柊木の剣術

「遅いわよ」


 息を乱してギリギリの思いで訓練場に着くと、桜綾は冷めた目でイオを見た。柊木はご自慢の足の速さで、桜綾の目に留まる前に整列している。イオはちょっと肩をすくめて、男女別の番号順に整列した。桜綾とは隣だ。


「間に合ったんだからいいだろ」

「遅刻しなければいいってものじゃないわ。ただでさえ、イオは剣術、平均ギリギリなんだから。早めに来て予習するっていう発想はないのかしら」

「そういって、いつも予習しているくせに、俺と同じくらいの実力じゃないか、桜綾は」

「悪いわね。あたくしはか弱い女の子なの」


 つんとお澄まし顔でそっぽを向いた。

 桜綾とは、柊木との接点が多いため知り合ったが、正直、このきつすぎる対応とはあまり馬の合う感じはしない。柊木とは比較的仲がいいみたいだが、実技トップの柊木と、座学トップの桜綾は確かにお似合いな気がする。ただ単に、柊木が誰とでも仲良くなれる性格なだけかもしれないが。


 鐘が鳴ると、生徒たちは自主的に準備運動を始めた。体操し、軽く走り、ストレッチをする。きっちり五分経つとがっちりした体つきの教師が舞い降りて、今日は総当たりだと木刀が入った木箱を召喚した。

 総当たりとは、つまるところ、練習試合だ。男女問わずのペアを組んで、制限時間内に勝敗を決めなければならない。引き分けは可。もちろん、試合中は見回りをし、一人一人細かいところを評価してくれるし、試合形式じゃない試験もあるが、それでも一定数勝ち星を上げなければ留年だ。しかも、今日は飛翔禁止だ。気が重かった。


「イオ、あたくしと組まない?」

「……別にいいけど」


 桜綾とは戦い方も実力も似通っている。総当たりにはもってこいの相手だ。

 三列に分けられて並べられ、桜綾と向かい合う。右隣で、相手に向かって木刀を構えている奴と、左隣で精神を研ぎ澄ましている奴に挟まれ、すっと身が引き締まる。


「……始めッ!」


 太鼓のように教師の声が腹に響くと同時に、イオは強く踏み込んだ。

 初手は防がれ、ぱっと一度離れると素早く懐に入ってくる。顎を狙われたので躱し、がら空きだった腹を狙った。咄嗟に左手に持ち替えたからか速さはまるでなく、あっさりと避けられてしまった。舌打ちは何とか堪える。

 桜綾は突き技が得意だ。鼻の骨を折られた男子生徒を、何度か見たことがある。槍術なら敵なしだろうが、槍術は四年生の選択だし、あくまでこれは剣術だ。それ以外に警戒するところはないので、手や腕の動きに着目しながら避け、防ぎ、反撃する。


「……止めッ!」


 教師の一声で、思い出したかのようにドッと汗が吹き出た。大きく息を吐いて、疲労に包まれた体を労う。結局引き分けだった。桜綾とは握手を交わし、教師に結果を報告する。

 総当たりの授業では、大体三回戦わされる。小休止を挟んでローテーションし、次の相手と対峙した。結果は勝ち。相手はよく知らない女子生徒で、少し悔しそうな顔をしていた。

さて、次は誰かとローテーションすると、視界の隅で、白金の髪がさらりと揺れた。

 彼はにっこり笑う。


「イオか! よろしくね」


 よりにもよって柊木かと、盛大な溜め息を吐いた。勝てる気はしない。

 だからといって痛い目に遭いたいわけではないので、いつも以上に身を引き締めた。深呼吸し、意識が体の中心部分に、針のように小さく、鋭くなっていくのを感じる。


「……始めッ!」


 筋肉に力を籠めたとき、もう柊木はイオの懐に入り込んでいた。

 矢の雨のような殺気に、背筋に悪寒が駆け抜ける。光のように速く、岩のように重い一撃に何とか反応し、防いだが、無駄だった。即座に木刀は弾き飛ばされ、遠くに転がる。

そのまま足の間に踏み込まれ、のけ反る間に木刀の切っ先は喉仏に向けられていた。

 静止し、冷たく鋭利な視線が喉に突き刺さる。いつもは明るく輝く金色の瞳が、今は作り物のようだった。ピタリと、切っ先が喉仏に触れる寸前で止まっている。冷や汗がたらりとこめかみを伝った。

 何秒にも経たない刹那が、何時間にも思える。

 途端に、柊木は嘘のように明るい笑みを浮かべ、木刀を下ろした。


「今日もぼくの勝ちだね!」


 スキップでもしそうな足取りで教師のもとへ向かう柊木とは反対に、イオは膝が砕けてしまって、崩れ落ちるかのようにその場に座り込んだ。

 顔を覆って、冷や汗を拭う。

 今日も、柊木はとんでもなく強く、とんでもなく恐ろしかった。

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