第19話 ザクロの湯
世界が歪むような感覚と共に、森の匂いが鼻腔をくすぐる。
窓から入った月の光が神秘的に石像を照らし、誰も座ることのない長椅子が変わらず寂しげに並んでいた。
ザリックの姿も、オズの姿もない。ダンジョンに入ったそれぞれの入口に戻ったのだろう。
「夜だね」
シルヴィが月を見ながら言った。
「ですね」
心身ともに疲労した俺達は、それ以上話す事なくフォードの屋敷へと転移した。
ガーネットの部屋から見えたラベルドの街は完全に瓦礫が撤去され、新しい建物が建築途中だった。かなりの間、あのダンジョンで過ごしたのだろう。
ガーネットが用意してくれた毛布を被り、月を見つめる。
「兄さん、大丈夫ですか?」
クロアが小さな毛布を奪う様に引っ張って横に座った。異世界に来て初めて、妖精とはいえ会話ができる生物の命を奪ってしまった。この世界でそれは悪ではない。でも、俺の中ではたしかにそれは悪だった。
「大丈夫。だいぶ前に言ったろ? チートのせいで精神がイカれてるって」
半分は本当だ。現に俺の心は平穏だった。逆にその事実が今は怖いのだ。
「兄さん、明日から魔力を使う特訓しましょう」
「特訓って、なんでまた急に」
「兄さんはずっと身体一つで戦ってますけど、みんな魔力で強化したりしてるんですよ? もしも兄さんが魔力の使い方をマスターしたら、危ない場面はグッと減るはずです。ほら抑止力と同じですよ。力で物言う人は、より大きな力を以てして黙らせる」
随分乱暴な考え方だ。でも、異世界ではそれが一番平和なやり方かもしれない。
ただ、俺は魔力という得体の知れない力を扱うセンスが絶望的だった。
「そうだな。明日から頼む」
「はい」
兄妹で身を寄せ合い目を閉じる。この異世界で心から信頼できる数少ない存在。
もしかしたらザリックにとってコアちゃんとはこういう存在だったのかもしれない。
翌朝、フォードに三日間も顔を出さず、行方不明になっていたことを叱られてシュンとなりながら温泉予定地へと向かった。
まだ何も手をつけていない森林を前に、テントを張り簡単な事務所を作る。
「では、これからザクロの湯の建設を開始したいと思います」
厳密には源泉ではないので銭湯だが、言われなければ誰も気づかないのでいいのだ。
クロアが魔法で森林を伐採し、どうせならあの神殿も活用しようと言い出したガーネットの意向で巨大蜘蛛さんに謝罪しながら住処を移ってもらった。
前世なら立派な環境破壊であるが、文明とはこうして築かれるのだ。まったく罪な話である。
力仕事はクロアが魔法でこなしてしまうので、俺とオービスは神殿の清掃を担当することになった。
蜘蛛の巣や動物の巣を綺麗に掃き出して謎の宗教像を磨く。これをこのまま置いていてもいいのか分からないが、殺風景よりは良いという適当な理由でインテリアとして採用された。
「進んでるー? タオルとか作って来たよー」
タオルなどの物資はシルヴィが錬金術で次々と用意する。もしも、フォードが彼女の優秀さを目の当たりにしていたらひっくり返っていただろう。
「おー、そこ置いといて」
長椅子をオービスと二人で持ち上げ端に寄せる。それなりに広い神殿は脱衣所兼料金所になる予定だ。
「クロアちゃんの方は今、地面掘ってるよ。地下にボイラー設置するんだってさ。この魔導コアのでっかいやつ」
シルヴィが椅子を避けて俺に小さな魔導コアを見せに来る。見ても何もわからないので関心しておくことにした。
「本格的だなぁ」
「ガーネットがこれはエンジンみたいな役割になるって? これで前世の機械は大抵再現できるんだってさ」
「なるほどなぁ」
俺とシルヴィの会話を聞いていたオービスが眉を顰める。
「なぁ、お前らって村にいた時からそんな感じだったけど、付き合ってんのか?」
突然の疑問に、俺達はお互いの顔を見た。そして、ほぼ同時に否定する。
「付き合ってはないかなぁ」
俺にとってのシルヴィは異世界で初めて出会った仲間である。この感情は愛というよりは強烈な親近感である。
「なら俺の前でイチャイチャするな! 俺はベティを村に置いてきたんだぞ!」
「ほら、やっぱり未練があったんじゃないか」
「え、オービスが手を出したのってベティだったんだ。可哀想なベティ......」
「か、可哀想ってなんだよ!」
何だかんだ言い合っても最後には笑い合う。やっぱり俺達にはこういった平和な異世界の方が向いてる。
のんびりと椅子を拭きながら、俺ははっきりと確信するのだった。
五人も前世持ちが集まれば、温泉を作るなど造作もないことだった。
半日経った今、既に半分以上の作業が完了していた。切り崩した木を綺麗に加工して作られた建物は、森の中の隠れ家っぽくて雰囲気が抜群だ。大工ではないので、簡単に組み立ててシルヴィの錬金で無理やり引っ付けるといった力技だが、強度はあるはずだ。
湿気対策用の薬品を塗り込み、川から水を引いて、ボイラーで沸かす。
薬草をすり潰して入浴剤にすればより本格的になるだろう。
「内装はぜんぜんだけど、とりあえず温泉っぽくはなったね」
「へへ、へへへ。裸見放題の楽園.......」
ラベルドの街からここまでの道を整備することも必要だ。でも、今日はもう遅いのでここまでにすることにした。明後日、温泉が完成したらフォードと屋敷の人間を招いて盛大にパーティをする。それから徐々に住民の人を招いてこの温泉を知ってもらい、いずれはお金を取ってもいい。すべては管理するガーネット次第だ。
「せっかくだし、入っていこうぜ。フォードには悪いけど、一番風呂だ!」
「へへ、へへヘ最高かよぉ」
「えと、身の危険を感じるんですが......」
「まぁまぁ。もう結構な冒険をした仲なんだしいいじゃん」
「そうだな、せっかくだしひとっ風呂浴びて帰るか!」
脱衣所で村人の服を脱ぎ扉を開ける。まず目につくのは、やはり大きな浴槽だ。前世でのヒノキを彷彿とさせる香りが心を落ち着かせてくれる。
「勝利、実り、情熱、真実、友愛、貞節ってこれ効能っていうのか? しかも日本語だし」
立てられた看板を見たオービスが呆れたように言った。たしかに効能っぽくないが、異世界人からしたら何やら凄そうなことが書かれているように見えるだろう。味があっていいと思う。
身体を流してから湯に浸かる。思わず声が漏れ、横を見るとシルヴィが特に拘ったと言っていた朱雀の彫像からお湯が注がれていた。
ボイラーもしっかりと稼働しているようで少し熱いお湯が心地良い。
「やっぱ風呂は最高だなぁ。フォードの屋敷じゃシャワーしかないから、こっち知ったら戻れんな」
子供みたいに湯に浮かぶオービスに呆れながら、タオルを目に当てて湯を堪能する。
すると、研ぎ澄まされた聴覚が隣の女風呂の声を捉えた。
(へへ、クロアさんも、ほらっいつまでもタオルで隠してないで、そのままじゃマナー違反だよ、へへへへ)
「...........」
「ん? どうしたクロウ? もうのぼせたのか?」
「いや、何でもない」
邪念を振り払おうと小窓から外を見る。この世界の星空は前世の何倍も輝いている。生憎と今は窓が曇って見えないが、俺はこの世界の星空が気に入っていた。
「なぁ、異世界の夜空って、前世と違って星が綺麗だと思わないか?」
「急にロマンチックだな。まぁたしかに綺麗だけど、あんまり意識して見たことないな」
どうせなら天井に窓をつけたほうがいいかもしれない。クロアにこの思考が届いていることを願うとしよう。
しばらく曇った小窓を見ていたオービスがゆっくり流れてきて、朱雀を挟むように俺の隣に座った。
「なぁ、実はさ。ロマンチックついでに告白したいことがあるんだけど」
彫像で顔は見えないが、思いつめたような声に真剣な空気が漂う。
「俺さ。クロアの事、好きになっちまったかもしれない......」
「......たぶん、もうクロアにバレてると思うぞ」
最近の彼女はデフォルトで思考を読めるようになったらしい。慣れって怖い。
「だよな。村にいたときはただの嫌なヤツだって思ってたんだけど、強さに憧れるっていうか、可愛いっていうかさ。俺......いつかクロアに告るわ」
「いつかって、すぐじゃないのか?」
「今告っても、絶対断られる。自分でもぜんぜん役に立ってないことは分かってるんだよ。だから、俺は良い男になって、それでクロアに告る。反対する?」
「しない。でも、例え二人が相思相愛の仲になったとしても、死ぬ覚悟だけはしとけよ」
妹はやらん。絶対にだ。そう背中で語り、脱衣所へ戻る。
「えぇぇぇぇ」
魂が抜けたような声がドアの向こうから聞こえた。クロアが好きならクロアを守れるくらい強くなってもらわないと困る。
そうだな、まずは俺を倒してもらおうか。そこからがスタートラインだ。
そして、ボイラーが大爆発するというプチハプニングもあったが、ついにラベルド初の大型の入浴施設、ザクロの湯が完成した。
当初の予定通り、プレオープンとしてフォードとその使用人達に招待状を預け来場を待つ。フォードはぶつくさと文句を言っていたが、ガーネットが前屈みで頼み込んだので問題ないはずだ。
「遠すぎる。屋敷から一時間は歩いたぞ」
これがザクロの湯に訪れたツンデレフォースの第一声である。街から近いと特別感が出ないからと言い訳していたが、どうやら遠すぎたようだ。
「愚弟! いいから入ってみてよ!」
「ふん。どうせ大したことないんだろ?」
今日は特別に俺がブレンドした薬草風呂である。ここまで歩いた疲れも少しはとれるはずだ。
使用人達を元神殿に招き入れ、使い方を説明する。当然脱衣所での男担当は俺達だ。
「えー、ここは脱衣所です。この棚に脱いだ服を入れて――」
オービスが使用人達に説明している間、俺は先走ったフォードを追いかけて風呂場へ向かう。
「ザクロの湯にこの効能......フンッ、ガーネットにしては面白いじゃないか」
しばらく効能の看板を睨みつけていたフォードが鼻で笑った。
前世の記憶があるフォードには説明することはないので、一緒になって身体を洗うことにした。
「この温泉は今後どうするつもりなんだ?」
「ガーネットに一任するよ。俺達は復興が終わり次第すぐに王都へ向かうから」
次々と入ってきた使用人達が、ビックリしながら風呂場をウロウロとし始める。フォードはそんな彼らを面白そうに見ながら湯船に浸かった。
「クロウ、だったな。王都に行ってどうするつもりだ? 俺も何度か行ったことがあるが、あそこは名前程輝かしい場所じゃないぞ」
「へー。でも、田舎よりもいい所じゃないのか?」
ロイス村は平和すぎるし、ラベルドは物騒すぎる。王都はバランスが取れてるイメージがあった。王様とか見てみたいし。
「だといいんだがな。あそこは沼だよ。権力をもった貴族が転生者と同等に渡りあってる。弱肉強食の底なし沼だ。一度足をとられると、死ぬまで抜け出せないぞ」
クロアが改装してくれたガラス天井から太陽の光が差し込む。
「王都が危険なのはわかった。でも、それはここだって一緒だろ? どこにいたって危ないなら、せっかくの異世界を満喫させてもらうよ」
「ふん。バカなやつらだ。最後に一つだけ忠告させてもらう。王都にいるラベルドを名乗る貴族には近づくな。あれは俺の領地とは無関係のクズ貴族だ」
フォードはそのまま立ち上がり風呂場を出て行った。なにやら複雑な問題を抱えているようだ。
その後もプレオープンは問題なく進み、全員が温泉を堪能し終えた頃には綺麗な夕日が神殿から見えた。
「まぁ、なかなか良い湯だった。今後は定期的にバスを走らせてもいいかもしれないな。それよりガーネット。ここはお前が管理すると聞いたぞ。ホントにできるのか?」
「な、舐めてもらっちゃ困る! もう色んな経験をしてきたから大丈夫だ!」
「は......経験!? おい、どういうことだ! ガーネット? 誰とだ!? 言え!」
「ちょ、愚弟! なんだよ急に!」
平和な喧騒に背伸びしながら、のんびりと歩き出す。
早く街に帰って屋敷で炊き出しを食べたい。そろそろちゃんと街の復興も手伝わないといけないな。
「兄さん、良いんですか? 放っておいて」
いいのだ。平和な喧嘩ほど幸せなものはない。
「兄さんも兄妹喧嘩、したいですか?」
俺の袖を摘まんだクロアが上目遣いで聞いてくる。
お兄ちゃんは妹が心配で心配で、喧嘩なんてしてる場合ではないのだ。
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