第11話 攻vs守




 血によって傷口と一体化した衣服を慎重に剥がしていく。身体には内部からの膨張により皮膚が裂けたような傷が全身の至る所にあった。


「なぁ、これって刀だよな。もしかしてコイツも転生者か?」


オービスが岩に立掛けられた大きな刀を指して言った。もしも、彼女が転生者なら、なおのこと助けてやりたい。

膿んだ傷口からウジを潰さないように排除し、特製治療薬を塗り込む。

小さな傷なら一分もすれば塞がるだろう。シルヴィが下半身を、俺が上半身を分担して行っているが、まだまだ先は長い。それほどに傷の量が多かった。


「オービス、ちょっと見てくれ、魔法陣が刻んである」


肩に刻まれた魔法陣。どこかで見たことのある形だ。


「んー、これは魔法陣じゃないな。ただの入れ墨っぽい」


「それ、家紋じゃないですか? ほら、丸の中に扇子が三つあるように見えますよ」


たしかにそう言われるとそう見える。これは転生者確定だな。


「シルヴィさん、何か手伝えることはありますか?」


「取り合えず今は大丈夫」


いつも適当なシルヴィからは想像できない程集中していた。この獣人の怪我は並大抵の事で負うとは思えない。俺達は幸運にも、改めて異世界の危険性を知ることができた。



 最後の傷口に薬を塗り込む。これで外傷の治療は済んだ。


「えーと、これとこれとこれ、あとこれも飲ませよう。全部栄養剤だけど、細かい効果が違うの。私程の錬金術師だとホントは一種類に纏められるんだけど、それだと身体への負担が大きいから様子見ながら慎重に飲ませる」


街を出てから随分と時間が経ち、すでに太陽が真上に来ていた。

獣人に一杯目の薬を飲ませて俺達も休憩を取る。

木漏れ日と川のせせらぎ、本来なら風情あるランチになっただろう。


クロアが暗い顔で獣人を見ている。一体何を考えているのか、十五年も兄妹をしていたら魔法がなくても少しは分かる。


「クロア、すこし休んだらどうだ?」


「もしも」


クロアは獣人を見つめたまま動かない。


「もしもですよ。この人がフォードと戦った隣国の人だったら。私はフォードを残酷な人間だって責めてもいいと思いますか?」


転生者同士の殺し合い。もちろん純粋な異世界の人間だとしても、殺していい人間なんていない。でも、転生者同士はどうしても特別視してしまう。

難しい問いだった。答えなんてない問いだ。


フォードはラベルドを守るために戦った。この人にだって戦う理由があった。

異世界の価値観ならそこで殺し合うのは自然なのだろう。

でも、俺達が持つ価値観は前世のままだ。前世の記憶があるというのはそういうことなのだ。少なくとも俺は、都合よく異世界に染まることができなかった。


「.......責めるのはクロアの自由だろ。ここは日本じゃない。クロアを裁ける人はいないよ」


俺達は所詮前世の記憶を持った異世界人に過ぎない。日本のルールを持ち出すのは変だ。俺も頭ではそう理解しているはずなんだが。きっとクロアが人を殺してしまいそうになったら止めてしまうだろう。


「お兄ちゃんはきっと、止めませんよ」


心を読んだクロアが辛そうに笑う。

俺は優しい妹が人を傷つける姿なんて見たくない。でも、それ以上に妹を追い詰めるような奴を許せる気がしなかった。



 獣人に変化が訪れたのは四杯目の薬を飲ませた時だった。初めて獣人が動きを見せたのだ。


「! いま、今指が動きました! あっ、ほら目が!」


追加の薬を錬金していたシルヴィが素材を投げ捨てて駆け寄ってくる。

ゆっくりと獣人の目が開き、焦点が合ってないのかしばらく安定しなかった瞳孔が、顔を覗き込んでいた俺達を捉える。


「ッ!」


瞬く間に獣人が逃げるように身体を回転させ岩を背に立ち上がる。何かを探すように周囲をキョロキョロと見渡し、自分が全裸であることに気づいた。


「お、おい、あまり動かないほうがいい。まだ完全に治ったわけじゃ――」


オービスがそういって獣人に近づいた瞬間、キュと目が細まり、その首の動脈を正確に狙った手刀が空を切った。


「うげっ」


オービスの後襟を引っ張った力を利用して俺はそのまま獣人の前に出る。混乱しているのか、それとも元からそういう人間なのか。彼女から感じられる敵意は尋常ではない。


「お兄ちゃん!」


俺を心配しての呼びかけ、ではない。俺の心が戦いに傾いていることを批難しての呼びかけだ。


「ペッ、アンタら、ラベルドの人間だな。火薬のニオイがする」


「たしかに俺達はラベルドで世話になってるが君の敵じゃない。現に君を治療したのは俺達だ。ここには俺達以外誰も居ない」


「信用できないね。アッシの得物は? 太刀が近くにあったはずだ」


「それじゃないのか?」


俺は目で岩の側面を指す。彼女は俺達から決して目を離さず、ゆっくりと移動した。

手探りで刀を握り、ニヤリと笑う。


「アンタらが敵か味方かなんてどうだっていいことさ。どの道、ヘマしたアッシにはもう、味方なんていないッ」


まるで木の棒でも振り回すように軽々と大太刀を持ち上げ俺の心臓を狙う。

迷いのない、ガードを許さない重い突き。だが、その行動は予想の範囲内だった。

どういうわけか、この異世界は攻撃的な思考だらけで先手必勝、一撃必殺ばかりを経験していたからだ。


冷静に、右足を後ろに下げ、腰を少し落とし、半身で迫る刀の腹に手を当て軌道を逸らす。いつもならそれで距離を置けばいいのだが、目前まで迫った獣人は驚きながらも空いた手を柄に添え、次の攻撃へと移り始める。

俺はスローになった世界で、その動きを見逃すことなく見ていた。


獣人が左足の踏み込みを起点として、突きから切り上げへと攻撃をシフトさせる。

そうはさせまいと、右手で獣人の手首を思いっきり空に伸ばしつつ、下げた右足を今度は獣人の左足へと絡めるように前に出す。最後に伸びきった獣人の右足に足を掛ければ、後は体重を傾けるだけでひっくり返すことができる。

すべては転生特典の賜物だった。


「ガハッ――」


チート同士の攻防故に目視できない程の速度と力だったため、かなりの威力をもって岩肌に背中から叩きつけてしまった。それでも刀を手放すことなく獣人がすぐに俺へと刀を振り牽制しくる。常人なら打ち所によっては死んでもおかしくないというのに、タフな奴だ。


力の籠っていない刀を軽く避け、その手を上から踏みつける。体重をかけても拳が開くことはなく、やはり刀を離すことはない。


「このッ」


押さえつけられた右手を支点に、俺を蹴り飛ばそうと身を縮める。

俺はあまりの往生際の悪さに自分がすこしイラついていることを冷静に分析していた。


拳を踏みつけた足を中心に回転して躱すと、浮いた獣人の頭の上で止まり、左膝を額に落とす。頭部を岩肌に固定すれば、後は右手で喉を抉り――


「お兄ちゃん!!」


クロアの声に、寸前で手刀が止まった。

危なかった、昔、父に言われて初めて素振りをした時の感覚を思い出していた。まるで転生特典が俺の意思を誘導しているような感覚。強敵と戦い、そして殺したい。嫌な感覚だ。


「カハ、ハーハー。ハァハァ、カッハァハァ」


乾いた荒い呼吸と怯えた獣人の視線を浴び、冷や汗がどっと湧き出る。


「大丈夫、寸止めだよ? ほら、暴れて話どころじゃなかったからさ」


慌てて獣人から離れ、考える間もなく俺はクロアに言い訳をしていた。

シルヴィ達は心を読めないからいつも通り笑ってくれる。クロアもまた笑ってくれた。苦しい笑みだった。


「もー、いきなり少年漫画みたいなバトル始めるからびっくりしちゃった。貴方も転生者なんでしょ? 私達は別に使命とかないから安心しなってー」


シルヴィとオービスが獣人に近づく。獣人の呼吸は既に落ち着いていたが、目覚めた時の敵意は完全に消えていた。


「ッ、あ、あぁ。そう、だな」


チラッと俺を見て、シルヴィへと返事を返す。俺は獣人の一挙手一投足に集中していた。また暴れるかもしれない。警戒せずに近寄ってきたシルヴィ達に危害を加える可能性があったから。

いや、正直に言えば、俺はそれを望んでいたのかもしれない。そうしたら今度こそ、コイツに止めをさせると。


「お兄ちゃん、大丈夫。大丈夫だから。すこし、顔を洗ってきてもいいですよ。この人は私が見てます」


「いや、大丈夫だよ。ありがとう」


気づかれないように深呼吸をして気持ちを整える。もしかしたらフォードやこの獣人も、本心から戦いたくて戦っているわけじゃないのかもしれない。

俺はそんなことを考えながらも、変なポーションを受け取る獣人から目を離すことはなかった。



 すっかり大人しくなった彼女は、名をベロニア、身分をジェフェス帝国の将軍の一人だと自己紹介した。


「なるほどー、あっ、尻尾触ってもいい? 一回触ってみたかったんだよね? ね、どんな感覚なの?」


「いや、別に。手足みたいなもんだよ」


ちょくちょく俺を見ながらベロニアはぶっきらぼうに答えた。

とはいえ抵抗することなくシルヴィに丸い尻尾を触らせているくらいには大人しい。


 ベロニアの話によると、ジェフェス帝国は転生者により完全に乗っ取られた憐れな国らしい。完全実力主義で、弱き者は淘汰される。敵も味方も関係ないとはこの事で、ジェフェス帝国に敗者の彼女が帰還すれば待っているのは死だけだとか。


「元々ラベルドに攻める予定なんか無かった。ただ、ここの領主がアッシが手に入れた獣人を奪ったっていうから、その、カッとなって」


「なるほど、それでまんまと返り討ちにあって部下は全滅、貴方も大怪我を負ったというわけですか」


「事前にチーターは一人だって聞いてたんだ。銃を大量に作ってるって話だがら、最悪アッシが一人で皆殺しにできると思って、いや、別にアンタを疑ってるわけじゃない!」


「分かってるよ。俺達は戦争には関与してない。そういうのは嫌いなんだ」


「クッ、だが、アンタ程の強さがあれば、この世界で自由に生きれるだろ? そう思ったことはないのか?」


自由、それならこの世界で生まれた時から味わっていた。


「もう十分自由だよ。働きもせずに好きな時間に起きて寝て、金なんて一文もないのに食べ物に困ったことがない」


自由を履き違えているなんて偉そうなことは思わない。この世界での自由は、文字通り自由なのだから。


「ベロニアさんはこれからどうするんですか? 当然ラベルドからは離れたほうがいいでしょうし、ジェフェス帝国にも戻れないとなると、こっちに残るしかないと思いますが」


「......分からない。でも、目標はできた。アッシは負けず嫌いなとこがあってね。もう忘れたけど、前世でもそんな感じだった。アッシが将軍になったのは戦うため、せっかく転生して手に入れた第二の人生。戦う力があるのに使わないのはもったいないだろ? だから、修行だ」


「修行......戦うのってそんなに楽しいですか?」


クロアの問いにベロニアは獰猛な笑みを浮かべる。


「タノシイね。特に相手を追い詰めてる時は」


「そうですか。安心してください。別に止めるつもりはありません。でも、お兄ちゃんを怖がらせることはもうやめてください」


「こわ、がらせる?」


ベロニアと視線が合う。ツーと冷や汗が流れたのを目で追うと、偶然視線が首元に辿り着いた。


「ッ! それは、どうかな。それより、アンタいい年してまだお兄ちゃんなんて呼び方してるのかよ。ハッ、転生者として恥ずかしくないのか?」


それは俺も思ってた。昔は両親の手前、お兄ちゃんだったけど今は別にそういう縛りはない。


「あっ、それ私も気になってた。もしかしてクロウのこと本当の兄だと思ってるんじゃないのー?」


「それは、お兄ちゃんは生物上兄ですから! なにも問題はないはずでは!?」


「子供っぽい。クロア、お前前世でぶりっ子だったろ。そんな気がああああ――」


「違います!」


クロアの魔法で浮かされたオービスが川に落とされた。一時は落ち込んでいたクロアもだいぶマシになったようだ。


 その後、全裸だったベロニアに服を錬成してやり、旅立ちを見送ることになった。


「怪我の治療、助かった。この服も。それから」


ベロニアが髪留めを外し、俺に投げ捨てる。


「それはアッシの旗印が刻まれたもんだ。将軍であるアッシを倒したと言えば、ジェフェス帝国でそれなりの待遇が用意されるだろうさ」


なるほど、別にいらないな。俺はバレないようにそっとクロアに渡した。


「まぁ、また会う時があったらいきなり攻撃してくるなよ」


「今度会った時はたんまり奢ってもらうからねー! 治療のお代として!」


「かなりの眼福した。ありがとうございました」


「私達は王都へ向かう予定なので、あまり近づかないでくださいね」


ベロニアは片手を上げ、振り向くことなく森の奥へ消えていく。

太陽が西に傾き始めたのを確認して、俺達は満足気にラベルドへ帰還したのだった。




「は? 朝から今まで森にいて野兎の一匹もなし? お前ら、ウサギの一匹も捕まえられないのか?」


ベロニアのせいで本来の目的をすっかり忘れていた俺達は、屋敷でフォードに詰められていた。


「あー、その、運が悪かったっていうか。一匹も見なかったよ、うん。戦争の影響かな?」


「街の周辺で野犬と野兎が十匹程捕獲されている。戦争の影響はないはずだが?」


フォードの冷たい視線を、俺達は目を逸らして必死に耐えたのだった。





 §





 一人、森を進むベロニアは自らの胸に手を当て心臓の鼓動を確認する。

この世界で産まれて、心から恐怖したのは二回目だった。

一度目は、この世界に生まれて状況を理解した瞬間。あまりに唐突な出来事にベロニアは恐怖した。

そして二度目、クロウという男に殺された時。

私はあの時、確かに死んだのだ。淡々とただの作業のような一撃は、私にそう確信させるほど研ぎ澄まされていた。


「チッ、不屈のチートが泣くなよ」


頬を流れる水滴を払い除け、ベロニアは歯を食いしばる。

恐怖を感じたのは二回目だが、戦いに負けたことは数知れない。ジェフェス帝国という実力至上主義の社会では闘争は日常茶飯事だ。一度負けたのなら次で勝てばいい。


だが、そう思うほどに涙が溢れ、手が震える。

あの男とは二度と戦いたくない。もう死にたくない。まだあの男の本気を、引き出せていない。


クロウのチートは体術なんかじゃないことをベロニアは知っていた。あの動きは武術系チートを持つ転生者の基本だ。


武術系チートには勝ったことがある。しかし、それはクロウと比べると一段も二段も落ちる実力だった。


あの男には何かある。考えれば考えるほど、心が震えた。

こちらが一手繰り出す度に気配が変わっていく。より鋭く、近づくだけで息がつまりそうな気配に。


「チッ、アッシは負けねぇ。クロウ、クロウ、クロウ。く、クク、次は、アッシの番だ」


ベロニアは汚れた顔でがむしゃらにニヤリと嗤った。



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