第11話 誓い

「被害はどれくらいだい?」

 突発的な戦場となったクラリス国境。

 予想外に厳重な取締りを受け、そこを強引に押し通ったゼス一行は、追撃が無いことを確認した上で一度休息を取る。


「武具の破損した者が五名、浅い刺傷を受けた者が三名、あと一名が帯同が難しいほどの負傷を負っています」

「そうか……だがさすがと言うべきだろうね、ランティス」

 同数規模の敵を相手に、ほぼ一方的な勝利を収めたものの、ゼスの表情は晴れない。


「そう言っていただけると、救われます」

 ドラグーン隊長のランティスは、ゼスのそんな表情を窺いながら、あくまでシンプルにそう告げる。

 そして僅かなためらいを覚えるも、彼は一つの提案を眼前の少年へと向けた。


「そのできましたら帯同困難な者は、クラリス王国に潜むクレメア教の者の手に預けさせていただければと思うのですが……」

「この近くですと、信徒がいるのはシュールソールですか……少しばかり遠回りになりますね」

 ゼスの隣に控えていたエミオルが、険しい表情を浮かべながらそう口にする。

 それに一つ頷くも、ゼスはその視線をランティスへと向けた

「ランティス。貴方の希望は伺いました。その上で僕としては――」

「お待ち下さい、隊長」

 突然後方から発せられた、震えるような弱々しい声。

 だがそれでもゼスの言葉を遮るほどに、決意に満ちたものであった。


「お前……」

 振り返ったランティスが目にしたものは、まさに歩くことも難渋する程に、深く大腿に傷を負った配下の兵士に他ならなかった。

 彼は痛む足を引きずりながらゼスのもとまで歩み寄ると、その場にひざまずいて懇願する。


「お願い致します、ゼス様。どうか私たちを最後までご同行させて下さい」

「……次はその程度の傷で済まないかもしれませんよ。それでもですか?」

「もちろんです。この身この命は既にトルメニアと教団に捧げました」

 ゼスの問いかけに対し、負傷兵は一切の迷いなくそう言い切る。


 僅かな沈黙。

 そしてその後に、ゼスは小さく溜め息を吐き出した。


「良いでしょう、ランティス。他の負傷者もこの場に連れてきなさい」

「ゼス様、一体何を?」

 思いもかけぬゼスの発言に、エミオルが戸惑いを見せる。

 するとゼスは、兵士の前で突然かがみ込み、そして赤く染まった大腿の包帯に手を当てると、この世あらざる呪文をその口にした。


「Recovery」

 力あるその言葉が発せられた瞬間、苦悶の表情を浮かべていた兵士は、たちまちに驚きの顔つきへ変貌する。


「か、体が!? これはまさか」

 戸惑いと感激、その入り混じった表情を浮かべた兵士は、まっすぐにゼスの顔を見つめる。

 すると彼は、ニコリと微笑んでみせた。


「ふふ、もう普通に動けるはずさ。だから、君には期待しているよ。親愛なる我がドラグーンの兵士くん」

 その言葉とともに、兵士は地面に這いつくばるような形で、ランティスが止めるまで何度も何度も頭を下げ続けた。

 そうしてゼスに促され、彼らが他の負傷兵を呼びに向かったタイミングで、エミオルが心配げに少年の名を口にする。


「ゼス様……」

「大丈夫だよ、エミオル。システムに干渉した量はわずかさ。この程度では問題はない」

 小さく頭を振りながら、ゼスはいつもの笑みを浮かべつつそう告げる。

 だがそんな彼に向かい、エミオルは一つの懸念事項を口にした。


「ですが……敵がシステムに網を張っていた場合、ここが気づかれた可能性があります」

「それはないさ。調停者はあくまで調停者であって、我らとは違う。彼女同様にね」

 そう言うなり、ゼスは商人に見せるために用意した荷馬車の中を親指で差す。

 そこには先程の戦闘に一切加わらず、我関せずを貫く黒髪の少女の姿があった。


「……分かりました」

「ともかく、君も手伝ってくれ。これ以上、彼らに時間を与えるわけには行かない。事を起こす側は、常に先手を取らなければいけないからね」

 ゼスがそう告げると、エミオルは迷いを見せながらも一つ頷く。

 そして間もなく彼らの行軍は再開された。


 目指すべき西の地……レムリアックへと向けて。



 ***




「で、どういう風の吹き回しですかな。わざわざ、この私のところを訪ねてこられるとは」

 会議の後に自室へと戻ったカロウィンは、軽く肩をすくめると思わぬ来訪者へとそう問いかける。

 すると、彼の眼前に立つ壮年の男は、彼の言葉を無視して別の問いかけを返した。


「あいつをどう思う?」

「……英雄。私にはそれ以外の形容詞が思い浮かびませんな」

 正直、どれほどの形容詞を重ねても、彼にはあの黒髪の男の事を適切に表現しきれるとは思っていない。だからこそ彼は、最もシンプルな一言を敢えて選択した。


「それはその通りだ。だが人間としてのあいつは怠惰な駄目なやつだ。それもこの上なくな」

「そんな彼が休息さえ取らずに走り回っている。まさしく異常事態ですな」

 軽く冗談めかした口調で、カロウィンはそう答える。

 すると、彼の眼前に立つ男は小さく息を吐きだした。


「そうだ。そこでだ、この戦いが終われば少しばかりあいつを休ませてやりたいと思っている」

「……なるほど。それで私のところに来られたわけですか、ノイン皇太子」

 今のノインの言葉と、彼の来訪。

 その意味するところを理解したカロウィンは、険しい視線を目の前の男に向ける。


「無理かね?」

「我が国は民主国家。私一人が頷いてもそれが国の見解とはならない。そこが貴国と違うところですよ、次期皇帝どの」

 少しばかりの皮肉を込めながら、難題を持ち込まんとする男に向かいカロウィンはそう告げる。

 それに対しノインは、逆に皮肉のスパイスを少し振りまいて、カロウィンの言葉に応じてみせた。


「ああ、わかっている。逆に言えば、どんなに我が国の民が彼を取り込み、戦争の道具にすることを望もうとも、私が首を振らぬ限り実行することはできない。そうだろう?」

「……そうですな。それは認めましょう」

「つまり主権者の判断が重要ということだ。そして貴国においては、主権者の判断を誘導しうる人間が一人存在する。対トルメニア戦線で智謀を振るった一人の人間が」

 そう、紛れもなくノインの眼前に立つ男は国の英雄。

 苦境にあったキスレチンを西方の英雄とともに守り抜いた、国の英雄に他ならなかった。

 だがしかしその当人であるカロウィンは、自らに対するそんな評価に対しただただ苦笑を浮かべる。


「美味しいところは彼に持って行かれましたから、本来は脇役みたいなものですがね」

「だが国民は自国の英雄の存在を忘れはしないさ。何しろ、君がいなければあいつだけでは勝利はおぼつかなかった。そうだろう」

「否定はしない。その程度には自らの力に自負を持っていますのでね」

 それはカロウィンの矜持であり、同時に誇りでもあった。


「それは結構。その上で改めて君に下地作りを頼もうと思う」

 そこまで口にすると、ノインは一度言葉を止める。そして一拍の間を取った後に、彼はこの部屋を訪ねてきた本題を切り出した。


「和平を……正式な和平条約を結ぶ橋渡しをして欲しい。貴国と我が国のな」

 その言葉が発せられた瞬間、カロウィンも僅かに息を呑む。そしてすぐさま、彼は探るような視線を目の前の男へと向けた。


「……帝国の悲願は大陸統一だと思っていましたが?」

「否定はしない。だがいずれにせよ、あいつのいる地域を統一などできるものか。取り敢えずの和平期間は、あいつが死ぬまででいい」

「それはまた末永いものをご所望のようで」

 現在の黒髪の男の年齢を踏まえ、それが短期的なものではないことは明らかであった。

 だからこそ、回答に困ったカロウィンは軽口を紡ぐことで思考の時間を稼ぐ。

 しかしそんな彼に向かい、ノインは矢継ぎ早に迫ってみせた。


「で、返答は如何かな。統合参謀本部長どの」

「……いいでしょう。お受けしましょう。ただし全ては事が終わったあとに」

 現在のキスレチンは内戦の影響が少なくない。

 つまり国力としては、明らかに帝国の後塵を拝する状況にあった。

 だからこそ決して悪くない話……それがカロウィンの出した結論であった。

 一方、カロウィンの言葉を受けたノインは、苦笑交じりにその口を開く。


「全てが終わったあと……か。まあ確かにその通りだな。ユイ・イスターツの休暇のために、帝国と共和国が和平に乗り出すなどと、戦いの前に発表できるものか」

「もちろんそれもありますが、色々と手回しが大変なのですよ。もっとも、面倒事は大統領どのに押し付けるつもりではありますが」

 脳裏にぼやき続けるであろうフェリアムの姿を思い浮かべながら、カロウィンは口元を僅かに歪めそう告げた。

 そしてそのまま彼はノインに向かい歩み寄ると、右手を差し出す。


「この度は背中を貴方に預けましょう、ノイン皇太子」

「期待している。戦後のためにも、最善を尽くすさ、カロウィン・クレフトバーグどの」

 これまで決して歩み合いを見せることのなかったケルム帝国とキスレチン共和国。

 大陸西方を代表する主義も主張も異なる二大国の手が、ここに初めて交わされることとなった。

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