第2話 ひよこ鑑定士の追憶

 とりあえず、可能な範囲で説明はすべきだろう――俺は、軽く咳払いをして呼吸を落ち着かせると、出来る限りの真面目シリアスな声を作った。

 

「ええと。笑わずに聞いて欲しいん――聞いていただきたいのですが。俺は、ひよこ鑑定士なんです」


「はぁ?」


 カイトスが眉根を寄せてひどく曖昧な顔になった。前世に親しんだ各種のマンガなら、いま彼、いや彼女の頭の上には特大の「?」マークが浮かんでいることだろう。

 

「つまりですね……俺は生き物に手で触れると、どんなに雄雌の区別が難しい種であっても、即座に判別できるんです」


「……よし、分かった。やはり君には死んでもらわねばならん」


 カイトスが衣装掛けに今度こそ手を伸ばし、例の金ぴかゴージャスな宝剣を抜いてこちらへ向けた。やめてください、死んでしまいます。



    * * * * *

    


 どこか滑稽なその名称に反して――ひよこ鑑定士とは非常に高度な訓練を要する専門職であり、養鶏産業に不可欠の技能職である。前世の俺、黒田康作は中堅どころの「初生雛鑑別師」で、最盛期には月に七十万程度を稼いでいたものだった。

 

 だが、雛の肛門から内部の形状を観察する「肛門鑑別法」に代わって、卵の外観形状から画像識別する機械学習法や内部の液を注射器で採取する染色体マーカー法といった新機軸の手法が開発され普及してくると、仕事のパイは小さくなり収入は次第に減少してしまった。

 

 勢い、新式の機材を入れる余裕がなく単価の安い、小さな孵化場での仕事が増えた。就労時間も長くなって帰宅の途中で居眠りすることが増え――

 

 気が付くと俺は、やたらと陽光眩しいどこかの神殿風の建物の中庭で、性別のはっきりしない全裸の人物と対峙していた。

 

 

 

 

「黒田さん。あなたは難易度の高い資格を身につけて頑張ってきたのに……本当にお気の毒です」


「誰だ、あんた」


 その肌色面積の多いセンシティブな人影は、ため息らしきものを一つ吐くとゆっくりと頭を振った。

 

「あなたは過労のため帰宅中に路上で倒れ、そのまま亡くなってしまったのですよ」


 何だって……!? そういえばここの所、朝がたに胸元が苦しくなることがあったっけ。


「本当なら、困ったな……いや、別に困らんか。あとに残る家族もいないし、親はとっくに他界したし……どうでもいいが、全裸は少々目のやり場に困る。何か着てくれないか?」


「気にしなくても大丈夫。私には性別がありませんから見ても何の差しさわりも」


「言われてみれば……」


 改めて見直すと、はっきりしないどころかその人影は無性だった。乳首も性器もへそもない。角度的に不明だが、たぶん肛門もないなこれは。ひよこ鑑定士の前に性別のない体で現れるとは何事か。バカにしとるのか。 

 

「ここは霊界のやや浅い階層。私はここで、輪廻転生を定められた魂を案内する仕事をしています。あなたの持つ概念に当てはめると、下級の神といったところですね」


「神、なあ」


「あ、そちらの世界の住人、特にあなたの属する国の人たちが宗教観念について特殊な傾向があるのは理解しています。とりあえずですね、貴方さえ良ければ別の世界に転生して、新しい人生を送っていただくことが可能なんですが……記憶、どうします?」


「急に言われても迷う……って、記憶って持ち越せるのか」


「あなたのいた世界にもたまにいたでしょ、前世の体験を記憶してると称して、いろいろしゃべりだす人。ああいう人は、ここで消去処置をせずに転生した口なんですよ」


「ああいうのって、承認欲求に凝り固まった困ったちゃんの妄言かと思ってたが、違うんだな」


「おや、けっこう辛辣なんですねえ……で、どうします?」


 俺は少し考えた。実はさっきから目の前の神が、脇にある小テーブルの上においた小さめのマグカップをチラチラ見ているのに気が付いている。多分、記憶を消すという選択をするとアレを飲まされるのではないか。中国かどこかの説話で読んだことがあった気がする。

 

 うん、記憶を消すのは無しだ。初生雛鑑別技能は、習得して資格を取るのに結構な時間と費用を食うものなのだ。俺の人生そのものと言ってもいい。あれだけ苦労して身につけたものを記憶ごと消してしまう、という選択は、ちょっとあり得ない。

 

 何より、あのマグカップの中身がひどく不味そうなのが気にくわない。黄粉入り牛乳と青汁を混ぜてごま油と大根おろしを加えたような、まとまりの悪い匂いがここまで漂ってくるではないか。

 

「よし、記憶はそのまま保持で」


「分かりました、では!」

 

 いうなり、そいつは俺の肩に手をかけると、ニッコリ笑ってまるでダストボックスに空きペットボトルを放り込むような軽々しさで下方へ向かって押し込んだ。

 

「言い忘れましたが、記憶を保持する場合、あなたの転生特典であるユニークスキルは、自動的に生前の技能の強化版になります。どうぞ良い人生を!」


「えっ!?」


 訊き返す間もなく、俺の体はどんどん加速していった。

 

 

 ――良い人生を~~~!!

 

 遥か頭上で、あの自称「神」の声が後びくようにこだましていた。もしかしたら俺は今、何かひどく損な取引をしたのかもしれなかった。

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