第14話 背後を取った者は

 レムリアックの地を黒色の兵団が駆ける、駆ける、駆ける。

 かつての敵国、その中をまるで我が国と言わんばかりの勢いで、彼らは軍をひたすらに進めていた。


「急げ! 領内で敵の好きにさせるわけにはいかんぞ!」

 兵団の先頭を馬で駆けるノインは、ちらりと後方を振り返ると、叱咤の声を向ける。

 途端に、彼の兵士たちに緊張が走ると、さらにその歩みを加速させる。

 そんな最中、ノインと馬を並走させる全軍の副指揮官は、苦笑まじりに思わず言葉をこぼした。


「領内……か。ふふ、貴公の領土はこの南に広がる広大な大地だと思うが」

「茶化さないでくれ、カロウィン。言いたいことはわかるが、大事なことは兵士たちに伝えるべきことを伝えることだけだ」

 自らの中でも思うところはあるのか、ノインのその声はやや苦味を帯びたものあった。

 それを受けてカロウィンも、一つ頷くとともにその視線を前へと向ける。


「ああ、理解している。だからこそ……ん⁉︎」

 言葉を止め、カロウィンはその存在に気づく。

 前方から必死の形相で駆けつけてくる、薄汚れた兵士の姿を。


「ノイン殿下、お待ちください!」

「確か東部第十二部隊に配属していたレフラントだな。どうした?」

 兵士の姿をその目にしたノインは、慌てて馬を止めると、東より駆けつけてきた男に向かいそう問いかける。

 すると、一兵卒に過ぎぬ自分の名を呼ばれたことに驚きつつも、レフラントは必死に声を張り上げ一つの事実をその口にした。


「報告いたします。敵、ドラグーンが集合魔法を……集合魔法を使用し我ら東部防衛隊は壊滅的被害を受けました」

「集合魔法……だと!」

 その声はカロウィンの口から発せられた。

 それはまさに帝国軍の代名詞であり、それを他国の、それも魔法文化を拒否するトルメニアの兵士たちが扱ったことに彼は戸惑いを隠せなかった。

 だがそんな彼とは対照的に、ノインは淡々とレフラントの報告を受け止める。


「そう……か」

「落ち着いているのだな、指揮官どの。貴公は敵が貴国の魔法を使うと知っていたのか?」

「そんなわけがない。だが二度目となると多少耐性もつくさ。何しろ我が国が集合魔法の被害を受けたのは初めてではないからな」

 ノインは小さく頭を振りながら、かつてたった一人の男により完敗を喫した戦いのことをカロウィンへと示唆する。


「この地の領主どのか。まあ、それよりも敵に切り札があるとなると、厄介なことになったものだ」

「ああ、実にめんどうな事態だ。だが面倒ではあるが、それ以上ではないな」

 小さくため息を吐き出すと、ノインはカロウィンに向かってそう返す。

 それに対し驚きの声をあげたのは、報告を行ったレフラントであった。


「え……ですが、集合魔法を敵が――」

「関係ないさ、レフラント。たかが百名の魔法士が扱う集合魔法などな」

レフラントの言葉を遮る形で発せられたその言葉、それはすぐにカロウィンによって察せられた。

「……なるほど、そういうことか。貴公がそれほど淡々と事態を受け入れている理由がようやく分かった」

 ノインの言葉を受け、カロウィンは納得したように一つ頷く。

 一方、ノインの周囲を取り巻く帝国兵たちはその理由を理解できず、依然として戸惑いを見せていた。だからこそノインは、彼らに向かい大声で語りかける。


「敵は集合魔法を扱うとのことだ。確かにその事実は恐るべき事態ではある。だが集合魔法は誰が生み出した? そう、我ら帝国だ。我らこそが、最もあの魔法を熟知している。そしてだからこそ、恐るべきものなど何もない。たかが百名程度の魔法士が扱う集合魔法などな」

「なるほど。確かに殿下のおっしゃられる通りです」

 それまで沈黙を保っていたノインの副官は、納得したように大きく頷く。そしてすぐさま多くの兵が同様の反応を示した。


「我らが兵士諸君。もちろん油断はならぬ。だが敵はあの最高に厄介で面倒なこの地の領主ではない。ならば我らが何を恐れようか。敵に英雄ユイ・イスターツはおらぬ。さあ、我らの魔法を無断使用した連中に怒りの鉄槌を食らわさん。我に続け!」

 そのノインの鼓舞と同時に、兵士たちは一斉に歓声を上げ再び進軍を再開する。

 その最中、ノインと馬を並べるカロウィンは納得したように一人つぶやいた。


「イスターツの判断は正しかったようだ。彼を指揮官とした、その判断は。さて、ドラグーンの者たちよ。皇族でありながら敗北さえ大きな糧とするこの男を、貴公らは果たして倒し得るかな」






「はぁはぁ、敵陣突破。これでレムリアックの中枢へまた一歩近づけます」

 すでに三度に渡り、敵の防御陣を彼らドラグーンは突破し続けていた。

 ドラグーンを率いるランティスは、明らかにその数を減らしつつある自軍へとその視線を向けながら、報告を行ってきた兵士へとそう問い返す。


「ああ。負傷者の数は?」

「十数名の兵士の姿が見当たりません。おそらくは……」

 そこまで口にしたところで、兵士はその口を閉ざす。

 それを受けランティスは悲痛な表情を浮かべるも、最も重要な事項を彼へと尋ねた。


「そう……か。それであの方々は?」

「姿は見受けられませんが、おそらく手筈通りに」

「ならばいい。また敵は我らの前に立ちふさがるだろうが、やることは同じだ。集合魔法を撃ち、混乱したところを銃撃した上で、一気に敵陣突破を行う」

 これまで三度行い、その全てにおいて絶対的な成果を上げてきた急戦突破戦法。

 疲弊も、負傷ももちろん少ないとは言えぬが、それでもここまで上げてきた成果はまさに圧倒的なものがあった。


「はい。もっとももう敵部隊が立ちはだからぬことが最善ですが……」

「そうはいくまい。先ほどの敵にはラインドル兵の部隊が混じっていた。おそらく敵は各国の兵をかき集めている。となれば、敵の数は我らの……っと、そう来たか」

 そこまで口にしたところで、ランティスは深いため息を吐き出す。

 前方を見つめる彼の視線には、圧倒的な威容を誇る黒色の兵団の姿がそこに存在した。


「前方の新たな敵……おそらくその数は三千以上。そして敵の先頭には皇太子旗がはためいております」

「黒色の兵団に皇太子旗。間違いなくノイン皇太子率いる帝国軍だな」

 わずかに天へと視線を移し、ランティスは疲れたようにそう呟く。


「瞬く間にこれほどの兵士を動員してくるとは。どれだけ……どれだけの兵士をこんな僻地へ動員して来たと言うのだ!」

「苛立つな。やることは同じだ。敵がさらに兵を押し出してくるなら、それを突き崩すのみ」

 ランティスとて、本音は配下の兵士たちと同じ。天に向かい嘆きを吐き出したかった。

 だが彼にそんなことは許されぬ。

 彼はドラグーンの将であり、そして崇拝する二人を守るための盾であり矛である。

 ならば盾として、そして矛として最善を尽くすのみ。


「さあ、皆のものよ。たとえいかに数が多かろうと、我らに止まることは許されぬ。そしてあんな帝国の雑兵に構っている暇などない。我らが狙うは、忌々しき調停者の首ただ一つ!」

「隊長、グレイツェン・クーゲル。準備できております」

 ランティスの鼓舞を受け、彼の副官はすぐさま全軍の確認を行い報告を行う。

 それを受けランティスは、大きく一つ頷いた。


「良いだろう、狙うは敵中央のみ。そして穿った穴へと全軍侵攻せよ。グレイツェン・クーゲル!」

「「グレイツェン・クーゲル!」」

 ドラグーンの面々による詠唱と同時に、彼らの頭上には光と熱の球体が次第に膨張を始める。

 そしてまさにいま解き放たんとした時に、一人の兵士がその事実に気づいた。


「ま、待ってください。アレは……」

「グレイツェン……クーゲル……」

 先ほどまでただ集合魔法だけに集中していたはずのランティスは、思わず言葉を漏らす。

 自軍の上空に存在する光と熱の球体、その遥か数倍はあろうかと言う巨大な集合魔法が、まさに敵の上空に存在した。


「勝てません。あんな巨大なもの……」

「本家の、そして数の力か」

 絶望的な面持ちとなりながら、ランティスはそう呟く。だがその直後、彼の側を駆け行く一騎の兵士が、彼に向かって叱咤した。


「怯まないで構いません。あの方が補助を行います。迷わずぶつけてやりなさい。禁忌には禁忌で立ち向かうのだと」

 それだけの言葉を残し、ドラグーンの姿に身を包んだ兵士は敵に向かいそのまま馬を走らせていく。

 ランティスにはその意味も意図も理解できなかった。

 だが……


「エミオルさまの指示に従え。グレイツェン・クーゲル!」

 その言葉と同時に、つい先ほどまで九十名あまりの兵士が編み上げた集合魔法は、その直径を数倍に肥大化した。


 その意味を、そして理由を誰よりも理解していたランティスは、もはや迷うことなく光と熱の球体を解き放つ。

 同時に帝国軍の上空に存在した球体も、加速を開始する。


 唸りを上げて二つの球体が接近し、その距離がゼロとなった瞬間、あり得ぬほどの爆発がその場にて生み出された。





「だ、大丈夫ですか、殿下」

 激しい爆風と爆発。

 その影響は当然ながら帝国軍にも直撃し、彼らの隊形も陣形もずたずたとなっていた。


 そして馬から転げ落ちる形となったノインは、部下の問いかけに対し、打ち付けた腰をかばいながらゆっくりと体を起こす。


「なんとか……な。しかし数で圧倒しながら、まさか互角近くまで持ち込まれるとは」

 副官へ向けたその言葉は、まさにノインの本音だった。


 彼の中では完全な自信のあった敵の集合魔法潰し。

 それはまさに敵の集合魔法に対し、より多くの兵によって集合魔法をぶつけること。


 だが結果は相打ち。

 彼にとってそれは、完全に想定外とは言えなかった。なぜならばそんな不可思議なことが起こる理由は一つしかありえない。


「どうやら彼らの中にいるようですね」

 爆発によって生じた砂埃、それによって見えなくなった敵陣を睨みつつカロウィンはそう告げる。

 するとノインは大きく一つ頷いた。


「ああ。この砂埃が収まり次第包囲網を敷く。絶対に逃しはしない。我らの、そしてこの世界の敵である修正――」

「認識間違いはいけません。世界の敵は調停者。そして逃しはしないのは我々の方です!」

 砂煙の中から突然ノインの言葉を遮る形で突然向けられた言葉。

 同時に彼めがけて白刃が煌めく。


 そして生み出されるは、赤き血液。


「で、殿下。ご無事……ですか!」

「ロイス! 貴様、まさか!」

 突然突き飛ばされたノインが目にしたもの。

 それは腹に大ぶりのナイフが刺さった、彼の腹心とも呼べる部下の姿だった。


 そして崩れ落ち行くロイスの前に立つは、ドラグーンの装いを身にまとった修正者エミオル。


「ちっ、砂煙のせいで、皇太子以外の存在に気づけませんでしたか。ですが、同じことです」

「敵陣にのこのこ乗り込んできて、大言壮語を吐いたものだ」

 慌てて距離を取らんと後ずさりしながら、ノインはそう口にする。そんな彼に対し、エミオルはただ苦笑だけをその顔に浮かべた。

「同じですよ。あなたにも、そこのキスレチンの人間にも、この私は決して止められない。ましてやこの距離ではね。これで流れは変わる。さようなら、哀れな皇太子」

 言葉と同時に、エミオルはロイスの腹からナイフを引き抜くと、そのままノインを見据える。そしてそのまま軽く振りかぶると、一気に彼めがけ鋼の刃が振るわれた。


 そして再び生み出されるは、赤き血液。

 だがしかしそれは、ノインのものではなかった。


「砂埃に紛れ動いているのが自分だけだと思うのは、些かうぬぼれが過ぎるね。ましてや帝国軍に囲まれるぐらいならともかく、この僕に無防備な背を晒すなんて、迂闊にもほどがあるよ、修正者くん」

 言葉と同時に、エミオルの失われた右腕から一気に血液が噴き出す。


 そしてそんな修正者の背後に立っていた者、それは噴き出す血液によって赤髪をさらに紅く染めた死神の如きアレックス・ヒューズに他ならなかった。

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