たすけ

Heater

としより

 雨上がりの散歩では砂利も小石も重く湿って、靴音がコツコツ小気味よくなる。

 自宅前の細い通りを抜けて大通りを渡り、宅地も畑も抜ければ土手に挟まれた川が眼下に流れる。

 この近所の川は東に行くと川幅が広く流れも激しくなっていて、台風の時は地元の人は誰も近づかない。未だ決壊シたことはないが、そのうちするだろうと言われている。だが、通常は土手を散歩する人も多い。


 田舎の土手にあるまじき人だかりができ、一様に川の流れが渦巻いたあたりを眺めている。一人見知ったお婆さんがいたので、おはようございますと言った。だが、その人は集団の中で一番川の方に気を取られて返事がなかった。

 なにかと思って自分でも覗き込んでみると、一匹の白い小さな動物が川の中に指してある細い杭の上でおろおろしている。

 その動物は猫のようだった。生まれて3ヶ月程度のやんちゃ盛りの猫が、無惨なほど濡れて縮こまっている。杭の上はバランスがとりにくそうで、先程から後ろの片足がずり落ちたり、尻がずり落ちて重心を崩している。それがおろおろしているように見えるのだ。

 先に来ていたうちの二人は学生らしく、ジャージ姿に大きなカバンを背負っている。「川に落ちそうだから、助けてあげないと」「でも昨日の雨で水位が上がってるんじゃない?」

 水位については自分も同感だった。農作業を終えたらしい泥だらけの中年の男が軽トラックから持ってきた、ビニールの支柱に使うプラスチックのスティックを一本持ってきていった。「これに引っかからないかな?」

 あの子猫がこちらの意図を察してこのスティックに捉まるのを待って、川岸に引き上げようというらしい。思うに、この棒を敵とみなせば、猫はパニックになって体勢をくずして、川に落ちるだろう。

 そう考えて首を振ると、中年の男はスティックで川の深さを測った。

 引き揚げて泥水のつかなかった位置は男の腰よりも上だった。「こりゃだめだ。人でも重心をもっていかれちまう」

 さっきまで内気そうに猫を見守っていたお婆さんが、振り向いて言った。

「あれは猫じゃないから、助けてはいけない」

 学生の一人が強く反発した。「どう見ても猫じゃん。放っといたら死んじゃう」あまりに強い調子だったので、背中へたれたポニーテールが揺れた。

 老いた声はしばらく黙ってから答えた。「じゃああの子猫はどうやってあの杭の上に行ったの?」「それは、たぶん上流から川に流されてきて、運良くあの杭に乗れたんじゃない?」お婆さんは手を合わせて、土手の道を行ってしまった。

 また天気が悪くなってきた。中年の男も顔を青くしていった。

「お婆さんの言うとおりだよ。もしお嬢さんの言う通り運良く杭に乗ったとして、どうしてあの猫には泥水がついていないんだい?」子猫は惨めに濡れて見えるが、川の濁流から揚がったとは思えない白い毛をしていた。

「おじさんまでそんな事言うの?」「確かにあの猫が死んだら可愛そうだけど、そのために人間が危険な目に合うことはないよ。今保健所に連絡してみるから」

 中年の男性は作業着のあらゆるポケットを探ったが、スマホを忘れてきたらしい。自分も家に置いてきた。

 女子学生はカバンを土手のアスファルトの上に乱雑に置いて、ジャージパンツの裾をまくり上げ、靴を脱いで川に入った。


 先程の支柱が埋まった際よりは浅いが、それでも女子学生の腿のあたりまで水深はあるらしい。杭に辿り着く前に、彼女は足を取られてひっくり返った。たまたま深いところに倒れてしまったのか、彼女は流され始め、足がつかないらしい。

 中年男性ともう一人の学生は大声を上げて、流された子を走って追った。

 私はその場にとどまり杭の方を見た。猫らしき動物はきれいな姿で今もおろおろしていた。

 その猫はこちらが助けようとするか試し、観察しているように思われた。あのお婆さんが猫から離れた理由がわかった気がする。

私が見られている。人間が困っている猫を見ているのではない。猫は演技をしてこちらを観ている。目は如何にも川の流れを気にしているようだが、体全体でこちらを観ている。

 私は土手をあとにして、流されていく少女を追いかけることも放棄した。

 見られているという感覚をてこに、急激に年を取ったようだ。

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たすけ Heater @heataeh

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