第5話 差配

 士官学校からほど近い場所に存在する安酒場グリーン亭。

 この店はこの地区に住む若い者たちが屯することで知られており、今日も活況を呈していた。


 騒がしいそんな店内の中に、フードを目深に被った一人の男が姿を現す。

 すると、その存在に気づいた店長のロダックは、やや感慨深い表情を浮かべながら彼に声をかけた。


「久しぶりだな」

「ご無沙汰しています、ロダックさん」

 フードから僅かに黒髪を覗かせた男は、周囲に気を払いつつ小さく頭を下げる。


「あいつらは随分前に来ている。昔と同じいつもの二階の奥だ。早く行ってやれ」

「はい、すいません」

「なに、うちは朝まで開いているから気にするな。後でお前の分のエールは持っていってやる」

 十年前より僅かにしわの増えたロダックは、そう述べるなりユイの肩を軽く叩く。そして彼は再びカウンターの中へと戻っていった。


「マスターは変わらないな。そしてこの店も。本当に手伝いをしていたあの頃のままだ」

 酒場をぐるりと見回し、ユイは苦笑交じりにそうこぼす。そしてそのまま彼は、二階への階段を昇ると、最奥の部屋の扉を開けた。


「すまない、少し待たせたかな?」

 部屋の中へと足を踏み入れたユイは、頭を掻きながら開口一番にそう告げる。

 途端、既に空のジョッキを並べていた銀髪の男は、不機嫌極まりない視線を彼へと向けた。


「少しだと?」

「ふふ、存分に待たせてもらったよ。で、どうだったんだい、ユイ」

 いつもの狐目を更に細めたアレックスは、苛立つリュートをなだめつつそう問いかける。

 ユイはその問い掛けを受け、苦笑いを浮かべながらも満足げな口調で話し始めた。


「予定より順調だった。いや、順調すぎたと言うべきかな。実験にまで進められたせいで、止め時がわからなくなって、かえって遅れてしまったわけだけど」

 遅刻に対する言い訳を口にしつつも、あまり悪びれた様子を見せること無く、ユイはそう答える。

 すると、アレックスはやや驚きの表情を浮かべた。


「へぇ、それは良かったね。でも実験というと彼の力が必要だったんじゃなかったかい?」

「もちろん必要さ。だから今日進められたのはあくまで初期の実証実験さ。幸運にも、士官学校で優秀な魔法士を二人ほど捕まえることができたものでね」

 軽く肩をすくめながら、ユイはアレックスに向かいそう告げる。

 すると、ジョッキを机の上に下ろしたリュートが、ユイを睨みつけた。


「……あの二人のことだな。言っておくが、貴様の為に、士官学校に送ったんじゃないぞ」

「はは、それはわかっているさ。というか、彼女たちの人事はやっぱり君の差配というわけか」

 あの若さの二人を講師職へと推薦した人物の存在。

 その人物として予想されうる人材名簿には複数の名前が存在した。だがやはり筆頭として考えられた男が、あの人事に介入したことをユイは確信する。


「形式は必要だ。しかし同時に優秀なやつは早く上に立たせるべきだ。と成れば、形式を整えてやる必要がある。何しろ戦乱続きで人材難なのだからな」

「ふふ、以前の君ならそんな手配なんてしなかった気もするけどね」

 ユイの悪影響を受けたという言葉だけは飲み込み、アレックスはそこで口を閉じる。

 だが、言外にその意図するところを理解したリュートは、自らの差配の原因をもう一人の人物に求めた。


「ふん、常にこの国に揉め事を持ち込んでくる奴が悪い。その対応をするために、多少の融通はやむを得ん」

「君らしからぬと言いたいところだけど、結局悪いのはその原因を作った人物ではあるよね」

「その通りだ。ユイ、お前が悪い」

 アレックスの同意を得たリュートは、僅かにふてくされた表情を浮かべながら、諸悪の根源とも言うべき人物に向かいそう告げる。

 途端、犯人扱いされたユイは、軽く肩をすくめながらその視線を僅かに外した。


「……はは、耳が痛いな」

「その反応……まさか貴様、彼女らまで引き抜くつもりじゃないだろうな」

「え、いや、はは、どうかな」

 そのユイの言葉は明らかに歯切れが悪かった。

 だからこそ、リュートは自らの指摘が的を射たものだと理解する。だが同時に、彼は憤慨を隠せなかった。


「絶対に貸さんぞ。彼女らには将来、親衛隊の中枢を固めてもらうつもりだ。だいたいお前は、うちの軍を何だと思っている」

「そりゃあもう、かつての給料主さ」

 両腕を軽く左右に広げながら、ユイはあっさりとそう言い切る。

 一方、そんな彼の発言を受け、リュートは眉間にしわを寄せた。


「今は違うと言いたそうだな。だが受けた恩は返すことを考えろ。更にそこから借りることを考えるのではなくてな」

「と言っても、無い袖は振れないものさ。まあ彼女たちの貸し借りについてはひとまず置いておくとしよう。当人たちの意思も確認する必要があるしね」

「その言い回しだと、十分根回しは済ませてきたということかな」

「さてどうだろう」

 何かを察してみせたアレックスに対し、ユイはサラリとその追及をかわす。

 それ故、これ以上の自白はしないと理解したアレックスは、あっさりと話題を移してみせた。


「まあ僕はどちらでもいいさ。気になるのは、君が準備している新たな軍事組織の方でね」

「西方連合軍……か」

 設立に関してはあくまで伝聞でしか知らぬリュートは、険しい表情のままその名称を口にする。

 すると、ユイは小さく頭を振って、すぐに苦笑を浮かべてみせた。


「名前だけは立派なものさ。未だ影も形もない軍隊なのにね」

「設立の目的はなんだ。なぜ新たな火種を作ろうとする」

「それはもちろん、修正者を迎え撃つ必要があるからさ」

 間髪容れること無く、ユイはそう言い切る。

 だが長い付き合いから、それだけではないとリュートは見抜いてみせた。


「嘘ではないが、それは真実ではない。もしそれが本命ならば、お前が役職を受ける理由がない。短期的に兵を集めれば済む話だからな」

「その先を見越した組織ということだよ。内々に設立に関わった面々はそのことを理解している。この僕も含めてね」

 設立に関わった人物。

 それはほぼこの西方の舵取りを担う主要人物と言っても過言ではなかった。

 だからこそ、これまでバラバラであった西方諸国がこの話を推し進めることができたとも言える。

 そしてクラリス王国陸軍省次官も、当然その一人ではあった。


「何れにせよ、未来のことなんてわからない。でも袋小路の先に道が続くのなら、そのための備えは必要。つまりはそういうことさ」

「戦後を睨んだ組織というわけだな」

「その通りさ、リュート。もし例の実験が成功し、そして問題を解決し得た場合、西方には致命的な問題が生じることになる。何かはわかるよね?」

「魔法公国の弱体化と、トルメニアの再興。なるほど、各国の事情に振り回されぬ軍事力が必要というわけか」

 ユイの意図するところを理解したリュートは、苦虫を噛み潰した表情を浮かべながら、そう口にする。

 すると、その解釈は正しいとばかりに、ユイは一つ頷いた。


「そうさ。わかりやすい危機をあげるなら、例えばトルメニア。彼の国の軍事力は相対的に急速に持ち直すことになる。ほぼ間違いなくね」

「だから予め潰しておく必要があった。それが西方戦争のもう一つの意味か」

 その答えへ辿り着いた時、改めて目の前の黒髪の男の狡猾さとしたたかさを思い知らされ、リュートは疲れを隠すことができず大きな溜め息を吐き出す。


「ああ、君の考えたとおりさ。西方戦争はただの宗教戦争にあらず。もちろん、袋小路を抜けなければ、ただの宗教戦争だったということになるけどね」

「……まったくお前というやつは。西方連合も、トルメニアも、そしてあの修正者さえ全て騙しきったというわけだな」

 彼自身散々振り回されてきた記憶からか、どこか同情的な口調でリュートはそう呟く。

 それに対し、ユイは過大評価だと言わんばかりの調子で首を左右に振った。


「そうでもない。特に修正者に関しては、私の手のひらの上にはいなかった」

「最終的に彼ら自身の縛りを突く形で、同じ土俵に立たせてはいたけどね」

「はは、一方的にやられてばかりというのは癪だからね。まあともかく、そんな状況だから、少し予定を前倒しできたのはありがたかった。私がここに滞在できるのは、よくて後、二~三日程度だからさ」

 軽く頭を掻きながら、ユイは本心からの言葉を二人に告げる。

 一方、その言葉を耳にしたリュートは再びその眉間にしわを寄せた。


「そんなに時間がないのか?」

「未来への準備はともかく、彼らをお迎えする手配は万全を期す必要がある。だとしたら、本当は今すぐにでも戻りたいところでね」

「ふむ……となれば、僕も少し予定を早めるとしようか。レイス君もだいぶ立派に成ったものだしね」

 レイスに仕事を任せ、明らかにこのままついていくと言わんばかりのアレックスの言葉。

 それはこの国の重鎮としては、普通なら容認され得ぬものではあった。

 だがクラリスにとって望ましくないことに、もうひとりの男も続けざまに確認の問いを発する。


「念のため聞いておくが、俺も絶対に必要なんだな」

「ああ。君たちがいないと困るんだ。君たちに代わりはいない。少なくとも、この私にとってはね」

「しかし独立を宣言しておきながら、他国の軍幹部を借り受けようとは、いやはや、呆れるばかりだね」

「確かに。でもそのあたりは、きっとエインスがなんとかしてくれるさ」

 面倒事を全て後輩に押し付ける宣言。

 それはいつものようにあっけなくユイの口から発せられた。

 一方、わずかに良心の残る銀髪の男は、額を押さえながらたしなめるように言葉を発する。


「お前たちは本当に……」

「はは、何れにせよ、全てが終わるまでのことさ。事が終われば、エインスの苦情を受け付ける余裕もできるはずさ」

 もっとも受け付ける余裕ができようとも、彼がその苦言を正面から受け止めるかどうかは別問題であった。

 だからこそこの国の短期的な未来に関しては、ユイの脳内からは完全に追い出されていた。


 そう、彼が思考するはその先にある未来。

 それ故、ユイは表情を引き締め直すと、はっきりと二人に向かって告げる。

 

「全ては袋小路に追い込まれたこの世界に、その先の道を作るため。その為に私は……いや、私たちは動く。この世界で生きる者で未来を切り拓くためにね」

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