっ咲く鳳凰木の木陰にある野外の食卓の上で皆を待ってきたのは、細く切られた人参とトマトと玉蜀黍の種と一緒の蒸す馬鹿貝のスープ、葡萄と大蒜詰めの焙煎の鴨、焼き鰻、ピーマンと海老の焼き蕎麦、そして私達の一番好きな玄米のご飯や、伊豆の蜜柑ジュースがない訳ない。
丁度良い時に、澁薙君の熱情的な12歳の弟の
四人の執事と勤務員が食べ上がり掃除してもう2時50分。その時に皆は澁薙君と繼松君の部屋で昼寝をし、大学生への手紙の内容を考え掛けていた。会議で提案したことと皆の過去の達成に従ったと、私と純彦君は祭の現場に対する施設や一週間の催しの一覧などを慶應義塾に、智埼ちゃんと笠人君は花火の製造や飲食と衛生の保証などを早稲田大学に、豊かなカップルは祭の管理や舞台などを東京大学に知らせる。
黄昏が落ちちまって澁薙君のご両親が帰ったさえも、取り消し線と墨が蜘蛛の巣のように集まっている下書きが沢山だったし、きのこ丼や鶏団子と白菜の吹き寄せ汁の夜ご飯を食べながら書いて徹夜するという普段な状況となった。真夜中からの2時半までにやっと結構見やすい作文が手紙として出来た。
火曜日の10時ぐらいに長谷川さんに東京の宛先が書いてあるボール箱に三つの手紙を入れ、4kmぐらいの灰玉駅で11時に新宿駅へ出発する予定の列車に持ち込んで貰った。先輩達に届き読んで貰うのを待っている一日中に、私達は暇潰しに豐寬さんと花の世話をしたり、鳥と昆虫達と話し合ったり、イゾウと繼松君とブーメランをやったり、執事団と掃除したりし、降恆ちゃんの父親の
彼のお娘さんが医者として最初の成果を得てからというもの、二年間の喧嘩が自分の子供のことが分かる機会をくれたと深く理解し、降恆ちゃんだけでなく他のお子さんに大変すまない気持ちがあれからずっとしているから、恣意と傲慢も減りつつあった。山口さんの会社の一番長い鉄道の開通の同時に東京大学の医療クラブの試験を降恆ちゃんが合格したと聞いてから、人工芝生の上の『緋色の屋根のベルビュー宮殿』に私達が参る度に、彼は後悔と屈辱をなるべく隠して「儂がその馬鹿ほど頑固な娘に容赦なく敗北された」というように喜ばしい顔で私達を挨拶していた。あの先、謝罪として、会社の事業だけ向け裏庭で降恆ちゃんの医療研究室、そしてテニスコート、弓道場と小さな喫茶店を建て、窮屈そうな豪邸に活力をあげたの。
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