エバン村のくつろぎ温泉

 温泉の話を聞いてから、何日か落ちつかない気分だった。

 冒険者を引退して自分の店を始めたのに、当時の感覚が抜けきらないことを実感させられた。

 いつもより仕事に身が入らない状態のまま、次の定休日まで営業を続けた。


 俺は考えをまとめた結果、エスカを誘って温泉に行ってみることにした。

 さすがに武装して行くわけにもいかず、彼女にも温泉を楽しむために行くと伝えてある。


 休日の朝。待ち合わせ場所に行くと、すでに彼女が待っていた。


「おはようございます。温泉、楽しみですね」


「おはよう。誰かが一緒の方が気が楽だから、エスカの予定が合ってよかったよ」


 俺たちはバラムの町を出て街道を歩き始めた。


 温泉は町から少し離れたエバンの村にある。

 ギルドの依頼で行った時は寂れた印象のある場所だったが、温泉の収益で活気が出始めたらしい。


 俺はエスカと何気ない話をしながら、あたたかな陽気の中を歩いた。


 しばらく移動を続けると、エバンの村に到着した。


「……ああっ、思っていたのと違うな」


 村の入り口にでかでかと「くつろぎの温泉」という看板が立っていた。

 多少寂れていたとしてものどかなところはよかったと思うのだが、そこかしこに温泉を売り出そうという意図が見て取れる。

 最後に来た時は路地の石畳は整備が不十分だったが、今はそれも整っている。


 モンスターが妨害していた時のことが嘘のように、落ちついた雰囲気だった。   


「マルクさん、お腹空きませんか? 先にお昼ご飯にしましょう」


「いいよ。そうするか」


 温泉開発の副産物として、食事ができるところが増えたのはよかった気がする。 

 近くにカンパーニュという名前の食堂があったので、そこに入ろうかな。


「他にもありそうだけど、あの店でいい?」


「はい、いいですよ」 


 俺とエスカは店の扉を開けて、中に足を運んだ。

 店内には複数のテーブルが並び、他にもお客が入っていた。


「いらっしゃいませー。お好きな席にどうぞー」


 どこに座ろうか考えていると、額にバンダナのようなものを巻いた元気そうな中年の女が言った。

 調理場は店の奥にあり、給仕をしているのは彼女一人のようだ。


 俺とエスカは空いた席の椅子に腰かけた。

 テーブルの上に手書きのメニューが置いてあったので、二人で一緒に眺める。 

 

 どういう魚なのか想像もつかないが、イズミダイのカルパッチョが一押しらしい。

 何となく興味が湧いたところで、先ほどの女がやってきた。


「ようこそ、カンパーニュへ。ご注文はお決まりですか?」


「えーと、イズミダイって、どんな魚ですか?」


「白身で名前の通り、タイみたいな味の魚です。癖がなくて美味しいんですよ」


「ふーん、なるほど」


 メニューが決まりきらないので、エスカの方をちらりと見る。

 彼女はすでに決まっているような雰囲気だった。


「先に頼んでもらっていいよ」


「あっ、ではでは。わたしは牛のシチューとバゲットを」


「はいはい。お兄さんは?」


「イズミダイのカルパッチョとバゲットで」


「ありがとうございます。少々お待ちくださいね」


 女の店員は明るい笑顔をふりまいて、調理場へと向かった。


「もしかして、わりと空腹だった?」 


 先ほどのがっつりオーダーに少し驚いていた。


「いえ、あの、服を選ぶのに時間がかかってしまって……」


 エスカは照れたように笑みを浮かべた。

 つまり、朝食抜きだったということか。


「名物を食べないといけないわけじゃないから、いいと思うよ」


「あと、わたし、お魚よりもお肉が好きなんです」


「ああっ、何となく分かる」


「えへへ」


 そんな感じで会話を楽しんでいると、先にカルパッチョが運ばれてきた。


「お待たせしましたー。イズミダイのカルパッチョです。バゲットは後ほど」


 テーブルに中ぐらいの丸皿が置かれた。

 盛りつけがきれいで、薄く切った白身魚が等間隔に並べられて、ハーブの緑色、玉ネギの紫色、レモンの黄色が鮮やかだった。


「シチューとバゲットお二つです」


 今度はスープボウルに入ったシチューが出された。

 具がゴテゴテと無骨な感じで、食べごたえのありそうな一品だった。


 バゲットも丁寧に焼かれているようで、香ばしい匂いが食欲を刺激した。


「ごゆっくりどうぞ」


 女の店員はぺこりと一礼すると別の席に向かった。


「それじゃあ、食べようか」


「はい、いただきます」


 テーブルに用意されたフォークを手に取り、イズミダイの身を刺して口へと運ぶ。


「臭みがほとんどないし、かかってるドレッシングも美味い」


「シチューもお肉がとろとろで美味しいです」


 エスカは見ているこちらが和むような笑顔で言った。

 

 彼女と二人で食事をしていると、自分の胸騒ぎは考えすぎだったように思えた。


 バゲットをちぎってかじりながら、少しずつカルパッチョを食べ進める。

 店の雰囲気も落ちついていて、とてもリラックスできる場所だった。


 料理を味わっていると扉が開いて、食堂に誰かが入ってきた。


「おばちゃん、こんにちは。いつものお願い」


「はいはい、ただいま。イリアちゃんは今日も元気そうね」


「へへっ、私は元気なのが取り柄だもの」


 何気なく声の主を振り返ると、そこにはエスカよりも少し若く見える少女がいた。

 彼女は常連のように店に慣れていて、空いた席に腰を下ろした。


 明らかにただの村娘ではなかった。

 剣技重視の軽装と細めの幅に作られたロングソード。

 装備の内容を見る限り、剣士だと思われる。

 食堂の中なのでまったりしているようだが、ただ者ではないように感じた。

 

 エスカの様子を伺うと、彼女も何かを感じ取っているように見えた。

 

 俺はイリアという少女が何者なのか気にかかった。

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