第6話 警戒すべきは

「ここがレムリアック……か」

 始めてこの地に足を踏み入れた男は、感慨深げにそう呟く。

 すると、副官を務めるキイトルードは彼の背後から気遣わしげに声をかけた。


「そうです。ですので殿下、先に私どもが市内に向かいますので、しばしここでお待ち頂けませんでしょうか?」

「ふん、無駄だ。例の病気は発症まで時間がかかることは有名だ。となれば、結果が出るまでここで待ち続けるわけにはいかん。それはわかっているだろ」

「それはそうですが……」

 今回の作戦行動の要点を伝えられていたキイトルードは、皇太子の発言に対し苦い表情を浮かべる。


 もともと今回のレムリアックに対する軍の派遣は、完全な予定外の案件ではあった。

 しかし宿老と呼ばれたリンエン将軍とパデル軍務長官亡き今、軍において皇太子を掣肘できる存在はいない。だからこそせめてものお目付け役として、次期軍務長官とも噂されるキイトルードは、皇太子の副官としてこの地へと帯同していた。


「キイトルード、我らがアモキサートに入ることは事前の確認事項だ。それに他国に遅れを取るわけには行かぬ。それはわかっているな」

「それは……はい……」

 ノインの語る言葉にはキイトルードも反論のしようがなかった。

 何しろ今回の遠征の表向きの目的は、西方軍の編成準備である。その主導権を握ることは、大陸における主導権を握ることに繋がりかねず、遅れて参陣するという選択肢は当然存在しなかった。


「ならば結構。ん……迎えか」

 ノインが前方に視線を向けると、十数名の兵士たちの姿がその瞳に映った。そしてその先頭に位置していた男は、馬を降りるとノインに向かい頭を下げる。


「お待ちいたしておりやした。ノイン皇太子でやすな?」

「ああ、そうだ。そちらにいるのはロイスか」

 スキンヘッドの男の背後に、かつての自らの部下の姿を認め、ノインは軽く口元を緩めると声をかける。


「ご無沙汰致しております、皇太子殿下」

「ああ。どうやらその様子だと、奴と上手くやれているようだな」

「いえ、依然として振り回されてばかりではあります。ただどうにか関係を続けられてはおりますが……」

 ロイスはかつての生真面目さを僅かに失ったのか、皇太子に向かい苦笑交じりにそう述べる。

 その変化を好ましいものと受け取ったノインは、彼に労いの声をかけようとした。しかしそれより早く、スキンヘッドの男性から謝罪の声が向けられる。


「ロイスさんには本当にご迷惑をおかけしておりやす。これも全ては旦那のわがままのせいでやして……」

「はは、わかっているさ。あいつとも既に長い付き合いだからな。それでわざわざこんなところまで迎えに来てくださったのは、どうしてかな?」

「予め処置を行っておいた方が安全と思いやして」

 ノインの問いかけに対し、クレイリーはあっさりとそう答える。

 一方、その言葉の意味がわからなかったノインは、その眉間にしわを寄せた。


「処置?」

「ルゲリル病の予防処置のことです。実はイスターツ殿から既にその方法を伝えて頂いております」

 この大会におけるその言葉は、ノインにとって完全に予期せぬものであった。

 だからこそ、彼は思わずその目を大きく見開く。


「お前に伝えているだと!? 馬鹿な、そんなことをすれば――」

「レムリアックの優位性は消失する。ええ、それは事実です。ただし今のままならばですが」

 ノインの言葉を遮り発せられたその言葉。

 それはロイスの後方から発せられたものだった。


「どなたですかな」

「失礼いたしました。領主代理を務めさせて頂いております、セシル・フロンターレと申します」

 ゆっくりと隊の前方に歩み出てきたセシルは、軽く頭を下げながらノインに向かいそう述べる。


「貴方が領主代理……妹の件を渋っていたのはそういうことか」

 ノインは頭のなかに浮かんだ黒髪の男に対し、セシルに聞こえぬほどの声で思わず毒づく。

 一方、そんな彼の思考をなどあずかり知らぬセシルは、淡々とノインに向かい説明を行った。


「かつては病魔の……そして現在は魔石の街。ですが、アモキサートは……いえ、レムリアックは更に次の段階へと進むつもりです」

「次の段階ですか」

「はい。つまり処置による優位性を必要としない街にすることを目指します。ですので、お気になされる必要はございません」

 ノインに対し全く怯むこと無く、毅然とした口調でセシルはそう告げる。

 そんな彼女を目の当たりにし、再びノインは苛立ちを見せた。


「くそ、やはりそういうことか。こんな隠し玉を持っていたとは」

「どうかしやしたか、ノイン皇太子?」

 ブツブツ呟くノインに向かい、クレイリーが軽く首を傾げながらそう尋ねる。

 すると、ノインはすぐに首を左右に振り、そして正直な内心をその口にした。


「いや、なんでもないさ。ユイのやつをちょっと殴ってやりたくなっただけでな。ともかく、改めてお伺いするが……本当によろしいのですな?」

「もちろんです。実際に既に処理魔法は貴国の魔法士達に伝えております。ですので、国内に入るに際し順に処理を受けて頂ければ幸いです」

 ノインの問いかけに対し、セシルは小さく頷くと後方に控える帝国兵たちを指し示しながらそう答える。

 そこに存在したのは、イスターツ軍としてユイと同行していた帝国の魔法兵たちに他ならなかった。


「……領主代理どの、一つお伺いしてもよろしいですかな」

「なんでしょうか?」

「私はレムリアックの中枢の周囲を……いや正確に言えばアモキサートの周辺地域を守るために招かれたと考えておりました。実際、我々をレムリアックに入れることは貴国にとって非常に危険なこと。ましてやルゲリル病の処置をした上でとなると、リスクばかりが目につく気がしますが、如何ですかな?」

 ノインの疑念と疑問は当然であった。

 ユイたちとの会談でこのレムリアックに西方連合軍を置くことは既に決定済みである。しかしながら、それはルゲリル病とは無縁のレムリアックの辺境に設置されるものだとばかり考えられていた。


 もちろんそれはルゲリル病のリスクから彼らを遠ざけるためであり、そして同時に西方において最大とされる魔石産地の乗っ取りを防ぐために当然の考えだと思われた。だからこそ、ノインは事前に協議さえしていない。

 だがしかし目の前の彼女たちの言動と行動は、とてもではないがリスクとリワードが釣り合ったものとノインには思えなかった。


 そんなまっとうなノインの考え。

 それを目の前の女性は、たった一言で否定してみせる。


「それに対する答えは簡単です。あの人が望んだからですよ」

「あの人……つまりユイですか。ですが……」

「それ以上の理由なんてありません。私は彼のために生きています。いえ、この街の人々もです」

 既にレムリアックでは大規模な住民の移動が完了していた。

 荒れ果てて寂れきった街ではなく、見違えるほどに発展した街を彼らは譲ったのである。

 それは全て、この街の領主を信頼してのことだった。



「この街を救い、そして拾い上げてくれた彼のために、私も、そしてレムリアックの住民も一切異議を挟むつもりはありません。そしてそのことこそが最もこのレムリアックのためになると私たちは確信していますので」

 それは一つの疑念も存在しない声色で語られた言葉であった。

 セシルの瞳には一切の曇りがなく、そしてだからこそノインは小さく吐息を吐き出す。


「なるほど。あいつが代理を任せるだけあって怖い人だ」

「そんなことはありません。こちらのクレイリーさんのほうがよっぽど怖いですよ。特に見た目とか」

「それは酷いでやすよ、セシルさん」

 場の緊張を取るために、セシルが敢えて冗談めかしてそう口にしたことはわかっていた。しかしながら、ユイたちではなく真面目なセシルに正面から言われると、クレイリーも胸を押さえ僅かに肩を落とす。

 そんな彼に向かい、セシルはすぐに謝罪の言葉を述べ、そしてその後に早速帝国軍に対する処置が開始された。


 手際よく進んでいく処置作業。

 それを目の当たりにして、ノインは思わずキイトルードに呟く。


「思った以上に手強そうだな」

「はい。さすが英雄の部下たちというべきかもしれませんが、いずれにせよ西方軍の主導権を握るのは骨が折れそうです」

「ああ、それもたしかにその通りだ。だがそれ以上に、脅威と感じたな。そう、我が妹に対する、彼女の存在はな」

 ノインの瞳は、ただただ美しき領主代理への警戒の色に染まっていた。

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