温泉組合とイリアの仕事
思わず反応してしまったが、イリアはそれなりの使い手に見えるので、やたらに注意を向けるのは控えておこう。
相手の力量が測れない時こそ、刺激しないに限る。
突然の訪問者に意表を突かれるかたちになったが、気を取り直して食事を続けた。
俺とエスカは食堂の料理を食べ終えると、会計を済ませて店を出た。
「味もボリュームも大満足のお店でした。お腹いっぱいです」
「うん、また行きたいな」
俺たちは口々に食事の感想を述べながら、村の中を歩いて巡った。
食事をする場所以外では見どころもなく、あっという間に一周した後、当初の目的である温泉に向かった。
村に入った時、「くつろぎの温泉」という看板があったが、村の奥まったところにその建物があった。
石造りの大きな造りで、エバンの人々の温泉にかける意気込みが感じられた。
俺とエスカは入り口を通過して、建物の中に進んだ。
正面から見た時は分からなかったが、奥行きがあるようで、中の方へと通路が続いている。
道なりに途中まで進むと、地元の名産品みたいなものが売られており、その近くに村の歴史について書かれた展示もあった。
「……ええと、温泉の掘削は苦難の連続だった。モンスターの妨害、掘削機の故障、資金難。しかし、私たちはそれらの困難を乗り越え、この地での開業を成し遂げた。エバン温泉組合」
「へえ、そんな歴史があるんですねー」
ギルドにモンスターを追い払う依頼があったこと、依頼は中止になったのに、それが解決済みになっていること。
エスカはそういった経緯を知らないため、素直に感心しているように見えた。
「そんなに大きくない村なのに、がんばったんだな」
「村の人たちは一生懸命だったでしょうねー」
適当に話を合わせて、奥の温泉へと足を運んだ。
通路をしばらく進むと、受付があった。
「いらっしゃい。お二人ですかね」
初老の男が座っていた。
くつろぎの温泉と書かれた上着を身につけている。
「はい、二人で」
「それじゃあ、銀貨二枚お願いしますっ」
俺は財布から銀貨を取り出して、男に手渡した。
「マルクさん、自分の分は出しますよ」
「後でいいよ」
俺とエスカが話していると、受付の男が何かを差し出した。
「入浴中はこれを着てくだせえ。あと、男女混浴ですんで」
「はい、分かりました」
俺は海水パンツみたいなものを、エスカは袖のないワンピースみたいなものを手に取った。どちらも落ちついた黒色だった。
脱衣所は男女別に分かれており、俺たちはそれぞれに中に入った。
それから、脱衣所で着替えを終えると、屋外につながる扉から出た。
温泉は開放的な雰囲気で、広い面積の湯船には十数人の入浴客が目に入った。
じっくり湯に浸かるというよりも、温泉に入りながら交流を楽しむような場に見えた。
泉質は透明で、硫黄のように鼻をつくような臭いは感じられない。
手持ち無沙汰に足だけ浸かって待っていると、エスカがやってきた。
「うわー、とってもいい雰囲気ですよー」
「自然が多くて、眺めもいいよね」
「温泉がバラムの町にあったらいいなー」
「そうだね、町にも温泉が湧かないかな」
ほんの少しだけ、焼肉と温泉がセットなら大繫盛するのではと考えた。
二人で湯船の外側を歩いて、膝ぐらいの深さのところから温泉に入った。
ほてるような熱さはなく、ちょうどいい温度が心地よい。
ゆっくりと足を運んで、さらに深いところへと移動する。
俺たちはお腹の辺りまで湯に浸かった。
身体の芯から温まるような心地よさを感じながら、しばらくエスカと入浴した。
最後に全身をクールダウンさせる冷たい湧き水を浴びた後、脱衣所に戻った。
利用者向けのタオルが置かれていたので、最初に身体の水気を拭いた。
その後に湯衣から服に着替えると、脱衣所から受付に出た。
近くにあった椅子に腰を下ろして待っていると、少し遅れてエスカが出てきた。
温泉から上がったところなので、彼女からはほかほかした温もりを感じた。
「お待たせしましたー」
「一通り回れたと思うけど、最後に寄りたいところがあるんだ」
「いいですよー。まだ時間はあるので大丈夫です」
「ありがとう。すぐに済むと思うから」
俺はエスカとくつろぎの温泉を出ると、村の中を歩いて移動した。
これから行こうとしているのは、ギルドの依頼で訪れた時にモンスターの出現率が高かった場所だ。
自分のわがままにエスカを付き合わせるのは気が引けたが、今日のここまでの状況なら、モンスターに遭遇する可能性は低いと思った。
二人とも丸腰ではあるものの、もしもの時は魔法を使うという選択肢もある。
「……村の中心から離れましたけど、何かあるんですか?」
「すまない。本当は隠したくなかったんだが――」
二人で村の外れに来たところで、モンスターの気配がした。
ゴブリンよりも大きな身体と屈強な筋肉。
一体のオークがこちらに近づいていた。
周りに生えた木のおかげで、俺たちの姿が見えていないようだった。
「マルクさん、どうします?」
「まだ気づかれてないから、まずは様子を見よう」
エスカは短く頷くと、姿勢を低くして身構えた。
俺はすぐに魔法が使えるように、魔力に意識を傾けた。
徐々に距離が迫ったところで、誰かが飛び出てきた。
その人影は軽い身のこなしでオークに迫ったかと思うと、一太刀で斬り伏せた。
「――わざわざ、殺さなくても」
思わず身を乗り出して、気づけばそう口にしていた。
自らの言葉にハッとした後で、相手の姿を見た。
そこにいたのは、食堂で見かけたイリアという少女だった。
彼女はこちらを見つめ返すと、戸惑うような顔で口を開いた。
「あなたは食堂にいた……」
「元冒険者のマルクです。彼女は冒険者のエスカ」
イリアにそう伝えると、エスカはぺこりと頭を下げた。
「私の仕事だから、オークを殺すなとか言われても困るかも」
「……仕事?」
「これ以上、話すことはないから」
イリアは短く言い終えると、素早い動きで立ち去った。
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