第2話 使命のために
アンクワットの火が消えた。
宗教国家として陰りを見せたトルメニアにおいて、首都であるこのアンクワットの人々は口々にそう呟く。
それほどまでに西方諸国との戦いに負けた事実は、深い失望と悲しみを人々に与えていた。
そんな絶望の淵にある彼らにとって、唯一の希望は彼らを導く神の使いにほかならない。
そう、クレメア教団の総主教ラムールである。
「総主教猊下、ご壮健なり!」
ホスヘル公国の動乱に巻き込まれ負傷して以来久方ぶりに、総主教館のバルコニーからラムールは信徒に向けてその姿を現した。
「なにとぞ、なにとぞ忌々しいキスレチンの者共に天罰を」
「神の裁きをおなし下さい!」
キスレチンへの怨嗟も混じったその歓声には、痛む体を鞭打って信徒たちに自らの姿をアピールした総主教ラムールとしても、苦笑を浮かべずにはいられない。
なぜならば、彼は既に未来は閉ざされたのだと知っていた。
シナリオは終幕への道筋しか残っておらず、彼らを導くためにこの世界へと使わされた修正者の方々は、二十四度目のやり直しを既に決断している。
全ての記録と記憶は消失し、魂は救済されること無く、再び人々に対して更なる辛苦を課す。
そんな未来が予期されたからこそ、信徒たちに対し唯一彼が行い得たことは、自らの姿を彼らの前に晒すことだけだった。
せめて信徒たちの心の中だけでも僅かばかりの平穏があり続けられるように。
それだけが、現在の彼が持ち得る唯一の願いであった。
そうして予定していた倍以上の時間をかけ、安堵した信徒たちの顔を確認しおえたラムールは、負傷していた足を引きずりながらゆっくりとバルコニーから姿を消す。
そしてまっすぐに向かった自らの執務室で、彼は一人の人物の姿をその目にした。
そう、真なる神の代理人である。
「無理をしすぎじゃないかな、ラムール」
「ゼスさま!?」
思わぬ来訪者をその目にして、ラムールはその場に硬直する。
しかしその瞬間、背中の傷の痛みで思わず顔をしかめずにはいられなくなった。
「だめだよ、無理はね。Recovery!」
ラムールの背に右手をかざし、ゼスはこの世界で常用されているものとは異なる呪文を唱える。
途端、ラムールの背部の痛みは急速に消失していった。
「あ、ありがとうございます」
「別に気にすることはないさ。君は今も信徒たちの希望であり続けている。それは賞賛されるべきことだ」
「いえ、これはあくまで総主教としての勤め。たとえ世界がやり直されると決まっていても、それまでの間だけでも彼らの心に平穏があればと祈る次第です」
神の代理人から直々に治癒頂いたという光栄さを噛み締めつつ、ラムールは緊張した面持ちでそう述べる。
すると、ゼスは愁いを帯びた表情を浮かべながら、その視線を窓の外に広がるアンクワットの街へと移した。
「君たちには本当に苦労をかけている。だがそれもあと少しだけだ。あと一月の間に、もはやごまかしの利かなくなったこの世界を復元するつもりだ。この僕が責任を持ってね」
「私に出来ますことなら、何なりとお申し付けを」
ラムールは目の前の神の代理人に対し深々と頭を下げる。
すると、そんな彼に向かい何時になく柔らかな声が向けられた。
「その気持ちだけで十分だよ、ラムール。これは僕の役目だ。僕たちは君たちに崇められるための存在ではない。あくまで僕たちはこの世界の管理者。歴史が狂い、誤った道を歩み始めた時に正しく修正するための存在だ」
「そうです。そして実際に貴方様がたは二十四度もこの世界を立て直してくださいました」
「システムの記録まで消失しているのだから正確なことはわからない。何れにせよ、僕たちが行ったのは、あの剣の巫女が勝手に設定した復元点までただ巻き戻したというだけさ。芸もなく、二十四度も同じようにね」
僅かに自嘲気味な口調でゼスはそう口にする。
それはまさに考えられないことであった。
彼ら修正者はこの世界の管理者。
だからこそ、システム上で蠢く駒に気遣いをなすことや、管理下の世界で起こした自らの事象に反省をすることなど普通ではありえない。
もちろんそれは傲岸や不遜などというものとは異なる。
何故ならば、本質的に次元が全く異なる存在なのだから。
だからこそ眼前でゼスが見せている姿は、ラムールをしてまさに驚愕に値するものである。
しかしそれ以上と言っていいほど予期せぬ言葉が、動揺隠せぬラムールへと続けて向けられた。
「本来ならば巻き戻すだけではなく、僕たちは歴史を正しく導くべきなんだ。君たちのためにもね」
「私達のため……よろしいのですか?」
「良いも悪いもないさ。そのことは君たちは……いや、君は理解できていると思っているのだけど」
修正者としては些か踏み込んだ発言に他ならなかった。
それ故、ラムールは激しく狼狽する。
そしてだからこそ、歴代の総主教に伝えられてきた世界の管理者と言う存在のあり方を、彼は改めてその口にした。
「もちろんです。極論すれば、貴方にとっては私も、この国の信徒も、他国の民も、そしてあの調停者でさえも同列のただの駒。そうなのだと我々は伝えられてきました」
「否定はしない。君たちは等しく観察と監視の対象。そこに順位付けはありえない。本来ならね」
そこまで口にしたところで、ゼスは一度言葉を切る。そして小さく息を吐き出した後、わずか視線を外しながら再びその口を開いた。
「だが同時に、順位をつけてはいけないともされていない。ふふ、つまりはそういうことさ」
「で、ですが。我らのことをお思いになることは、貴方の枷となるのではないでしょうか」
「どうだろう。でもここまでくれば、成すべきことは巻き戻すことだけさ。となれば、少しばかりの気まぐれも許される。こうやって君を治療したという事実もね。どうせ世界の記録からは綺麗サッパリ失われるのだからさ」
それだけを述べると、ゼスはラムールの肩をポンと叩く。
一方、これまでは明らかに一線を引いていたゼスの予想外の対応に、ラムールは依然として戸惑いを隠せなかった。
「おっしゃっていることはわかります。たった今のことが如何に身に余る光栄であったかということもです。ですが……」
「気にすることはない。どんなに足掻こうとも、このエウレシアシステム上の禁則事項は行い得ないのだからね。逆に言えば、それ以外は問題ない。先程も言ったように、今現在の行為がもはや未来に悪影響を及ぼすことはないんだ」
ゼスは苦笑を浮かべながら、ラムールに向かいそう告げる。そして彼はその視線をラムールから外すと、ゆっくりと入り口の扉に向かい歩み始めた。
「もしかすると、この僕でさえ世界の歪み……つまりバグの影響を受けてしまっているのかもしれない。何しろ駒でしかないはずの君たちに、僅かばかりだけど慈しみの感情を抱いているようだから。さよなら、ラムール。この周回ではもう会うことはないだろう。無理はせず、最後の時まで安らかにね」
背中越しにゼスはそう述べると、そのまま部屋から立ち去っていく。
ラムールは扉が閉じられてからいつまでもいつまでも、ゼスに向かい祈りを捧げ続けた。
「二十四度……気が遠くなるほどのやり直しの中で、こんな感情を有したのはおそらく初めてだ。たとえ
部屋を出て一人となったゼスは、ただ天井を見上げながらそうこぼす。そして軽く首を左右に振ると、宿敵の存在する西方へ向けその視線を動かした。
「未来へ導けない僕たちに、今も祈りを捧げ続けてくれる彼ら。そんな彼らのためにも、僕はあの男を排除しなければならない。それこそがシステム修正プログラムであるこの僕の、何よりの存在意義なのだからね」
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