第13話 隠し玉

 アモキサートの帝国軍駐留地に設置された西方連合軍の司令本部。

 現在のその空間の責任者に据えられた男は、険しい表情を浮かべながら一つの問いかけを放った。


「どうだ敵の影は見えないか」

「申し訳ありません。警戒を続けてはおりますが、今のところ明らかな敵影は認めておりません」

 一時的に黒髪の男から離れ、レムリアックの索敵部隊の責任者を任されたロイスは、率直な現状を報告する。

 既にレムリアック全域に警戒網を張り巡らせて七日。

 しかし今のところ、彼らは敵の影を認めることはできずにいた。


「ロイス、別に謝ることはない。ただクラリス国境に姿を現したタイミングを考えると、時間経過的にそろそろ奴らが姿を現してもおかしくない頃合いではある。注意だけは怠らぬようにしてくれ」

「了解いたしました。さらなる警戒態勢の引き締めを行っていきます」

 黒髪の男の元にいる間に、いつの間にか忘れそうになっていた敬礼を皇太子へと向ける。

 一方、ノインはそんなロイスの反応の遅れを目の当たりにし、思わず苦笑を浮かべながら一つ頷いた。


「よろしく頼む。ただ交代で休憩を取ることを忘れないようにな。不十分な集中力では、敵の警戒も散漫となる」

「わかりました。それでは失礼いたします」

 改めて力強い返事を行い、ロイスはノインの元から立ち去っていく。

 そうしてたった二人となったところで、これまで沈黙を保っていた男がようやくその口を開いた。


「はてさて、敵はいつ仕掛けて来るでしょうな」

「さぁ、既に仕掛けに入っていても不思議ではないだろう。ただし真正面からやってくるとはいささか考え難いが」

 副将を任したカロウィンの問いかけに対し、ノインは顎に手を当てながらそう答える。

 するとカロウィンも、納得したように一つ頷いた。


「ふむ、東の国境から侵入して来たとはいえ、レムリアックにそのまま東から侵入してくると限らないと、そう言うわけだな」

「そうだ。大きく回り込んで西から侵入、もしくは南北のルートからと言うことも十分考えられる。そのためにあいつは人を集めることにしたのだろうからな」

 各国から兵を供出してもらい、万全の守りを構築する。

 普段の黒髪の男ならばまず取らなそうな選択肢であり、警戒網が構築されたのは、彼の警戒の度合いが如実に反映されたものだと言えた。

 一方、ノインの見解を受けたカロウィンは、一つの事実を彼に問いかける。


「数が多いとは言うものの、特にあなたのところから連れてきた兵士が多かった気がしますな」

「ふふ、大は小を兼ねると言うだろう」

「おかげでレムリアックの食糧事情はいろいろ大変なようですな。もっとも領主代理殿がどうにか切り盛りされているようですが」

 明らかに現在この地を警備する兵数は、本来ならばレムリアックが維持できる数ではない。だからこそ領主代理であるセシルは、どうにかこの状況を維持するために日夜領内を駆けずり回っていた。


「あの女性は優秀だよ。それに見目も麗しい。我が軍の備蓄も多少なりとも存在するし、短期的にはどうとでもなるさ」

「なるほど。ともあれ、彼女の見目の麗しさはこの際関係なかったように思いますが、やはり兄としては気になるものかな」

「コメントは差し控えよう。軍務とは関係ないことなのでな」

 最初に軍務とは無関係の容姿のことを口にしたノインは、ぬけぬけとそんなことを口にする。

 それに対しカロウィンは軽く肩をすくめながら話を本題へと戻した。


「まあいいでしょう。ともかく、このレムリアックのことは短期的にはそれでいいとしても、長期的にどうするつもりなのでしょうね。彼は気前よくルゲリル病の治療法を公開してしまいましたし」

「……あれでおそらく魔石の相場は下がる。ルゲリル病のせいで掘ってなかった各地の魔石窟にアプローチできるようになるだろうからな」

「でしょうね。しかしおそらくはそれも覚悟の上……ですか」

 このレムリアックの圧倒的なアドバンテージ。

 それはルゲリル病を魔法によって克服し、魔石の膨大な生産量を誇ることにあった。

 だが各国の魔法士にルゲリル病の対策方法を伝えた今、相対的にこの地の価値は低下している。その事への懸念をカロウィンとしても考えずにはいられなかった。


「そう考えるべきだろうな、カロウィン殿。少なくとも奴を甘く見るべきじゃない」

「……それは分かっていますよ。私も彼と肩を並べて戦ったものでね。しかしそんな不利益を被ってまでこの策を講じたのは、何故でしょうな。レムリアックにとって、いや、彼にとっては明らかにメリットが少なく感じますが」

 それは当然の疑問だと言えた。

 だがそれに対し、ノインは自説をさらりと述べる。


「あいつがレムリアックだけを見ているのか、西方を見ているのか、それともこの世界全てを見ているのか……その視点の違いと言う事はあるだろう。最後は自分が楽することだけ考えていそうではあるがな」

「何れにせよキャスティングボードを握っているのは彼と言うわけですな」

「ああ。それと――」

「殿下、改めて失礼いたします。たった今、敵を、敵の姿を認めたと報告が届きました」

 ノインの声を遮り再び飛び込んできたのは、つい先程部屋を出ていったばかりのロイスであった。


 彼は血相を変えながら、告げるべき報告を行う。

 途端、ノインは表情を引き締め直すと、すぐさま状況確認を行った。


「いよいよ来たか。で、どこから侵入してきた?」

「レムリアック東に位置するアンデルカム地域からです」

「ほう、意外にも順当に来ましたか」

 軽く自らの肩をさすりながら、カロウィンはそう評してみせる。

 だがノインはそんな彼の判断を首肯することはなかった。


「さて本当に順当と言えるかは疑問ではあるが……それで、どれくらいの数だ?」

「確実とは言い難いとのことですが、およそ百名近いと」

「百……か」

 そう口にしたノインは、眉間にしわを寄せると、わずかに考え込む。

 一方、カロウィンは彼なりの妥当な解釈を言語化した。


「数だけ聞けば、ほぼ敵の全軍とみるべきなんだろうがな」

「となれば、私たちの予想が外れたわけですが」

「外れたのか、それともわざと当てさせられた……か」

 ロイスの発言に対し、ノインは迷いながらもそう口にした。

 途端、その発言に引っかかりを覚えたカロウィンは、ノインに向かい問いを向ける。


「わざと?」

「そうではないと思いたいが、相手が相手だ。何れにせよ、早急に包囲網を構築する。そしてあぶり出すとしよう。敵の修正者をな」






「ランティス隊長、先行部隊による強襲は成功しました」

 ドラグーン部隊の先陣から報告へ戻ったキラントは、上官に向かいやや興奮気味にそう告げる。

 だがランティスは一つ頷くも、その険しい表情を緩めることはなかった。


「私の方でも確認した。しかし……」

「浮かない顔ですね」

「敵の動きに焦りがない。それが些か引っかかる」

 警戒している敵への奇襲。

 その成功は十分に好ましいことだと言えた。しかしながら、敵に焦りの色は見えない。それどころか、あくまで予想していることをこなしているだけのように彼には見えた。


「……どういうことでしょうか?」

「この位置にこれだけの人員が配置され、それでもなお敵に動揺がない。いや、むしろ淡々と対応しているようにさえ見える」

「つまり我々の奇襲は予測済みと?」

 キラントの問いかけ。

 それに対し、ランティスは重々しく頷く。


「それはもちろん予想はしているだろう。だがその予測を超えなかったということだ。言い換えれば十分対処できると末端の兵員までが解釈している。そんな懸念が疑われてな」

「それが事実なら、敵の数は想定していた以上かもしれませんね」

「当初は三千ほどと考えていたが、もし東部地区以外にも同じ程に警戒網を築いているとすれば……些かまずい事になりそうだ」

 レムリアックの生産力から考えて二千でも過剰。

 しかし敵が兵士を掻き集め守りに徹するとするならば、三千から四千名ほどはこの地に集めかねないとランティスは考えていた。

 だがそんな想定は、悪い方向にブレ兼ねないと彼は危惧する。

 一方、そんな苦い表情を浮かべる上官に対し、キラントは冷静な見解をその口にした。


「ですが隊長。いずれにせよ俺たちの使命はたった一つです」

「そう……だな。ああ、その通りだ。俺たちはあの方たちのために、露払いを行う。その為に命をかけるのだった……ならば、たとえ敵がどれほどいようとその余裕を奪い取るべきだ」

 強い口調で発せられたその言葉。

 それを受けて、キラントは上官が何を企図しているのかを理解する。


「アレをなさるおつもりですか?」

「ああ。せっかくお二方が解析をしてくださったのだ。使わぬ手はないさ。あの男がこの前線にいるとは思えぬしな」

 そう、今から成すは一人の男がいれば成り立たぬ戦略。

 しかし奇襲をかけたこの地であれば、最もじゃまになる男が入る確率は極めて低いと思われた。だからこそ、ランティスは決断する。


「了解いたしました。銃部隊に牽制させ、敵を密集させるよう動かします」

 その言葉と同時に、キラントは前線の銃騎兵部隊を指示すると、敵の警備兵をその機動力で密集させていく。

 もちろん数の上では不利。

 だが機動力という点では、小規模であることも加え彼らに分があった。

 そして後方に控えた、本来ならトルメニアに存在しないはずの魔法士隊は敵の姿を真っ直ぐ見つめると、一つの呪文を唱える。


「準備よし……ならば開戦の合図代わりに始めるとしよう。グレイツェン・クーゲル」

「「グレイツェン・クーゲル」」

 トルメニアのドラグーンたちの上空には、またたく間に光と熱を放つ巨大な太陽の如き球体が生み出される。

 その存在を目視した敵兵達は驚愕の表情と共に、初めて動揺と狼狽を見せた。


 そんな彼らに向かい、ランティスたちは迷うこと無く集合魔法を解き放つ。


「放て!」


 彼の言葉と同時に、西方最強の魔法が唸りを上げる。


 巨大な光と熱の球体が大地に穴を穿ち、そして戦いの始まりを告げる爆音と爆風がここに解き放たれた。

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