第15話 混沌

「やって……くれましたね、朱!」

 痛みと怒り。

 その両者に打ち震えながら、残された手で失われた右腕を押さえつつ、エミオルは眼前の狐目の男を睨みつける。

 一方、自らの手にするカリブルヌスについた血液を軽く払い、アレックスは涼しい顔をしたままその口を開いた。


「世界を見通しているのは自分たちだけ。そんな錯覚に陥るから僕の存在に気づかないのです。つまりはあなた方の傲慢さが腕を失わせたのかもしれませんね」

「……ご高説痛みいる」

 赤髪の男の言葉に、エミオルは頬を引きつらせながらそれだけを述べる。

 すると、アレックスはニコリと微笑み、そして一歩前へと足を踏み出した。


「満足いただけたようで何よりです。では終わりとしましょう。僕は残念ながら騎士道精神などという曖昧で言い訳じみた物を有していませんので」

 それだけを述べると、アレックスは軽くカリブルヌスを振りかぶる。そして目を大きく見開いたエミオルに向かい、最後にと言葉を投げかけた。


「終わりです、修正者さん。これであなた方への借りは――」

「君の言葉、そっくり君に返してあげるよ。世界を見通しているのが君たちだけだと思わないほうがいい」

 それは突然放たれた言葉だった。

 そう、アレックスの影に潜むかのようにその背後から。


「ちっ、まだ遊ばせてくれるってわけだ。参ったな」

 背後からゼスが腰に下げた剣が振るわれんとしたタイミング、そこでエミオルと立ち位置を入れ替えるようにして間一髪難を逃れる。


「ゼス……さま」

「すまない、君だけにリスクを負わせてしまったね。だがこれで数的優位は作れた。バグ相手にまともにやり合う必要はない」

「バグ? よくわかりませんが、あまり良い言われようではなさそうですね。しかしお二人でこの帝国陣営のど真ん中にいながら数的優位とはいかがなものですかね」

「二人ではないさ。なぜ僕がここにいると思う?」

 それはまさにきっかけとなるかのような言葉であった。

 未だ砂塵によって視界の晴れぬ彼の背後から、無数の馬の蹄の音が鳴り響く。

 そして次の瞬間、一斉に銃を手にした騎馬の一軍が帝国陣営になだれ込んだ。


「本当に無茶はやめてください、ゼス様」

 先行したゼスに追いついたドラグーンの隊長であるランティス。

 彼はゼスの側で馬を止めると、迷いを見せながらも毅然として苦言を呈する。

 それに対しゼスは、苦笑交じりに正直な内心を述べた。


「すまない……だが収穫はありました。彼を助け、そしてバグを目の前におびき寄せることができたのですから。さあ、彼を取り囲みなさい」







「敵は矢より鋭い兵器を有している。まずは馬を狙え。簡単にあの武器を使わせるな!」

 突然のドラグーンによる襲撃、それを目の当たりにし、レムリアックの防衛部隊を取りまとめるノインは矢継ぎ早に指示を下す。

 そのノインの指示はすぐさま伝達され、長槍を持つ兵士を中心に、突撃してくるドラグーンとの応戦を開始された。


「皇太子、下がれ。長期戦になれば負けはしないが、奴らの突破力は油断ならない。もし君がやられれば、確実な勝利さえ失われてしまう」

「言いたいことはわかる。だが、カロウィン。今はだめだ」

 もはや目と鼻の先にまで無数のドラグーンが迫り来る現状。

 にもかかわらず、ノインの返答には一切の迷いは存在しなかった。


「何を言っているのだ。混戦になれば、万が一のことも――」

「ああ、万が一のことも起こる。そう、我らにとっても、そして彼らにとってもな」

 ノインはそう述べると、再びその視線をただ前へと向ける。

 すると、そんな彼の側へと一頭の帝国馬が走り込んできた。


「ノイン、軍を押し出し、包囲は控えてくれると助かる」

 黒色の武装をした帝国兵らしき男は、ノインの脇をすり抜ける最中、それだけの言葉を投げかける。

 一方、ノインは駆け抜けていったその男の背中に向かい、届くことのない言葉を投げかけた。

 

「わかっている。好きにやってこい、お前の戦いだ」

「おい、今のは……」

「カロウィン、軍を推し進めるぞ。理由はわかるな」

 ノインはカロウィンへの返答代わりに、そう口にする。

 途端、すべての事情を理解したカロウィンは、軽く下唇を噛んだあとにその口を開いた。


「ああ……指示を伝えてくる。しかし、これが付き合いの差か」

 あの男が行動を開始するより早く、軍を彼のために動かし始めたノイン。

 そんな彼の事を改めて評価しながら、カロウィンはすぐさまその場を駆け出した。


「しかし、まさか我が軍の中に溶け込んでタイミングを図っていたとはな。実にアイツらしいが、あの敗北を思い出させてくれるのだけが難点だ」

 彼が帝国軍の武装に身を固めるのはこれで二度目。

 目的は異なれど、そのいずれに置いても帝国は彼の潜伏を察知し得なかった。


 だからこそノインは、目的にかなうこの状況なれども軽く舌打ちする。

 そしてすぐさま気持ちを入れ替えると、彼は己が成すべきことを行動に移した。


「敵将が眼前にいるぞ。やつの首を取れば恩賞は思うがまま。たとえ一兵卒でも居城を授けよう。さあ、今こそ全軍前進せよ」

 既にカロウィンから幕僚たちへと伝えられていた指示。

 そして皇太子からの強き宣言。


 それらを受けて、帝国軍を中核とするレムリアックの防衛部隊は一斉に行動を開始する。

 もはやそこには毅然とした戦術も、戦略もない。


 しかし明確な意図だけは存在する。

 そして練度と武装が勝るドラグーンと圧倒的な人員差で前進を続ける帝国軍、その両者の間で血と汗だけが流される混沌がたちまちにこの戦場に於いて産み出された。

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