第12話 アブリヨンへ
「現地ではいろいろと気をつけなきゃならないことが多くなる。前もって心構えをしておく方がいいだろう」
なるほど。カイトス一人を相手にしても日々苦労が絶えないのだ。それが見ず知らずの女子数名となると、短期間でも相当に面倒くさいことになるのは間違いあるまい。
「お気遣いありがとうございます……留守中はご不自由をおかけすると思いますが、お言葉に甘えて……」
さっきのような入浴中の人払いや必要品の買い出しなど、カイトスが寮生活を送る中で俺の手助けが必要なことは多岐にわたる。アブリヨンがどのくらい遠いかはまだ知識にないが、少なくとも数日は寮を離れることになるはずで――
「大丈夫だ。僕も一緒に行くから」
「えっ」
半分くらいは社交辞令のつもりだったのに、斜め上の返事が返ってきて言葉を失う。だがカイトスはさも当然そうに胸を張った。
「僕一人じゃ寮で生活するのは無理だ。それに君だって、一人じゃどこに行くにも不自由だろう?」
「……まあ、それは確かに?」
……いや、そうだろうか?
相部屋になってしばらく、カイトスの秘密を俺が知るまではお互いに干渉せず勝手にやってたような気もするのだが。
「じゃあそういうことで。明後日の朝出発するから、用意をしておきたまえ」
……そういうことになったらしかった。
* * * * *
カイトスと二人、馬を並べて街道を進んでいく。未舗装の道は路面が馬車の車幅に大きくえぐれて、草生した土が中央部にだけ盛り上がっていた。どうやら相当古くから使われている道であるらしい。
この世界、まだ正確な地図が一般に普及するには至っていない。ミロンヌにいたときには徴税のためにまとめられた荘園ごとの測量図のような物しか目にすることはなかったし、学院に来る途中で把握できたのは街道とその周辺を描いた大まかなルートマップ程度のものだけ。
というわけで図書室で司書を拝み倒して地図集を貸してもらい、学院からアブリヨンまでのルートに沿って地図を書き写してきてある。俺はしばし立ち止まって、馬上でそれに目を落とした。
「道はこのままで合ってるみたいですね」
「よし、引き続き前進だ。この調子なら、明日の日没前にはアブリヨンの門をくぐれるだろう」
カイトスは馬上で剣を抜くと、突撃の合図をまねて前方ヘ切っ先を擬した。その背中に後ろからもう一声かける。
「今夜の宿はどうします?」
「そうだな。宿場や宿屋があればよし。さもなくばそのへんの富農の家にでも、一夜の宿を請うとするか」
まあそれしかあるまい。いくら何でも公爵令嬢に野宿をさせるわけにはいかないし、そもそも寝袋などの準備もしていない。
日没まではあと三時間といったところか。道沿いの風景に気を配りながら進んでいくと、やがて広々とした耕地と森に囲まれた裕福そうな村が見えてきた。
「ほう……」
カイトスが感心したように声を上げる。美しい村だ――刈り入れの近付いた麦畑が西日を浴びてさわさわと波打ち、川沿いの水車小屋からは
「ここでいいんじゃないですか?」
「そうだな、悪くない」
堤防沿いの小高く盛り上げられた道から降りて馬首を村の方角に向け、俺たちはゆっくりと集落の方へと向かっていった。宿屋らしきものは見当たらないが、村の外れに小ぢんまりとしたたたずまいの館が建っている。
貴族の屋敷というほど大きくはないが、窓枠や鎧戸に塗られたペンキの具合や植え込みの手入れを見るに、華美過ぎない程度に手をかけて維持されている建物であるようだった。
「あまり歴史の古いものではないようだが、趣味は悪くないね。あそこに泊めてもらえればいいんだが」
「ひとっ走りして都合を聞いてきましょう」
こういうときは下位の随員が意を汲んで素早く動くものだ。俺は馬に一鞭呉れると、カイトスをその場に残して屋敷へと向かった。敷地を囲む柵の傍まで乗り付けて、声の届くところにいた男に声をかける。
「お忙しいところ申し訳ない、ここはどなたの屋敷かな? 旅の途中なのだが、一夜の宿を乞いたい」
「へっ……? あ、ああ。ここは私の屋敷ですが、貴方さまははどちら様で、お若い方?」
どうやら最短で用件が片付く相手だ。どこまで明かしていいものか一瞬迷ったが、俺は包み隠さず名のることにした。
「俺はシュバルツ・コールサック。ミロンヌ男爵家に連なる者で、王立学院の一年生です。同行者がもう一人いる」
男は眉を上げてこちらをうかがうと、少し考え込む様子で首を傾げた。
「はあ……あまり大したおもてなしもできませんが、この辺りは夜になるといささか物騒です。このようなあばら家でよろしければ。それと、ただいま我が家にはもうお一方、先客がございますが……食事などはご一緒で構いませんか?」
先客とな。
「……部屋が別なら構わないと思うが、隣り合わないようにして欲しいかな。で、俺と連れは同室で頼む。ところで、あなたの名前は?」
「このイスキーン村の村長で、クロードと申します」
「ありがとう。ではよろしく頼む」
学院の生徒というのは別に権力を与えられているわけではないが、それなりの身分証明と待遇保証として機能する。
俺はカイトスのところに戻り、今夜の宿泊についてクロード村長から聞いたことを説明しながら、一緒に屋敷の門内に足を踏み入れた。
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