第4話 恩師

 王都の北に存在するオルミット地区の一画には、歴史ある建築物が存在していた。


 その校門をゆっくりとくぐると、黒髪の青年はのんびりとした足取りでまっすぐに目的とした場所へと向かう。

 すると、突然聞き覚えのある声が彼へと向けられた。


「あれ……ユイ先生?」

 思わぬ声に、ユイは視線を軽く動かす。

 すると、彼の瞳にはかつての教え子たちの姿が映った。


「おや、二人ともどうしてこんなところに?」

「ご無沙汰いたしております。実はエミリー共々、先月から講師待遇でこちらに出向となったんです」

 自らのピンク色の長髪を軽く撫でつけながら、かつてのユイの教え子であるアンナ・エルメラドは、驚きと嬉しさの入り混じった表情でそう答える。

 すると、少し恥ずかしそうな表情を見せながら、彼女の隣を歩いていたエミリーもその口を開いた。


「あの、その、新しい校長先生の要望だったみたいで」

「新しい校長……誰かな?」

 クラリス内の軍人事にそれほどの興味をいだいていなかったユイは、軽く首を傾げながらそう問いかける。

 するとエミリーは、彼の知る人物の名をその口にした。


「その……第一師団のエレンタム・フォン・ラムズ閣下です」

「ああ、エレンタム教授か」

 直接的な意味で肩を並べたわけではなかったものの、かつてルシーダ平原においてブリトニア軍と対峙した際に協力しあった男の顔を思い出し、ユイは納得したとばかりに二度頷く。

 しかしながら同時に、ここの校長職がどういうポストであるかを思い出すと、ユイはその眉間にしわを寄せた。


「しかし彼のような人材をここに置いておく余裕ができたのかい?」

「エレンタム教授……ではなく、エレンタム校長は依然として第一師団の師団長職について居られます。あくまで校長職は兼任という形らしいです」

 説明不足だったとばかりに、アンナがユイに対し士官学校人事の補足を行う。

 それを受けて納得したためか、ユイは大きく一つ頷いた。


「なるほど、確かにあの人なら君たちを引っ張ろうとするか。まあ君たちの年齢で講師と成れば箔も付くし、まさに出世コースだね。少なくともこの士官学校では最年少だと思うよ」

「確かにそうかもしれませんが、先生に言われるとちょっと」

 ユイの発言を受け、アンナは苦笑交じりにそう述べる。

 そして彼らしいと思いながらも、エミリーが諦念混じりの口調で、一つの事実をその口にした。


「かつて二十五歳の若さで、講師どころか校長に成った方が居られるそうですよ。当然ご存知だとは思いますが」

「はは、それは不幸な偶然が重なったからね。ともかく、これから授業かい?」

「いえ、今日は次の講義の準備に来ただけです」

「来週から新入生の魔法実習が始まりますから」

 エミリーに続く形で、アンナがユイに向かいそう答える。

 すると、ユイは顎に手を当てながら、何やらブツブツとその場でつぶやき出した。


「ふむ。今日は打ち合わせだけで、検証はリュートを呼んで後日にと思っていけど、これはちょうどいい……か」

「検証? ちょうどいい?」

 ユイのつぶやきを耳に捉えたエミリーは、怪訝そうな表情を浮かべながらそう問いかける。

 すると、ユイは急ににこやかな表情となり、二人に向かって話し始めた。


「二人共。せっかくの再会だし、少しばかり私に時間をもらえないかな」

「それはもちろん構いませんが……」

 同意してはみせたものの、エミリーは戸惑いを隠すことができずアンナと顔を見合わせる。

 それを目にして、ユイは軽く笑いながら二人へと言葉を向けた。


「いや、そんなに手間を取らせるつもりはないんだ。何しろ今から会いに行く予定のご老人は、異様に時間にうるさいのでね」

「ご老人というと……まさか」

 その言葉を受けて、エミリーはすぐに一人の人物の顔を脳裏に浮かべる。


 今や大陸で最も有名な男が自ら足を運んで会いに来る人物。

 そんな対象はたった一人しか存在しなかった。





「……遅かったな」

「約束の時間通りですよ、先生」

 床に積み上げられた論文の山を避けながら、部屋の中へと足を踏み入れたユイは苦笑混じりにそう答える。

 一方、手にしていた一冊の古めかしい本を閉じた老人は、その視線を本からユイの背後へと向けた。


「ふん……ところで、懐かしい顔が付いてきているようだがどういうつもりだ?」

「例の検証実験のお手伝いをお願いしようかと思った次第でして」

 ユイの口から発せられたその返答。

 それを耳にして、アンナは改めて嫌な予感を覚える。

 すると、彼女たちが体をこわばらせたのに気づいたのか、ユイは軽く頭を掻きながら二人に向かってその口を開いた。


「お願いしたいのは、ちょっとした研究の手伝いだけさ。しかし、ここで君達と会えるとは、実に幸運だったよ。やはり持つべきは優れた教え子というやつだね」

「そこにいるような最低な教え子しか持てんかった身としては、許しがたい贅沢ではあるな」

 教え子たちを置き去りにしながら上機嫌で話すユイに対し、アズウェルは僅かに呆れ混じりにそう述べる。

 すると、ユイはわざとらしく周囲を見回してみせた。


「おや、先生の教え子にそんな困ったやつがいたのですか? 少なくとも周りには見当たりませんが」

「ふん、自分のことが理解できぬとは成長のせん奴だ。ともかくこれ以上無駄にする暇はない。せっかく検証を前倒しする機会なのだ。さっさと本題へ移るぞ」

 やや冗談めかした口調を続けるユイに対し、アズウェルは付き合いきれぬとばかりに、サラリと話を変える。そしてそのまま彼は、エミリーとアンナへと真剣な眼差しを向けた。


「念のため確認する。本当に検証実験のテストはこの二人で構わんのだな」

「もちろんです。二人には危険はありませんし、ひいき目を抜きにしても、軍でも指折りと言えるだけの才能は保証します」

「ならば、少なくとも部分的に弄ることは可能か」

「はい。おそらくは」

 アズウェルの問いかけに対し、ユイは肯定とばかりに小さく頷く。

 一方、目の前の二人に置き去りにされた格好のエミリー達は、お互いの顔を見合わせながら戸惑いの声を上げた。


「えっと、その、何をするつもりなのですか?」

「……あえて言うならば挑戦じゃな」

「挑戦?」

 エミリーへの回答を受けて、アンナは眉間にしわを寄せながら、重ねてそう問いかける。

 すると、彼女たちの眼前に立つ黒髪の男は軽く頭を掻きながら、ゆっくりとその口を開いた。


「そう、私たちが試みるのは一つの挑戦さ。この世界の理に対する……ね」

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