第9話 ラベルドの神童4




§


 月明りに照らされた刀身が、鼻先を掠める。ベロニアのスピードに目が慣れつつあるフォードだったが、攻撃すべてを火事場の馬鹿力によって回避しているようなギリギリの状況であった。


リボルボ―が火を噴き、一瞬の火花と共に散っていく。

フォードの弾丸は全て大太刀によって切り裂かれてしまう。

圧倒的な実力差。感情的と見せかけて繊細かつ慎重なベロニアを相手に、死が確実に迫っていた。


ジリジリと後退するフォードの片足が大地の切り傷に嵌りかける。そんなフォードをベロニアは目で嗤った。


「アァ、タノシイねぇ。あっちじゃ味わえないこの感覚、ゾクゾクするっ。アンタもそう思うよな?」


ベロニアの部下は一歩も動かない。だが、獣人特有の尻尾が不規則に揺れていた。


「ベロニア、そいつ等は置きもんかよ。早く俺を倒さねぇと後悔するぜ?」


リボルバーをベロニアに向ける。すでにそれは無駄な足掻きでしかないことを両者共に分かっていた。


「アンタはアッシの獲物だ。タノシイ狩りは一人でする質でね」


引金に手をかけたまま、フォードは安堵の息を吐く。


(あぁ、どうりで。奥の手を隠しているわけじゃないのか。ようやく安心したよ。)


さっきから途切ることなく送られてくるアリスの念話へ短く命令を返す。


フォードは運命にもう一度感謝を捧げ、銃口を月へと向けた。自身を照らさない忌々しい月へと。


「ベロニア。獣になっちまったお前には分からないかもしれねぇが、人間ってのは集団で戦うから強いんだぜ?」


バンッと暗い高原に火薬特有の音が鳴る。それは高原によく響いた。


「あ?」


何かを感じたのかベロニアが空を見上げ、目をまん丸と見開く。それに釣られてベロニアの部下達も視線を追う。


「逃げ――」


一瞬にして上空に歪な罅が刻まれる。その様子はまさに空間に亀裂が入ったようだった。

フォードは足元の溝に滑り込み、ガントレットで後頭部を守ると、可能な限り耳を塞ぎグッと目を瞑って赤子のように身を縮めた。


 その魔法に正式な名は無い。敢えて名付けるならば、暴走魔法だろうか。

原理は大規模魔法と同じ。しかし、大勢で一つの魔法を唱えるのではなく、大勢で異なる魔法を一つの魔法として無理やり発動させるのだ。


その結果、魔法は制御を失い暴走し、荒れ狂う魔力だけが周囲を蹂躙する。

その発生地点をアリスは全ての魔力を使ってベロニアの元に誘導したのだ。


大地が揺れ、焦げ、悲鳴を上げ、そして、遅れて全ての音が消え去った。

耳鳴りすらもしない。まったくの無がフォードを包み込む。

その膨大な魔力暴走の前では、革鎧に付与された魔法耐性などあってないようなものだった。



 意識を失っていたのか、それとも死んでいたのか。フォードは久しぶりに呼吸ができた感覚に目を見開いた。


「――、――!」


途端に押し寄せる吐き気に抗えず嘔吐する。しかし、その音すら聞こえない。

もしもあの時、足元にベロニアの作った溝が無ければ、即死していたかもしれない。今更になって全身から嫌な汗が噴き出した。


 震える手で被さった土を掘り、地上を目指す。地上を目指しているのか地下を目指しているのか、すでに魔力に酔ったフォードには分かっていなかった。それでも、生きたいという気持ちを糧にただ手を動かす。


「――て! ――――を――せッ!」


土が柔らかくなり、誰かの声が微かに聞こえた。


「――一人残らず止めをさせッ、魔力に酔った者はさがれっ。第二小隊はフォード様の捜索に集中しろっ。必ず救出するぞッ」


この声は、ラーニャの声だ。


「ラ、ガッごぶっ」


声が出ない。胸が燃えるように痛い。

過剰な程周囲を満たしている魔力で治癒魔法を発動する。

苦手な魔法だったが、死ぬ気でやれば発動するんだなと、こんな状況なのにくだらない事を考えながら、ただ地上を目指す。


「ラーニャ、ここだ」


掠れた小さな声だった。それでも獣人のラーニャには十分だった。


「フォード様!? ここだ! この周辺を掘るぞッ、くれぐれも慎重にな!」


フォードはその声に安心して、異様に重たい瞼をゆっくり閉じることにした。






§






 嫌な予感がしてパッと目が覚める。この予感は、そう焦りだ。俺は焦っていた。この内臓が締め付けられるような、解放を望む嫌な感覚に。


「おはようございます。今日は私のほうが早く起きましたね」


クロアがにっこりと俺に携帯用トイレを差し出してきた。トイレとは名ばかりで実際は唯のステンレス製の瓶だ。受け取ってみるとまだ軽い。誰も使っていないことがわかる。


「お兄ちゃんお先にどうぞ?」


クロアの顔を見れば若干引き攣っている。なるほど、一発目は恥ずかしかったから俺が起きるのを待っていたのか。俺の後からなら、それはもうクロアのものではなくなる。


「あぁ、ありがとう。あっ、みないでね」


俺は隅っこで嫌な予感から解放されたのだった。



 四人全員が起床し、俺達はシェルターの扉が開くのをただ待っていた。

勝手に出て行ってまた変なことに巻き込まれるのは御免だからだ。


「そんなことがあったのか。その状況で手を貸さないのは流石クロウって感じだな。その甲冑って、あの甲冑?」


「はい、教科書で見るようなやつに似てましたね」


「てことは、隣国にも転生者がいるわけだ。なぁ、もしかして俺の魔法大全って出版しても大して売れないんじゃ?」


あちこちで転生者が魔法を考えまくってたら売れないかもな。


「てかさぁ、街まで攻めこまれるなんてラベルドも大変な都市なんだねぇ。早いとこ王都に逃げたほうがいいんじゃない?」


「どうだろうな。次の街まで徒歩で一ヶ月かけて行って、そこにも馬がいなかったら」


「お、王都まで徒歩? それって何か月くらい?」


「年単位突入ですね」


「かはー」


シルヴィの気持ちも分からなくはない。だが、フォードのチートを活用するのが最善だろう。


「お、シェルターの入り口開いたっぽいぞ。人集りができてる」


落ち着きなくキョロキョロしていたオービスが目ざとく発見する。

仕切りから顔を覗かせれば、確かに住民が入口に向かって歩きだしていた。


「甲冑の仕業じゃないっぽいな。安全そうだし俺達もいこうか」


どこまでも安全重視。それがクロウである。


 シェルターの入口は、新型スマホの発売日並みに列ができていた。

シェルターの入口は開いているのに、全く動く気配がない。目の前で揺れる少女の縦ロールを目で追いながら時間を潰す。


「全然進まないな。うっ、前世で課長に誘われて猛暑の中ラーメン屋に列んだ記憶が......」


オービスは昔からよく課長の亡霊に苦しめられていた。でも、話を聞いてる限りその課長絶対お前のこと好きだよ?


なんて言っても伝わらないので聞き流すことにしている。

何もせず列に並んでいるのも暇なので、前の金髪縦ロールに話しかけてみることにした。


「あの、絶対主要キャラの方ですよね? 金髪縦ロールって分かりやすくていいと思います。一目でフォードの関係者だって分かりましたよ」


金髪縦ロールが俺達のほうに振り向き、バサッと髪を靡かせた。ザ・お嬢様な彼女は眉間に皺を寄せ訝しむ。


「貴方、フォード様の知り合い? ではないわよね。ワタクシの名はメリル・ジン・ランリネット。フォード様の許嫁よ。平伏しなさい」


「す、すご。リアル平伏しなさいでた! 律儀に列に並んでいる人から聞けるとは思わなかったよ」


シルヴィの言葉にメリルは顔を真っ赤にして口を開く。


「ちが、私はフォード様に迷惑かけないように。あ、貴方達には関係なくてよ!」


流石フォード、しっかりと惚れさせているらしい。


「分かったので落ち着いてください。それよりこの列が動かない理由を知ってますか?」


「ふーふー。わ、分かりませんわ。以前ここに避難した時はすぐに日常に戻れましたの」


「こりゃなんかあったな。クロウ、見に行こうぜ。ほら透明化してさ」


そうだな。このシェルターでもう一日過ごすなんて耐えられそうにないし。


「ではかけますね。今回は私が光で誘導します」


シルヴィ達の姿が消える。淡い橙色の光が俺の前を通り過ぎていった。なるほどこれなら分かりやすい。


「えっ!? ちょっとちょっと、どこいったのよ」


だが、突然消えた俺達に困惑したメリルが手を振り回し始め、運悪くその手がシルヴィの顔面を捉える。


「ふがっ」


「あっ、ごめんなさい」


涙目でメリルを睨むシルヴィが姿を現した。


「で、ですが! 突然消えるなんてどういうことですの! もしや、何かやましいことをしようとしているのでは!」


シー、シー。


シルヴィがメリルの口を塞ぎ耳打ちする。


「うっ、くすぐったい! ......そういうことなら、ワタクシも連れていきなさい!」


そういうことになった。



 扉を封鎖していた騎士が交代するタイミングを狙って外に向かう。住民の話し声と重なり、俺達の声を訝しむ者はいなかった。


「ちょっと待ちなさい! ワタクシはスカートなのよ!」


目印のクロアがロープをあっさりと超えていくが、二番手のメリルはロープを揺らしまくっている。


「よし、次はオービス。いいよ」


続けてシルヴィ最後に俺と、全員がシェルターを無事に抜け出す。


 昨夜みた領主邸の庭。そこには激しい剣戟の跡が生々しく残っていたり、折れた木が端に寄せられていた。さっきまで住民に状況説明をしていた騎士が疲れ果てたように簡易テントで休んでいる。お疲れ様です。


橙色の光は、そのまま領主邸の門を超えて塀の陰に隠れるように消えていった。


 門の向こうには地獄が広がっていた。

生きている内にこんな表現をするなんて思いもしなかった。


真っ黒になって崩れた家屋からモクモクと煙が上がっている。

昨日アーシーさんと歩いた道も崩れた家屋で塞がり、黒焦げの塊が転がっている道もあった。それが何なのかは、すぐに考えるのを止めた。


「お兄ちゃん......」


クロアのせいじゃない。前世を平和な日本で暮らして来たんだ。異世界に転生したからって人と戦ったり、ポンポン人を殺したりできるわけがない。


「なにこれ、マジの戦争? なんていうか、私の想像と違ったわ」


「転生者がいるから余裕で勝つと思ってたけど、シェルターなかったら俺達もヤバかったな」


焼け落ちた街を見ながら、俺達は少しの間立ち尽くす。


「あれ、あのお嬢様は?」


「お嬢様なら街を見てすぐ、屋敷に走っていったよ」


許嫁として敗戦したフォードの安否が気になるのだろう。


「俺達もいこうぜ。フォードが死にかけてたら助けてやらねぇと」


オービスの言う通りだ。フォードが死んでたら次の街まで徒歩確定だからな。


「お兄ちゃん、不謹慎ですよ」



 屋敷の中では給仕だけでは人手不足らしく、大きな鍋を抱えた騎士とすれ違った。庭で炊き出しの準備をしていたからそれ用の鍋だろう。


「あ、貴方方は、あー駄目だ、今はこっちが優先か。余りウロウロしないようにお願いしますー」


「はーい。けっこう緊急時の対応もしっかりしてるんだね」


フォードの気配は二階だ。転生者は気配は変わってるから分かりやすかった。

部屋の扉を少し開けて中を覗いてみる。


「フォード様は現在、重度の魔力障害と軽度の酸素欠乏症に陥っています。ですので治療のために――」


「それは先程聞きましたわ! ワタクシが聞いているのは、フォード様がいつ目を覚ますのかです!!」


「うるさいですね。怪我人がいるんですよ。もうすこし声を抑えてください。アリスの診立てでは一週間程かかると」


「あの女は魔法使いではなくて!? 医者でもない平民の話など信用できませんわ!」


「いま医者はシェルターに避難中です。貴女もラベルドの現状は見たでしょう? 街が焼け落ち、フォード様まで重体だと広まれば、どんな騒ぎになるのか考えてください」


到底入っていける雰囲気ではなかった。



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