最も太陽に近い場所

 桜綾のいる場所から悲鳴が上がる。教官を探しに誰かが飛び回る。その中で、イオは一直線に柊木のもとへ飛んでいた。


(……死んでしまうかもしれない)


 天使に死はないけれど、それでも相当痛いだろう。神速の勢いで人を斬り殺して、とある少年の周りに誰もいない空間ができていく。まるで、神の加護によって、近づけないとでも言わんばかりに。

 その通りだった。

 柊木は少年を……恐らく、キースを……守っているのだ。周りの敵を蹴散らして。その手を血で染め続けて。あの血の色に似たマニキュアを光らせて。まるで、どれだけ幸せになろうが、おまえは所詮、殺戮兵器だと戒めるかのように。


『My mother has killed me……』


 母の声が耳元で反芻する。嘲笑うかのように、楽しそうに。


『おまえの骨は床の下!』

「うるさい!」


 イオはこの言葉を、後生大事に抱えて生きてきた。言葉の意味がわかっても、ずっと。

 だって、この世でひとつしかない母からの贈り物なのだ。忘れなくない。大切にしたい。

 そう本気で思うほど、イオは〝生きる〟ということを知らなかったのだ。


「違う! おまえは俺に〝生きる〟を教えてくれたんだ! 殺してなんかない! 俺は殺されてなんかない!」


 あの屋根裏部屋の窓辺。魂が天使となり、抜け殻は死体となった。イオの骨は床の下か、それとも土の下か。どうでもいい。どうでも良かった。

 喜怒哀楽。馬鹿みたいに楽しかった夏の屋上。山もりのから揚げを盛られたときの怒り。イオの爪にはバイオレットのマニキュアが光る。柊木から貰ったマニキュア。嬉しかった。柊木の物語は哀しかった。


「あの屋根裏部屋で、俺は太陽を眺めているだけだった。あれをどうして〝生きている〟だなんて言えるんだ」


 母の、イオの死を願う言葉を宝物のように抱えていた日々を。


「天使になって、俺は幸せだった。あれをどうして〝生きていない〟だなんて言えるんだ!」


 柊木の、ドーナッツを頬張る顔。鉛筆を鼻にかける顔。聖歌を歌うときの笑顔。笑顔。笑顔……。柊木だけじゃない。桜綾のつっけんどんといった顔。たまに見せる笑顔。何かに猛烈に打ち込む顔。意志の強い、信念を持った強い女の顔。

 あの屋根裏部屋から手を差し伸べ、イオを引っ張り出して、本当の意味で空を教えてくれた柊木を、どうして人殺しとなじれよう。

 イオは既に、太陽を知っている!


「殺戮兵器でも、翼が腐って堕天したとしても! おまえは俺のヒーローだ!」


 だって、イオは最も太陽に近い場所にいるのだから。

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