空っぽの走馬灯

 最初の記憶は、体中の穴という穴から血を噴き出して死んだ男。

 父上は男を〝しけいしゅう〟と呼んだ。

 次の記憶は、首を荒縄で絞められ死んだ女。

 父上は女を〝ばいた〟と呼んだ。

 そのまた次の記憶は、自分に首を飛ばされ死んだ老人。

 父上は老人を〝ちょうほういん〟と呼んだ。


『父上』


 幼い頃から剣を振るってきた。鍛錬のためだけではない。ときには裏切り者の愚者を縊り殺し、嬲り殺し、斬り殺してきた。


『なぜこの人らは死ななければいけないのですか』


 自分が人を殺すという因果に興味はない。なぜ人は歩くのかという問いを投げかける馬鹿ではないからだ。自分が剣を振るうことを厭うたことはない。生まれながらにして、その手を血で穢すことが決まっていたからだ。


『決まっているだろう』


 父上は、いつでも堂々とそこに在った。〝アスター〟を見下ろして、腹に響く声で朗々と言った。


『この人らが我らに逆らったからだ』


 そうですか、と答える。齢四のときだった。


「これが……何歳だっけな。多分、十歳頃に見た走馬灯。初めて戦争に行って死にかけたんだ」


 柊木はそれを、当たり前のように言って、イオに最後まで塗らせたマニキュアをぷらぷらと乾かす。依然として。十歳で戦地へ行ったことの驚きを隠せないイオを置き去りにして。


「ぼくは三兄弟の末っ子でね。父上が、武人の貴族の家系なんだけど、ぼくは一番出来が良かったんだ」


 そして、まあ、当たり前の因果なんだけど、と柊木は前置きして、イオからマニキュアを受け取り、イオにバイオレットのマニキュアを塗る。


「ぼくは戦争の兵器として育てられた。何万人でも殺せる殺戮兵器。ぼくの故国は戦争が絶えなかったからね。そんなの、あったら諸手を上げて迎え入れられる。そんで、ぼくの父上は母上に婿入りして、爵位が下がっていた」


 もうわかるでしょ、と言わんばかりに、一旦話が途切れた。マニキュアを塗る手つきは丁寧で、ラメの入ったマニキュアが、爪の上できらきら光る。


「狂うほど稽古させられて、気づけば二万人の兵を一人でなぎ倒せるようになった。もちろん無傷でね。でも、戦争なんてそんな規模じゃない。当然のように十万人が来る。初陣は十歳。そんであの走馬灯を見たのも、そのとき」


 はい終わり、と言われて、イオは初めて爪が塗り終わっていたことに気がついた。乾いていないので手はしばらくそのままだが、品のいい紫が爪を覆っているだけで、普段なら気分が高揚するはずだった。……いつもなら。


「そんでさ、ぼく、思い出したんだ。走馬灯って、死ぬ間際の人間が、最後にどうやったらもっと生きられるんだろーって、人生の記憶全部見直すものなんだって。そん中から、死への打開策を見つけるためにね。でも、ぼくは十年生きて、走馬灯はあれだ」


 マニキュアの蓋を閉めて、柊木は言う。


「空っぽの走馬灯しか、見られなかった」


 弾かれたように顔を上げる。

 白金の髪は夜風に吹かれて、さらさらと遊ばれている。睫毛が月光を浴びて影を落とす。

 月に照らされたその瞳は、触れたら脆く崩れてしまうほど、深い悲しみを持っていた。

 メトロノームが、狂った。耳の奥で血液がごうごうと唸りを上げていた。


「ぼくはね、今でこそ天使のくせに、〝生きる〟ってことを知らなかったんだよ」


 世界は静寂に包まれた。

 柊木が一瞬、透明に見えて、さわさわと木の葉の揺れる音が耳につく。馬鹿みたいに視界が明るかった。柊木の、色んな感情が綯い交ぜになった顔が、いやでも見えてしまう。これは、多分、見てはいけないものなのに。

 心臓の音も遠くに聞こえる中、不意に、柊木の瞳に、ほんの灯火のような光がちらついた。


「……でもねぇ。いつだっけ。多分、十三かそこらのときに、父上から地下闘技場を取り押さえろっていう依頼があったんだよ。普通に人をかどかわして、戦わせて、悪趣味な金持ちにそれを観戦させて金巻き上げている違法の闘技場でさ。ぼく、調査でそこ行って、それでね」


 瞳がどんどん明るくなる。強い光を帯びて、口元が緩む。


「キースって子に会ったんだ」


 柊木の表情が、喜色で溢れた。


「一目惚れだった。男の子で、ぼく別にゲイじゃないし、キースに恋したわけじゃないけど、何だろう。運命を感じたんだよ」


 声に熱が籠っている。柊木の見ている世界には希望が溢れていた。イオに横顔を見せる柊木は、これ以上ないくらい、幸せそうだった。


「髪なんて液体の上等な漆みたいでね、瞳も濡れ羽色で綺麗なんだよ。黒の色彩に愛されたような子で……。何よりもね、キースの剣技は本当にうつくしかったんだ。

本当に、舞のように殺すんだよ。その一挙手一投足に美が溢れている。その髪が汚い返り血で染まるたび、ぼくは相手を殺したくなるし、その瞳に生気が宿ると、ぼくは喉が張り裂けそうなくらい叫ぶんだ。嬉しくって、嬉しくって……心が張り裂けそうだった」


 それでね、と柊木は語る。


「ぼく、ミイラ取りがミイラになっちゃって、キースを買ったんだよ」

「……は?」

「あ、そんな顔しないでよう。確かにぼくは外道だけどさ、キースは傍に置きたかったんだ。……だってさ」


 一呼吸置いて、柊木は空を仰いだ。


「キースは〝生きる〟ための剣技で、ぼくは〝殺す〟ための剣技だった。

……あの闘技場では、全然、明日死ぬとか普通だったみたいだから。生きる、生きる、生きてやるって、目をぎらぎらさせながらキースは剣を握っていた。ぼくは、いつ死んでもよくて、ただ敵を殺せればいいって感じだったのに。……綺麗だなあって、もっと見たいなって思っちゃったんだ」


 柊木いわく、あの闘技場では人身売買も行われていて、気に入った子を護衛用やら何やらで購入できるらしい。柊木は三兄弟の中で特別扱いされていて、自分専用の屋敷すら与えられていた。だから、父に悟られず購入し、キースを引き取った、と。


「まあ、キースにはめちゃくちゃ嫌われたけどね! 自分を買った外道に開く心はないってことなんだろうけど、ぼく、すっごく悲しくてさあ。どうにかして笑ってもらおうって、いっぱいプレゼント用意したり、色んなところ連れ回したり、面白い話もしてみたんだけど、全然、もう全然素っ気なくって!」


 すっごい蔑んだ目で見てくるの、と柊木はあはあは笑いながら言う。本当に楽しそうに、柊木は語る。月なんて比べ物にならないくらい、圧倒的な輝きで。まるで、至上の宝物だと言うかのように。実際、そうなんだろうけれど。


「でもね、でもね、あるとき、キースをお花畑に連れてったの。郊外にあるとこでさ、綺麗だからって。そしたらね……」


 柊木は両手で頬を挟んで、キューッと笑った。


「キース、喜んでくれたんだ。目、きらきらさせて、綺麗だって言って……は、初めてね、ぼくに、ありがとうって笑いかけてくれたんだ」


 イオは瞬きをして、それで、今の今まで瞬きを忘れていたことを知った。このときの柊木の顔を、きっと、イオは一生忘れないであろう。


「もう、ぼくも嬉しくって、有頂天で……。そのとき、決めたんだ。キースを絶対幸せにしようって。何に代えてでも」


 だから、と、一回柊木は唾を飲んで、微笑んだ。


「キースをね、ぼくの別荘に異動させたんだ」

「……え?」

「国の南東にある、のどかなとこでさ。争いなんかなくて、一応キースは護衛騎士ってことで住まわせて、異動させてからもそうだったんだけど、訓練も、騎士の存在もいらないくらい、平和で穏やかなところだった」


 揺れる黄金の稲穂。鍬で畑を耕す人々。のんびり牛を飼い、湖畔で釣りをする住人たち。


「ぼくのとこにいたって、幸せにはなれないからさ。だって、キースはぼくのこと嫌いだもん。だから、人殺しも辛い訓練もない場所で、お金に困らない、衣食住も申し分ない、幸せな暮らしをしてほしかった。……キースの剣技は見られなくなったけど、それでも構わなかったよ」


 そこで、ふっと柊木の瞳が翳った。深い海のような瞳だった。


「そんで、ぼくは、役目を果たした」


 イオは息を呑んだ。

 柊木の本来の務め。運命に決定された柊木の役職。望もうと望まなかろうと、柊木はその道を歩み続けてきたのだ。


「ぼくは、北西の地で、殺戮兵器としての役目を果たした。でもね、今まで以上にぼくは意気込んでいたんだ。絶対これ以上国に侵入させない、って。だって、キースのところまで戦火が及んだら大変じゃん。もー、死に物狂いで本領発揮したよ」


 柊木は、イオの顔を覗き込んで、にこっと笑った。


「死んじゃったけどね」


 天使にふさわしい笑みだった。

 寒いのはきっと、夜風が冷たいせいだろう。何か言いたいのに、何も言えないのは、きっと、イオに学がないせいだ。もっと、イオが賢かったら、柊木のその笑みを、崩すことができるのに。


「でもねえ、そのときの走馬灯、十歳頃に見たのとは違ったんだよ。キースとの思い出がいっぱいあるの。大抵はいやそうな顔なんだけど、たまに、笑っているのとか、リスみたいに頬っぺた膨らませてお菓子食べているのとかあって、ぼく、びっくりしちゃったんだけど、それ以上に嬉しくてさ。……兵器に生き死になんてないかもだけど、ようやく、ぼくは生きられた気がした」


 柊木は息を吐くように独白を終える。


「ぼくはね、戦地のど真ん中で、幸せだなあって思いながら死んだんだよ」


 幸せ。

 何を幸福とし、何を不幸とするかは本人の自由である。でも、イオはこの物語を哀しいと思った。エゴでしかない。けれど、キースはこの物語を聞いて、どう思うだろう。

 眉一つ動かさないのだろうか。それとも驚くだろうか。それとも、イオと同じ思いを抱くのだろうか。わからない。所詮は見たこともない他人だ。でも、聞かせたい、と思った。キースはこの物語を知る義務がある。


「今回の戦争では、多分キースも参戦する。東の方の国と、って聞いたから」


 柊木は膝を抱えて、溜め息を吐いた。


「……キースの魂、見たくないな……」


 この物語は、夜空と、イオだけが知っていた。


『My mother has killed me……』


 あと、イオの幻想が映す怨霊。白い服を着た、前髪の長い狂女。


『おまえの骨は床の下』


 柊木の後ろで、歪に笑っていた。

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