第3話 宣言と承認と就任と
王都エルトブール。
クラリス王国の中枢を司るこの王都の中心に存在する建築物、その一室において一人の女性が壮年の男性から苦い報告を受け取っていた。
「以上のことより、戦略省としては予算の関係上、軍の再建は些か時間がかかるかと」
「わかってはいましたけど、これを見る限り仕方ないですね」
クラリスの若き女王エリーゼ・フォン・エルトブートは、手にした来季の予算案を机の上に置くと、小さく溜め息を吐き出す。
すると、戦略省次官であるアーマッド・フォン・リースレッドは軽く顎に手を当てながら、そんな彼女に向かい思いもかけぬ提案をその口にした。
「むしろ現在の規模を前提とした軍備縮小も一つかもしれませんな」
「縮小ですか……」
「ご不満ですか?」
困惑するエリーゼの反応を目の当たりにし、アーマッドは率直な物言いでそう問いかける。
途端、エリーゼは小さくかぶりを振るとともに、苦笑まじりにその口を開いた。
「いえ、そうではなく、そんな意見が軍の方から上がってくる日が来ようとはと、そう思っただけです」
「はは、確かに。発言した当人としても、冷静に考えれば実に違和感があるものですな」
これまでも内務省側からの軍縮要求は数限りなく存在した。それに対し、軍部からは逆に軍拡要求を行うことで、妥協点としての現状維持を繰り返してきたのがこの国の習いである。
もっとも近年は無数の騒乱に巻き込まれ、現状維持どころの状況ではなかったが。
「次官。貴族院がなくなり、改革を進めるなら今しかありませんよね」
「ええ。どうせすぐに先例というものは積み上がるもの。もちろん望む望まないに関わらずですが」
「先例……ですか」
アーマッドの発言をその耳にして、エリーゼはその表情で嫌悪感を露わにする。
一方、そんな彼女の反応を目の当たりにしたアーマッドは、軽く両手を左右に広げながら補足の説明を行った。
「勘違いしていただきたくないのは、別に先例に習うことは悪いことではないのですよ。国という大きな組織を動かす以上、ある程度の効率化は必要なのです。先例を無視し、その都度決済を行うことなど事実上不可能なのですから」
「それはそうかもしれません。ただ父の頃のように、身動きが取れぬような状況となってはいけないと思うのです」
「おやおや、先例だけの国の中で、親衛隊などという組織を作られた方の物言いとは思えませんな」
アーマッドがそう口にした途端、二人はお互いの顔を見合うと途端に笑い出す。
そして今度は戦略省の年間計画へと話が移ろうとしたタイミングで、一人の金髪の男性が慌ただしく部屋の中へと飛び込んできた。
「エリーゼ様、大変です」
「どうしたんですか、エインス。そんなに慌てて」
一部の親衛隊員ならまだしも、貴族の中の貴族である軍務大臣のエインスが儀礼を無視して駆け込んできたことに違和感を覚えながら、エリーゼはそう問いただす。
すると彼は、息を切らしながら、手にした一通の封書をエリーゼへと手渡した。
「はぁ、はぁ、先輩から……例の件に関してです」
「例の件……ああ、そういうことね」
エインスの言葉から要件を察したエリーゼは、苦い表情を浮かべながら封書の中身に目を通し始める。
「ユイのやつはなんと?」
「正式に通達してきたわ。レムリアックをこのクラリスから――」
「独立させます。本日をもって」
その声は開け放たれたままの扉の向こうから発せられた。
そして一同の視線が向けられたその先には、陸軍省次官を引き連れた黒髪の男性の姿があった。
「ユイ!」
「ご無沙汰いたしております、エリーゼ様。いやはや、本当は通達文書が届く前に話を通しに来ようと思っていたのですが、どうにも国を出るのに時間を食ってしまいまして」
ユイはそう口にしながら、苦笑交じりに頭を掻く。
だがそんな彼の発言を耳にしても、アーマッドは冷静さを失うことはなく、いつもの口調で問いを発した。
「ふむ、国を出る……か。つまりもうレムリアックを国家として認識しているわけなのだな」
「あ、先生もいらっしゃいましたか。別にそういうつもりもないのですが、何しろ国とか独立とかただの建前ですし」
「建前って……」
さらりとユイの口から発せられた言葉を受け、エリーゼは思わず絶句する。
一方、かつての担当教官であったアーマッドは、苦笑まじりにその口を開いた。
「かつてこれほど軽く扱われた建国や独立はなかっただろうな。いやはや、君らしいといえばらしいが」
「おじさん、笑い話じゃないですよ」
「失礼失礼。ともかく、アレックス君までその立ち位置というのが少しばかり引っかかるかな」
エインスにたしなめられたアーマッドは、その視線をユイの斜め後方へと移す。
すると、そこに佇んでいた赤髪の男は、いつものキツネ目をわずかに細めながらその口を開いた。
「別に独立に参加するなどというつもりはありませんよ。ただ陸軍の一部兵力を独立国に駐留させる許可を頂きにきただけですので」
「……ユイ、あなたの差し金ね?」
「私のというか、西方会議の取り決めでというか……」
「西方会議ではなく、フェリアム氏やノイン皇太子との個人的な話し合いの結果だったと思うけどね」
「確かに。はは、そうだったそうだった」
アレックスの指摘を受け、ユイは軽く笑い声をあげながら同意を示す。
それを受け、アーマッドが首を左右に振りながら呆れた口調で言葉を向けた。
「西方会議に正式参加していない帝国の皇太子にも話を通しているのだろう。その時点で、この西方での最大の取り決めに等しいと思うがね。いずれにせよ、それは西方連合軍元帥としての判断かい?」
「いえ、それは別ですね。もちろん自分の立ち位置を有効に活用しようとは思っていますが」
「ほう、では直接の目的は何かね」
「そうですね、あえていうなら自分の手で片を付けるためでしょうか」
わずかに視線を明後日の方向へと向けながら、ユイははっきりとそう告げる。
「片を付ける……ですか。いいでしょう。独立なさい」
「え、エリーゼ様。いいのですか⁉︎」
あっさりと頷いてみせたエリーゼを横目にして、エインスは目を見開きながらそう口にする。
「以前から、その選択肢の可能性は彼から提示されていたはずよ。もっとも自分の口で説明にきたのは初めてだけど」
「それもよりにもよって、独立をする当日に……ですか」
「いやはや、耳がいたいです」
挟まれたアーマッドの言葉を受け、ユイは頭を書きながら苦笑を浮かべる。
すると、そんな彼に向け若きこの国の統治者から鋭い言葉が発せられた。
「ただしユイ、二つ条件があります」
「……お聞きしましょう」
「まずレムリアックの独立は認めます。そしてそこへ各国の人間を集めることもです。そのために、我が国の通行が必要というならば、最大限の配慮も行いましょう。そのかわり、あくまでレムリアックはクラリス王国の独立自治領とする。如何ですか?」
射抜くような視線をユイへと向けながら、エリーゼは真っ直ぐにユイへと回答を迫る。
それを受け、ユイはわずかに逡巡したあと、溜め息とともに首を縦に振った。
「そうですね。その辺がひとまずの落とし所でしょうか」
「能力だけではなくその名前だけでも、君の存在がいなくなることが、この国にとって少なからぬ痛手だからね。私も双方にとって円満な形の条件だと思うな。もっとも、本来は我が国の大幅な譲歩ではあるが」
エリーゼとユイの間で交わされた約を目の当たりにし、アーマッドはわずかに苦い表情を浮かべながらそう評する。
ユイはその評に反論がなかったためか、釣られるように苦笑を浮かべた後、再びその視線をエリーゼへと向けた。
「それでもう一つの条件とはなんですか?」
「先日、我が国において四つある席の一つが空きました。是非あなたにはそこに座って欲しいと思っています」
エリーゼが口にした言葉が意味するところ、それは明らかだった。
だからこそ、ユイは眉間にしわを寄せる。
「裏切り者によって開いた席に、再び裏切り者を据えるのは如何かと思いますが……」
「ふふ、ならば貴方なりに裏切ったと言わせないように振る舞いなさい。いいですね、ユイ・イスターツ公」
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