「幸せの定義」に関する声明

木ノ葉夢華

「幸せの定義」に関する声明



 この世の中は腐敗してしまった。

 先日国が決めた法律はあまりにも人権を阻害するものだった、と私は思っている。


 『QOLの向上のためには人から負の感情を奪うべきである』

 『そのためには一定の年齢になったらそのための脳の手術を受けなくてはならない』


 今日、どの子どもたちよりも早く規定の年齢――――――十五歳の誕生日を迎えた私は政府の監視下で、それを受けなければならない状況に置かれていた。


 そんな中私は――――――夜明け前に手紙を置いて家を抜け出し、住宅街の中で逃げ回っていた。






* * *



 生涯、ここまで苦しんだことは一度もなかった。

 これまで学校で習ってきたことは一体何だったのだろう。我が国の憲法に刻まれているはずの「自由権」はどこに消えてしまったのだろうかと何度頭を悩ませたことだろうか。私の属するこの国は思想を害されない素晴らしい法があって、その元で表現を縛られず生活出来ることがどれほど幸せなのかあれほど教えられたのに―――突然常識が変わってしまったせいで根本から否定された気分を味わっている。


 一週間前にあの法が作られてから、私を見る学校の先生たちの視線が変わった。まるでいい獲物を見つけた虎のような目。もしくは自分に都合のいい“実験動物”の存在を確認して安堵したような顔。私にはそこに人間らしさが感じられなくて、気持ち悪かった。


 あの日から変わったのはそれだけではない。

 教科書の一部の変更に、道徳の授業がなくなり精神教育の不必要さについての講義になった。

 そしてありえないのは「いじめ」の推奨だ。

 確か誰かをいじめることで生まれる優越感が人を苦しみから解放させる、とかいう理由だっただろうか。それにいじめられてる側も彼らの言う“手術”を行えば辛いこと・苦しいことがなくなるため全然苦に感じないと言う。すべてが楽しくなるしポジティブに考えることが出来ると。――――――正直バカバカしい。


 私の通っていた中学校にはある話が伝えられていた。数十年前、同じ学年の交流のあった生徒二人が自殺を試みたという話だ。一人は学校の屋上からの飛び降りで、もう一人は登下校の道中にある崖からの飛び降りだったという。どちらも精神的に病んでしまっていたためにそれを図ったと言われているが、前者は未遂で済んだものの他の不幸が重なり命を落とし、後者は即死であったためか今でも詳細はわからぬままだ。交通事故だったという説もあれば毒を使ったという一見理解し難い説も流れている。

 この過去の出来事があるため教師陣は敏感になっているのだろう。人の心がどれほど自分たちを悩ませたのか知っているから余計に敏感になっていった挙句これほどまでこの政策を推すのだろう。


 かつての彼女たちのように私も「自殺」というものができればよかったのに、と考えずにはいられない。多分私は、今日で「死んでしまう」から。


 ポケットからスマートフォンを取り出した。ここの中に入ってるものはなにか?と聞かれて皆こう答えるだろう。「色々な知識」だと。そうであるなら、どうして人間はそれを生み出せたのだろうかという質問で本質に辿り着くことが出来ないのだろうか。


 私の視界の端に液晶画面上で見慣れた服を着た男たちが映った。そろそろだ、と私は堤防の方に向かう。

 画面に映し出されるニュースに口角を上げる。


 小さい頃一度は友人と話すだろうこと。

 「もし世界が明日終わるとしたら最期に何をやりたい?」

 なら私は、




 「そこの人たちよ。私の話を聞きなさい!!」




 男たちは勿論私のほうを見る。そのまま捕まえようと私に手を向けてくるが、許すわけがない。

 これは私にとっての終幕を飾るために。


 「そこから一歩も動くな!」


 私は犯罪者になることも躊躇わなかった。昨日のうちにはもう腹を括っていた。


 「私は、この国で一番最初の手術の被験者となる!つまり、私の身の安全は保証されないということだ!」


 まっすぐ、彼らを見る。


 「わたしがどうなるのかは一切わからない。もしかしたらすべての記憶を失うかもしれないし、死ぬかもしれない。植物人間になって一生をベッドの上で過ごす羽目になるかもしれない!」


 その時、私は正常じゃなくなるかもしれない。


 「だから、今のうちに私は言いたい。」


 口が震えてるけれど、そんな物知るものか。


 「この世界はっ!人の欲望で創られていると言っても過言ではない!これまで私たちの身の回りを良くしてきたのは向上心とも言われる人間の欲望だった!そしてその欲望を作り出したのは、人間の負の感情だっ!!」


 空の上に小さな機械が浮かんでいる。それを見て、私は言った。


 「負の感情は悪いことばかりではないはず!発明品の数々は人々の不満から生まれ、音楽や本といった芸術は自身の悲しみ・妬み、これらから発展した願望などから創造された!結局、娯楽の起源はそこにいきつくのではないか!!」


 ここで言わなければ気が済まないから、今叫ぶ。


 「私は子供だ!経験値など大人と比べてしまってはこれっぽっちしかないだろう。」


 体全体を使って誰でもわかりやすいように、表現する。


 「だから私は間違っているのかもしれない。もしかしたら私の見解はあまりにも浅いため、愚かなことを話しているようにしか思えないかもしれない。ただそれはすべて想像上の話だ!」


 これで最期だ。


 「私にとって幸せとは、誰にも心を囚われない生き方をすることだったっ!幸福とは、誰かと色々な感情を共有することだった!私はこんな檻の中で生きたくなどなかったっっ…」


 ここで泣いてはいけない。泣いたら、弱いもの扱いされる。


 「だが私は政府に逆らえない。国からしてはたった一つの、無力な子供だ。だからこそ、私は伝えたい!

 一つの決まりが、人から一生の自由を奪うかもしれないという怖さを!

 素晴らしい現代技術が、人しか持たない“心”を壊すかもしれないことを!!」



 私は足元を見た。

 最期に、言いたいことが言えたことに満足する。

 そして――――――両手を上げた。



 それは紛れもない、「降参」の意を示していた。







 * * *



 『――――――その後行われた手術は想像していたような結果が得られず失敗に終わりました。実際に録画された彼女の言葉はSNS上に拡散され、政府の手腕に国内外から批判のコメントが殺到しました。のちに被験者の親は家に残されていた直筆の手紙を公開し、それを見た世界中の人々から彼女を称えるメッセージが多く寄せられました。これにより政府はこの法を正式に撤回し――――――』


 テレビから流れる音に少女が顔を上げた。


 「ねえ、この子は、どうなったの?しっかり、生きているの?」


 見た目にそぐわぬ、たどたどしい口調で隣に座っていた女性に話しかけた。


 「そうねぇ。生きているみたいよ?」


 優しい笑みを浮かべ答えた彼女に、少女は首を傾げた。


 「ううん。この子はむりやり手術を受けて、そのあと、自分でいられたの?この子がなりたかった幸せに、なれたの?」


 女性は静かに視線をそらし、顔をかげらせた。


 「この子にも、こんどは、幸せになってほしいね。幸せは、本人が幸せだって思わなくちゃ、意味ないもん。

 まだ、しんりがく?方面で幸せのてーぎは決まってないみたいだけど、すべては、それぞれの心次第だから。

 ――――――そうだよね?お母さん?」


 


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「幸せの定義」に関する声明 木ノ葉夢華 @Yumeka_Konoha

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