第8話 クロアの兄




 フォードが命懸けで戦っている一方、クロアは安全なシェルターの中で眠れないでいた。

いつもは兄であるクロウの寝顔を見ればすぐに眠れるのだが、今日は戦争中ということもあり不安が拭えない。


元々暴力というもの全般が苦手な人間だった。この世界で前世の記憶を取り戻した時は、力と欲望が渦巻く地獄に来てしまったと涙したほどだ。

兄とシルヴィさんが日本語で話をしているの見て、その平和な内容に安堵するまでずっと怯えていた。


 兄は戦争に参加する必要はないと言った。

シルヴィさんやオービスと違い、戦う力を持つ兄が言ったのだ。それは私自身が戦わなくていい理由にもなった。

でも、本当にそれでいいのだろうか。そんな考えが渦巻いて到底眠れそうになかった。


いま地上では多くの人間が殺し合っている。

ラベルドを守る為に、家族の為に、生きる為に。

私にはこの戦争を止める力がある。オービスが作った禁忌魔法や、上級魔法を駆使すれば両軍に死者を出すことなく爭いを鎮定することができる。

だが、恐いのだ。暴力を見るが恐い。自分が他人に暴力を振るうことが恐い。


「クロア? また怖いのか?」


いつの間にか目を開けていた兄の言葉にドキっとする。心を見透かされている。


「昔からクロアは一人でトイレに行けなかったからなぁ。仕方ない、ほらっ、いくぞ」


わけもなく、的外れな勘違いだったが、そこにはいつもの兄が居た。その事実が私に少しだけ安心感をもたらしてくれる。


「いつの話ですか。でも、今日はお願いします」


兄と共にシェルターを歩く。兄は純粋な力だけなら四人の中でダントツに強い。暴力に適したチートを持っているはずなのに、全く怖くなかった。

兄妹だからだろうか。それともクロウだからだろうか。


「実は、戦争に協力したほうがいいんじゃないかって思い始めてて」


気づけば不安が口から出ていた。手は勝手に兄の裾を掴んでいる。


「ほー、嫌な夢でも見た?」


「フォードと面会した時、心を読んだんです。だいぶ混乱してたのか、私達を殺すことも考えていました。でも、それは最終手段で、大切なものを守るための考えが、他にも何十個も浮かんでいたんです」


兄は黙って私の話を聞いている。何も考えてなさそうで、内心は普段と違う私に怯えていた。


「本気でこのラベルドを守ろうとしてるんだなって思って、それに感化されたのかもしれません。異世界で生きていかないといけない以上、爭い事は避けられない。守るためには戦わないといけない、と......」


「俺は戦争には参加しない。爭い事には関わらない。シルヴィやオービス、クロアのピンチだったとしても、俺は戦いたくない」


兄は私の目を見て断言した。

心を読める私に嘘が通じると思っているのだろうか。


「猫耳メイド、投げ飛ばしてたくせに......」


私の言葉に顔色一つ変えない。昔から都合が悪くなるとすぐ聞こえない振りだ。


 シェルターの入口に辿り着いた私達は固く閉じられた扉の閂を外す。

トイレくらい用意しとくべきでは、とフォードに文句を言いつつ扉を開くと目の前に見慣れぬ甲冑がいた。


「あん? へへ、ラッキー。こりゃ当たりだな。大人しくしてりゃ殺しわしねぇぞ?」


暴力だ。暴力的な思考が流れ込んでくる。

恐い。頭の中で魔法が勝手に組み上げられていく。

刃、それは風を水を火を切り裂き全てを両断する矛。


後はこの手を甲冑に向ければ。


「クロア」


私の手が上がりきる前に、兄がそっと手を重ね下げた。目の前に兄の大きな背中が広がる。


「なんだてめぇ」


頼りになったことのない兄の背中。猫背気味でやればできる人なのに何もやらない。

でも、いつも私を安心させてくれる。


「兄です」


ふふ、兄です。


「アニだあ? へへ、こりゃいい。特別にお前は半殺しで許してやる。その代わり、死にかけのお前の前でたっぷりと妹を可愛がってやるよ」


「おぉ、異世界物で何度もみた盗賊にそっくりだな」


「なにわけ分かんねぇこと言ってやがるッ!」


甲冑が剣を私達に向け、大声をあげる。

兄は激昂するでもなく身構えるでもなく、まったくの平常心。再び不安に揺れかけた心が兄に釣られて落ち着いていく。


「悪いけど、多分俺のほうが強いから止めたほうがいい。君、転生特典ないんでしょ?」


その問への答えは兄の背でよく見えなかった。甲冑が斬りかかったように見えたのだが、私の目が追いついた時には兄が甲冑の剣を手に持ち興味無さそうに検品していた。


「テメェ!」


甲冑が痛む腕を庇いながら吠える。


「これ、安もんかな? ちょっと欠けてる」


――ピィィィィ


兜を脱ぎ捨てて兵士が笛を鳴らした。


「チーターだ! 将軍にチーターがいると知らせろッ」


その声を聞きつけた周囲の甲冑が次々と駆け寄ってくる。


「アンチートを最大レベルで起動しろッ。」


甲冑共から耳鳴りのような嫌な音が聞こえ、途端に身体が重くなる。体内の魔力が不安定に乱れてるのが分かる。


「囲め囲めッ」


「クロア、アレお願いできる?」


アレ、とは兄が昔作ったお手性の木棒のことだ。インベントリから取り出そうとして、魔法が発動しないことに気づく。


「あ、あれ、インベントリの魔法が......お兄ちゃん! 魔法が使えなくて!」


「ククク、アンチートは無差別に作用する。いくらチーターでも、弱体化した状態じゃこの数を相手に無傷とはいかないだろ?」


甲冑共がジリジリと私達ににじり寄ってくる。


「お、お兄ちゃん、逃げないと!」


そうだシェルターの中に駆け込んで扉を急いで閉めれば!


兄の手を引っ張ろうとしてつんのめる。

それなりに力を入れて引っ張ったはずなのに、その手は少しも動かなかった。

兄の思考を読もうとして、失敗する。


「いや、別にあの棒は特別製ってわけじゃないから大丈夫だよ。無いならこの剣でいい」


私をトイレに誘った時から兄の態度は一切変わっていない。

甲冑の前に一人立ち、安物の剣を構える。が、甲冑が動き出す前に、遠くから大声と共に人影が割って入ってきた。


「ちょっと待ったっ! 助太刀するわっ」


甲冑の一部がまるで紙吹雪のように派手に舞い上がる。


「良かった、まだ無事ね。まさかシェルターの扉が突破されるなんて。ジェフェスの技術力には注意が必要ね」


現れたのは一人の少女。薙刀のような槍を甲冑に向けて、構えを取る。


「何だコイツ! アンチートが効いてないのか!?」


「チ、チ、チ。所詮は機械。私の古武術の前では無力も同然ってね!」


薙刀少女が甲冑を玩具のように吹き飛ばしながら舞う。


「そこのお兄さんも戦えるんでしょ?」


薙刀が兄に向く。敵意ではない、挑発だ。

少女から兄に視線を切り替えると、兄もこちらを見ていた。


「ここは彼女に任せようか。なんか強そうだから一人で大丈夫でしょ」


私の肩に優しく手を回しシェルターの中へと戻っていく。


「えぇ!?」


兄は少女の悲しそうな悲鳴を遮るようにシェルターの扉を素早くしめ閂をかけてしまった。

さっきまでの喧騒が一転して静かになる。なんの騒ぎだと住民達が見守る中、兄が私の肩に手を置いて諭すように言った。


「クロア、悪いけどみんなと同じ様に簡易トイレで済ませてくれる? ちゃんと後ろ向いてるから」


「それは......嫌です」





 §





 ジェフェスの冒険者崩れを吹っ飛ばし、反応がないお兄さんの方を見ると、そこには固く閉ざされたシェルターの扉があった。


「え? あの人達は? まさか、シェルターの中? えぇぇ......」


後ろから迫る剣を片手間に弾く。気丈に振る舞っていたが、一人になるとやはり気分が下がる。さっきまで一緒に戦っていた臨時の仲間達は戦死してしまった。

領主フォードが進軍を開始して数刻、ラベルドを取り囲むようにやってきたジェフェス兵は、ラベルドの騎士や元冒険者をその数で圧倒し、家屋を荒らし回っていたのだ。


「この女っ強え、おいっアンチート切れッ、効いてないのにいつまで起動してんだよ! 俺達にも効いてるんだぞ!」


「俺はとっくに切ってるって。誰だよおいっ! まだつけてるやつッぶっ殺すぞ!」


所詮は冒険者崩れ、連携などあってないようなもの。

そもそも、彼らの本来の目的はシェルターの中にある。扉が壊されていない以上、もう目的達成は不可能のはずだ。


「まっ、あんた達には街を荒した罪を償ってもらうけどね」


薙刀に神経を集中し、一体になる。

薙刀術というチートを持っているのに、この世界には薙刀が存在しなかった。

この身体に馴染む薙刀の名は『大薙』

同じ身の上であるラベルドの領主フォードに依頼して製作してもらった一品物だ。


「ハァッ」


安物の甲冑など容易く切り裂いてしまう。

大薙を持った私は正しく無敵だ。一人、また一人とジェフェス兵が膝をつく。殺しはしない。

彼らをどう裁くのかは領主であるフォードが決めるべきだ。


「ムリだっ。俺は逃げるぞッ」


「チッ、腰抜けがッ」


逃げる敵を追うか、目の前の敵を捕らえるか。躊躇したのは一瞬。目前の敵を大薙で気絶させる。


「全員散れッ、こうなりゃヤケだ。街に火を放て! 燃やし尽くせば将軍様のご機嫌もとれるだろうよっ」


逃げた敵を追わなかったのが裏目にでた。ジェフェス兵が四方に消えていく。


「あんた達、クソッ」


火を放つ? 冗談じゃない。家は石造りだが、決して頑丈なわけじゃない。このままではラベルドが完全に崩壊してしまう。


一人や二人なら止められた。でも、敵の数が多すぎる。一人で全てを抑えるのは不可能だった。シェルターに逃げたあのお兄さんが協力してくれていれば......いや、彼はラベルドの兵でも冒険者でもない。責任を押し付けるなんて......最低なことだ。




 領主邸の屋根からラベルドを見下ろす。


「あちゃー」


街が赤々と輝きを放っている。決して綺麗ではない残酷な輝きだ。略奪され空っぽになった家が徐々に崩壊していく様子をただ見ていることしか出来なかった。


住民の犠牲者はいない、と思う。でも、今回の戦争はラベルドの完全敗北だ。

死んでいったラベルドの騎士や元冒険者の遺体が道端で燃えていた。ギュッと強く大薙を握り締める。


救えなかった。全力で駆けつけたのに間に合わなかった。別の人を助けていた。

出てくる思いは言い訳ばかり。

死んでいった人達にすこしでも許してほしくて、私はそっと目を閉じた。


ごめんなさい。



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