第8話 容疑者 相澤緑

 矢野刑事は考えていた。

フミが死亡したと思われる頃、その場にいた全員が "寝ているだけ" と思っていた。『財産を失ったショックと疲労と寒さを耐えていたのがコタツで暖をとると一気に眠気が差した』と、考えられなくはない。しかし、果たしてそうだろうか?フミはその時既に死んでいたのか?皆がいなくなってから死んだのか?

 その日、兄弟以外に誰も見かけた者はいない。それは、O町の老人達から聞いた話しによると、『その日は兄弟が集まるから誰も来るな』と志津が予め訪問を禁じていたのが影響しているのだろう。O町の者達は皆、フミを気遣って窓から差し入れをしていたという。本当に夜まで誰も来てないのだろうか?

 丸誠商店の経済状況は次女 清子の離婚の慰謝料を欲しがるほど逼迫していた。そして現在フミの預金通帳を持ち、管理しているのは誠一夫婦の娘の百合で、それ以前は長女の緑が持っていた。生活苦の誠一一家は母 フミの恩給を生活費としていたならば、生きてもらわねば困る存在のフミを殺害するだろうか?

 フミの認知症が原因で介護が煩わしくなり殺意が芽生えたとして考えてみても、O町の老人達は『フミは認知症ではなかった』と証言していた。認知症だと世間に吹聴するほど隠したい何かがあったのだろうか?それこそがフミに対する虐待だったとしたら?収入源のフミに虐待を隠すために殺意を持つだろうか?

 そして認知症だったと証言しているのは、長男 誠一と妻の志津、三男 誠と妻の佳寿子に次女 清子。次男 誠次は半信半疑のようだが、長女の緑は『認知症ではない』と思っているようだ。兄弟皆が認知症だと信じるなか。なぜ緑だけが疑ってたのか?

 そしてだれが青酸カリを手に入れることが出来たのか...?



 そして、フミの死亡現場にいた兄弟姉妹の最後の一人に話を聞く。


 長女 相澤緑の聴取

「志津です!志津に違いない!」 

キリッとした顔に頬齢線が深いシワを刻み、少し日焼けしたような地肌の長女の緑は、歯切れよく強い口調で眉間にシワを寄せながら、まだ刑事が質問をする前に言い放った。

「心当たりがあるんですか?」

桜井刑事が聞くと

「志津の本性知ってるからです!あの人が母にしてきたことを私、知ってるんです!」

とまた、興奮したように話し出すので、矢野刑事が冷静にさせようと話しだした。

「まず、順番としてこちらの質問を答えて頂きます。その後そちらの、その、お話をお聞きします。いいですか?」

緑は出鼻を挫かれたようで少しムッとしたが、刑事に従う事にした。

 そして " 山村フミが死亡したとされる時間に部屋を覗いた時のフミの様子"、"その日その家で見た第三者はいたか" 、"黒い小瓶に心当たりがあるか" 、"誰が毒物を手に入れることができるか" 、等々質問した。しかしどの答えも他の兄弟と同様の返答だった。

「丸誠商店の経済状態が悪化していたのは、いつから気付いてましたか?」

矢野刑事が質問を続けると、"待ってました" と言わんばかりに緑は前のめりになった。

「志津が母に"お金を出せ"と言いだした頃からです。だから私は絶対渡しては駄目だと母に言ってたんです!」

矢野刑事が緑の気迫を受け流しながら続けた。

「それはいつ頃ですか?」

「父さんが死んだ後だから...えっと、十三、四年前..だと思います」

「フミさんにお金をせびってたのを知ってる人は?誠一さんとか?」

「兄は志津の言うことばかり信用して全然話しになりません。それに志津は "誠一に言ったらただじゃおかない" と母を脅してましたから」

「ほほう、"ただじゃおかない" ですか。実際見たことがあるんですか?」

緑が少し引いて口ごもりながら

「見ては..ないけど。でも、タエちゃんなら知ってます。タエちゃんから全部聞いたんです」

と答えた。矢野刑事が整理した。

「では、母 フミさんがお金を請求されてるとあなたに報告したのはその "タエちゃん" あ、いや"…"タエ" さんという親戚なんですね?」

「そうです!そう!お金だけじゃなくて、その、もっといろいろあるんです!」

「"認知症じゃない"と言ったのもタエさん?」

緑はハッとして答えた。

「そうです!」

「なぜそのタエさんの言うことは信じられるんですか?」

この質問に突然、緑の肩の力が抜け、懐かしむように答えた。

「ただの親戚じゃない。私達にとっては同じ兄弟みたいなもんです。タエちゃんの亡くなった夫は、本当の兄弟でなくても、私達の一番おっきな兄ちゃんという存在でした」

矢野刑事が少し間をおいた。そして質問を続けた。

「フミさんの預金通帳を以前、預かってたそうですね?」

「はい」

「その理由をお聞かせください」

「タエちゃんにそうしてほしいと言われて」

「それはなぜ?」

「志津が母の通帳を探して、隙を見つけると母のタンスや戸棚を荒らすと。母が持ち歩いてるのに気付いたら、母に何をするか分からないから、子供の私に預かって欲しいと...」

緑は目に涙を浮かべた。

「それがなぜ今、誠一さんの娘の百合さんが持ってるんですか?」

「志津の借金が膨らんで百合にバレたんです。百合が借金を背負うも重すぎて、私に母の恩給を返済に使わせて欲しいと言ってきたんです」

矢野刑事が不思議な顔をして聞いた。

「志津さんの借金?」

緑が怒りの表情になって答えた。

「そうです!全部志津の借金です。志津のせいで丸誠商店は潰れたんです!」

そして緑は、"借金は店の経営難からではない、志津の贅沢が招いた" と、そして "誠一が出稼ぎに行ってる間に、家や店を抵当に入れ更に借金を重ね贅沢を続けた" 、"母親が店の経営と家計を引き継いだ時、百万円の借金があったが、同等の在庫があり、更に別に貯蓄もあったが、全て志津が使ってしまった" という説明をした。

「全て渡してしまって、フミさんは大丈夫だったんですか?」

桜井刑事が思わず口を挟んだ。緑は桜井刑事の方を向いてこう言った。

「年金は少ないですが、父の軍事恩給がありました」

「恩給っていうのは軍事恩給のことなんですか?」

驚いた桜井刑事に緑が答えた。

「父は戦争に行った元軍人なので、父が死んだ後も父が生きていた頃程ではないけど、母に軍事恩給が支給されてたんです」

桜井刑事が怒りを抑えて質問した。

「旦那さんを亡くし、財産を譲り、お金を全て取り上げられ、そして年老いてから虐められる。そんな状況を知ってて、フミさんを引き取ろうとは思わなかったんですか?」

すると、緑は今まで見たことのない冷たい顔をして言った。

「あなた、若いから分からないかもしれないけど、私はね、家を出て嫁いだ身なの。今夫は単身赴任で家にはいないけど、親を引き取るならそれ相応の事が必要なのよ。私は父が亡くなった時、兄に『親の面倒を見るから財産放棄しろ』と言われて判を押した。私が親の面倒を見るなら同じ様に、あの頃あった財産を持って私の夫に兄夫婦が頭を下げてお願いしなければならない。で、なければ母を引き取る訳にいかないのよ」

桜井刑事は、この冷たい思わぬ返答に言葉を失った。

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