第12話 山村荘
昔、O町がまだ村だった頃、村に出入りするには峠を歩き、山を一つ越えねばならなかった。その村の峠のふもとに、"山村荘" という旅館があった。石階段を数段登る先にある "山村荘" は、村で一番大きな建物で、夜になると煌々と灯りが旅館一杯に広がり、とてもきらびやかに見えた。山村荘は、村に行商に来た者や旅の者、港に入った船乗り達でいつも一杯で、賑やかだった。
この旅館を営む山村家の長男 誠助の元へ、遠くの大きな農家から嫁にやって来た娘がいた。色白で小柄なこの娘は、フミといった。笑うと目が三日月のようになるとても可愛らしい娘だった。
フミは農家の娘らしく、料理はお手のものだったので、板場にも入りながら女中らと共に旅館仕事の全てを教わった。フミは一生懸命働く姿と愛想の良さで、客にとても評判が良かった。
誠助には雪乃という妹がいた。雪乃は生まれつき耳が不自由であった。それでも障害をもろともしない明るさで、芯が強く、手話や筆談を交えながら家族と共に働いていた。フミともすぐに気が合い、フミは雪乃から魚の捌きかたなどを習った。
フミがすっかり家族の一員となり、仕事も難なくこなせるようになった頃、誠助の父母を相次いで亡くした。悲しみに打ちひしがれる妹を誠助とフミは懸命に支えた。
ある雨の日、一人の女性が赤子を背負ってやって来た。客と思いフミが出迎えると、その女性は玄関で膝をつき、両手をつき
「働かせて下さい」
と言った。結った髪はボサボサで、ボロボロの着物に足は泥だらけ。背中ではボロを着た一才にも満たない子が泣いている。フミは取り敢えず足を洗ってやり、中へ入れた。
女性はタケ子といった。タケ子はみなし子で、幼い頃から方々で奉公しながら生きてきた。しかし、奉公先で男に騙され身籠ると、そのまま追い出されたのだという。子供を抱えて働かせてくれる所もなく、とうとう峠を越えてここまで来てしまった。
フミはお腹を減らして泣いてる子供と、その子を抱えたタケ子がとても不憫で、誠助に
「このまま母子を外に出す訳にはいかない」と、住み込みで雇ってくれるよう懇願した。誠助はタケ子に苗字を聞いた。すると、苗字は無いと答えた。
「だったらこれからは『山村』を名乗れ。ここにいろ」
ぶっきらぼうだが、誠助の言葉は温かかった。
タケ子は床に突っ伏して、泣きながら礼を言った。
タケ子は奉公慣れしてるだけあって、何でもできる働き者だった。子供は武という名の男児で、タケ子、フミ、雪乃の三人で代わる代わる背負いながら働いた。中でも、雪乃は武の笑顔に、寝顔に、とても癒されているようだった。
そんな雪乃の姿に、誠助は雪乃の結婚を考えるようになった。だが、縁談があっても耳の不自由な雪乃は先方から断られるばかりで、悲しませるだけになってしまった。
「自分はこのままずっとここにいる」
と両手で強がりをみせる雪乃に、誠助はますます心を痛めた。
誠助は雪乃を嫁がせるのをやめ、婿養子をとることにした。すると、誠助は少し足に障害があるが教養のある、時雄という男を雪乃に会わせた。時雄は歩くとき少し右足を引きずるが、それ以外は健康で、賢い人物だった。雪乃は時雄の頭の良さが山村の為になるだろうと思い、結婚を了承した。
誠助とフミ、雪乃と時雄、タケ子と武と使用人達。新体制は若々しく、前途が実に楽しみであった。
しかしそれは長くは続かなかった。とうとう誠助にも赤紙が届いたのである。
誠助は幼なじみの平蔵と共に町の皆に万歳で見送られ、出兵した。フミは涙をこらえ、ただただ無事を無言で祈った。
誠助が居なくなると、時雄がまるで主のような振る舞いを始めた。フミやタケ子が戸惑っているのもつかの間、時雄は山村荘の乗っ取りを図り、フミとタケ子と武を家から追い出した。
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