第25話 人外の領域

 急速に消失する相互の距離。

 そして次々と高速で放たれる剣閃。


 そのいずれもが早く、鋭く、そして確実にユイの心臓を狙うものであった。


「……キミも制限を解除したというわけだ」

「解除? ああ、それは勘違いだ。あれはセカイに受肉した際に、影響を抑えるための枷さ。だからこの空間では関係がない」


 言葉とともにゼスは一気に距離を詰める。そしてそのまま彼は、ユイのみぞおちに肘の一撃を叩き込んだ。

 途端、大きく後方へ吹き飛ばされたユイに、激しい吐き気と痛みが襲う。


「ぐっ……はぁはぁ、この空間では痛みも感じないかと思ったけど、しっかりと痛いものだね」

「ここはキミがユニバーサルコードと呼んでいるものと、そしてあのセカイをつなぐ中間点。だからキミはその実体を保てているのさ。もっともやろうと思えばこんなことも可能だけどね」

 不敵な笑みを浮かべたゼスは、大地を蹴るとともに宙を舞い上がる。

 その跳躍は人間では当然ありえないものであり、それどころか彼は重力を無視するかのように天井の壁を踏みしめ、急降下するようにユイの喉目掛けて剣を突き立てる。


 全く想定外の、そして経験したことのないゼスの攻め。

 それをユイはどうにか反応すると、皮一枚の距離で回避する。そしてそのまま距離を取るために彼が刀を一閃すると、ゼスは不敵な笑みを浮かべながら、大きく後方へ飛び退ってみせた。


「はぁはぁ、物理法則を無視する……か。なるほど、確かにここでは私たちの常識が通じなそうだ」

 ユイはそう口にするなり、側にあった文字情報が羅列される壁を軽く蹴りつける。

 いや、正確に言うならば、彼は壁に足が張り付くかどうかをテストした。


 だが彼の体が物理法則を無視することはなく、上げた足は力を抜くなりそのまま床へと落ちる。


「ふふ、無理だよ。基本的な物理法則はあのセカイに準じているからね。言っただろう、ここはセカイの裏側だって」

「つまり君は君の嫌う魔法を使っているわけだ。そして自らの足で踏みしめる小空間のみ物理法則を書き換えていると」

「訂正を求めたいな。この空間はもともとソースコードと地続きになってる。だからこそプログラムに加筆する形で介入するのは、自然な行為さ。魔法などという、バグを使用したものと同じにしないでくれ」

 ゼスは不機嫌さを隠すことなくそう吐き捨てる。

 それに対しユイは、軽く息を整えると再び刀を握りしめ真っ直ぐにゼスを見据えた。


「なるほど、加筆ね。だから君の傷は治らない。生み出された負傷という事実を消し去ることは、加筆という行為ではできないからね」

「軽く躱したつもりだったけど……ふむ、やはり君は油断ならぬようだ調停者」

 本人も気づかぬほどの右上腕の一筋の傷。

 それは先程の交差時に付けられたものであり、ゼスは驚きを示す。


「それはどうも。ただこれではっきりした。あの世界ならキミたちを完全に除去できなくとも、ここではキミたちを消し去ることができる」

「否定はしないよ。キミの父親も母親も、ボクたちをあの世界で排除することはできても、根源となるソースコードを消すことはできなかった」

「だからキミは私の前に立っている」

「そう。だが残念ながらボクを消し去ることはできない。なぜならば、あの世界で唯一ここへたどり着けるキミが、ここで消え去るからね」

 その言葉と同時に、ゼスは再び人の身ならざる速度で攻めに転じる。


 一撃、二撃、三撃。

 突きを主体としたその剣撃は、明らかに先程までより一段階その速度を上げていた。


 剣を目で追っては間に合わないことは明らかだった。

 だからこそ、ユイは迫りくる剣を完全にその視界から消し去る。そしてゼスの体の動きを、より正確に言えば筋肉の動きを、そして呼吸の間合いを見る。


「意味がわからない。なぜこの速度で人が反応できるんだ!?」

「人間を辞めてそうだった母親とか親友に囲まれたおかげさ。もちろん感謝しているかは別にしてね」

 言葉とともに、ユイは半身をずらしながら前へと出る。

 すると、ほぼ同時に彼が先程まで立っていた場所にゼスの剣撃が走った。


「なっ!?」

「キミたちのことは嫌いだけど、キミの素直な攻めは嫌いじゃないかな」

 そう言葉を吐き出すと、まさにカウンターの形でユイの肘打ちがゼスの体にのめり込む。

 途端、加速していたゼスは弾けるように後方へ転がった。


「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な。なぜ制限を外しても、貴様は戦える。もはやこの体は人の身ではありえぬ境地に到達しているはずなのに」

「先程も言っただろう。望んでいたわけではないけど、人を辞めてそうな人間との手合わせには事欠かなくてね。キミはあの化け物たちに比べると身体能力は遥か上だけど、ただそれだけさ」

「それだけ、だと!」

 ユイの言葉に、ゼスは初めて苛立ちと怒りをみせる。

 それに対しユイはゆっくりと首を縦に振ってみせた。


「ああ。速く強い。うん、それは確かに素晴らしい。でもね、君は彼らのように上手くもなく、狡猾でもなく、そして洗練もされていない。つまり剣と身体能力に振り回されているだけさ。そんな存在、何も怖くない。ただそれだけのことだよ」

「……そうか、そこまで言い切るか。いいだろう。謝罪するよ、調停者。貴様を甘く見ていたことを。だからこんなお遊びは辞めにする」

 ゼスはそう言うなり、手にしていた剣を放り投げる。


「おや、諦めてくれるのかな?」

「冗談。ただ貴様の領域で戦うことをやめると言うだけさ、ジャーマランサ!」

 言葉と同時に無数の炎の槍がゼスの前に出現する。


「魔法戦……か。確か誰かが嫌いなものだったと思うけど……っと、そういえばバグで私たちが使うことを嫌がっただけか」

 ユイはそこまで述べると、苦笑を浮かべる。そしてそのまま彼は、ゆっくりと最も得意とする呪文をその口にした。


「とはいえさ、私は別に魔法戦が嫌いじゃないんだ……マジックコードアクセス」

 眼の前の炎の槍を解析し分析し処理する。

 そしてまたたく間に、ユイはその魔法自体の支配権を奪いにかかった。


 しかし次の瞬間、彼の鼓膜は絶望的な呪文の羅列をその耳にする。


「そう来ると思ったよ、調停者。そしてだからこそ、君の限界を教えて上げるよ。ホワールウインド……アイスランス……フレイムショット……アースアロー!」

 呪文を奏でると同時に、ゼスの前に生み出される魔法、魔法、魔法。

 そして彼の存在さえ覆い隠すほどに、無数の魔法が彼の眼前に編み上げられ、ゼスは不敵な笑みを浮かべる。


「さて、ジャーマランサを奪いにかかったクラッキングは実にお見事だった。でもそれでは対抗し得ぬ領域があるんだ。済まないがこれで終わりだよ。決着と行こう、ユイ・イスターツ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る