第9話 最後に通帳を持った者


 桜井刑事はイライラしていた。腹を立てていたと言ってもいい。

 何なんだこの兄弟は。子供達は。母親の死を悲しむどころか、 "任せていた"、"関わりたくない"、"面倒はごめんだ"と、まるで他人事だ。終いには "財産を貰ってないから面倒を見ない" ときたもんだ。" タエちゃん" の方がよっぽど優しく感じられる。

「ダメだな。感情持っちゃいかんな」

矢野刑事が頬杖つき窓の外を見ながら言った。

驚いた桜井刑事が振り返った。

「は、はい...」

見抜かれていたと思いドキッとしたが、感情が表に出てしまったのだろうと思い直し、桜井刑事が口を真一文字に結んだ。

「この前見た時代劇でなぁ、『兄弟は他人の始まり』って台詞があった。親と子は...人によるかな」

矢野刑事が窓の外に目をやりながら呟いた。



「あれ?山村さんちの所にタクシー止まってますね」

桜井刑事が指差した。タクシーは道路沿いの山村宅の裏の所に止めてある。

「ちょっとこの辺で様子見てみようか」

矢野刑事は停止を命じ、少し離れたところから様子を伺った。

「タクシーの運転手もいませんね」

通常、タクシーが乗客を乗せてきたらそのまま運転手は待機しているものだが、誰も乗っていなかった。五分ばかり経った頃、七十代位の女性と中年の男性が山村宅から出てきた。どうやら中年男性は運転手らしい。後部座席に女性を乗せ走り出して行った。

 二人の刑事を乗せた車は静かに走らせ、先程タクシーが止めてあった場所まで来て停車した。すぐ脇に山村宅の窓がある。

「この窓、フミさんの部屋の窓だな」

矢野刑事は立ち止まり、その窓を眺めた。矢野刑事の肩の辺りに窓のさんがあたる。老人達は手を伸ばし、背伸びして差し入れ物を渡したのだろう。

 二人は車を離れ、玄関へ向かった。家の中へ声をかけると誠一が出てきた。

「あ...」

誠一が言葉に詰まった。急に刑事が来て緊張したらしい。

「突然すいません。先日はどうも。あれから何か思い出されましたか?」

矢野刑事は朗らかに言ってみせた。

「あ、いや、何も...」

誠一は戸惑いながら答えた。

「先日、山村誠次さんと平野清子さんにお話を聞きに行って来ました」

誠一はハッとした様子で

「それは遠いどこ、ご苦労さんでした。何か言ってましたか?」

と問いかけた。

「特にこれと言ったものは」

「あぁ、そうですか...」

「ところで、」

矢野刑事が本題とばかりに声のトーンを上げた。

「さっきタクシー止まってたようですが、どなたが?」

誠一がなんともないことのように

「タエちゃんとケンが畑の野菜を...」

と言いかけた時、矢野刑事と桜井刑事は二人して目を大きく開け「あ!」と声を上げた。

「あの方が "タエちゃん" !」

誠一はニッコリ微笑んだ。

「んです。タエちゃんと息子のケンジです」


 二人の刑事は、山村フミに関わりあいのある人々に話を聞くうちに "タエちゃん" という人物が気になっていた。そしてさっき見かけた女性がその "タエちゃん" と知ると、まるで芸能人とすれ違ったことに後から気付いたような、なんとも不思議な感覚になった。それはフミの子供達から"タエちゃん" に対して愛情のようなものを感じ取っていたからだった。



 そして二人の刑事は、山村フミの預金通帳を最後に持っていたという山村誠一の長女 斎藤百合に話を聞くため、勤務先の『O町民芸品観光センター』へ向かった。

 民芸品観光センターの所長だという、白い髭を蓄え、眼鏡をかけた老人に応接室へ案内された。

「ああ、んですか。"丸誠" のフミばあの事ですか。さぁさどうぞ、どうぞ。今百合ちゃん呼んでくっから」

「山村フミさんをご存知で?」

矢野刑事がの問いに、所長は寂しそうに答えた。

「この町で知らねぇ年寄りはいねぇです。みんな"丸誠"に世話になったもんばかりです。この町の年寄りは皆、フミばあの事に心痛めてます」

「"フミばあ"と呼ばれてるんですか?」

「昔、丸誠で駄菓子も売ってたんで、子供達がそう呼んでたんですわ。その子らも今ではいい大人です」

そう言って所長は少し微笑んでドアを閉めた。

 少しすると、ノックがして一人の女性が入ってきた。

「斎藤百合です」

百合は面長でショートカットがよく似合い、少し誠一に雰囲気が似てる三十代後半の女性だった。姉妹がおり、下に早苗という名の妹が東京で美容師をしていると言った。百合は長女ということだった。

「『斎藤』ということはお嫁に出たんですね?」

「はい」

「家を継がなかったのは何故です?」

「夫が "丸誠の婿" と呼ばれるのが嫌だったからです。それだけです」

百合は本当に嫌そうに答えた。矢野刑事が誠次の話を思い出し聞いた。

「家を出ることを、よく許されましたね?」

「亡くなった祖父が許してくれました。私、"おじいちゃん子" だったので。でも結局、私が嫁に行ったのに、夫はこの辺の年寄りに "丸誠の婿" と言われるんです」

百合はそう言うと、溜め息を吐いて迷惑そうに答えた。百合の夫は役場で働いているが、丸誠商店の破綻を受けてから、I市内へ転属を願い出てるらしい。それが叶えば百合もここを辞めると言った。

「フミさんの預金通帳を持っていたそうですね?」

「はい」

「それはどうしてですか?」

百合は思い出すのも嫌そうに眉間にシワを寄せた。

「始めは親の借金返済に使わせてもらう為でしたが、家や土地を取られてからは親の生活費に充てようとしてました」

「フミさんの恩給ですよね?フミさんは了解したんですか?」

百合はムッとして答えた。

「一応、断りはしました。元々、祖母の時代から続いた借金が元凶だったので」

刑事二人は緑の話を思い出したが、それを口にするのは避けた。

「何故父親の誠一さんや母親の志津さんではなくあなたが持つことになったんですか?」

「I市の叔母に、『母にやるなら渡さない』と言われたからです」

ふて腐れたように話す百合を見ながら、矢野刑事が言った。

「お母さんの志津さんが言ったことと印象が違うようですが?」

すると百合はうなだれるように下を向き、また溜め息をついてから顔を上げ答えた。

「母は、お金の管理が上手くないんです。だから週に一度、一週間分のお金を渡すようにしてました。でも、祖母が亡くなって、それも厳しくなってきたので、同居しなくちゃいけないかなと考えてるところです」

そして、黒い小瓶の心当たりと当日訪問したかを質問したが、どれも答えはNOだった。

「生命保険などは掛けてましたか?」

「保険かける余裕なんてありませんでした。だから祖母が亡くなっても入るお金なんかありません」

「そうですか。フミさんは認知症でしたか?」

「はい」

「どのような症状でしたか?」

「嘘をつくし、感情の起伏が激しいし。耳が遠いから話を理解してないのかと思うこともしばしばでした」

「嘘とはどんな嘘を?」

「母に叩かれるとか、お金取られるとか。食べさせてもらえないとか。本当に大変でした。嫁いびりのようでした」

淡々と答える百合とは対照的に、刑事二人は重苦しさを感じてきた。

「いつから症状が表れましたか?」

「祖父が亡くなってからです。祖父がいた頃は本当にいいおばあちゃんでした」

なんともやりきれない思いになった。

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