終章Ω エウレシア編
第1話 都市放棄
見捨てられた街と称されていた都市、アモキサート。
現在では西方最大の魔石産出地であるレムリアックの中心都市として、かつてのこの地を知るものならばとても信じられぬほどの活況を呈している。
そんな街の中心部に、唯一あの頃と変わらぬ姿で一つの建築物が存在する。
そんな古ぼけた建物の一室において、複数の人物から詰め寄られる一人の男性の姿があった。
「ほ、本気でやすか。せっかくここまで大きくなった街なんですぜ!」
「そうですよ、いくらなんでもここを放棄するなんて……」
スキンヘッドの男性に続く形で、ここに至るまでここに立ち寄る詳細を語られていなかった青年は、眼前の黒髪の男の発言に呆れ返る。
だがそんな二人を目の当たりにしても、黒髪の男は軽く頭を掻くのみで、一切の発言の修正を行わなかった。
「はは、まあ今すぐってわけじゃないさ。二週間ぐらいかけてやってくれたらいい」
「何を言ってるんでやすか。一月……いや一年かけてどうにか移住できるかって話でやすぜ」
「だからそこをなんとか頑張って欲しいと言いに来たわけでさ」
苦笑を浮かべながらユイはクレイリーに向かいそう言い放つ。
すると、彼の教え子であるフェルムはかつての武の師に続く形で、ユイを非難した。
「先生、ここを各国が利用できる都市にするという構想は理解できます。もちろんその趣旨もです。でも、そんな性急にことを進める必要なんて無いと思いますが」
「いえ、彼があると言えばあるのよ。だから無理を言いに来た。そうよね、ユイ君」
「……ああ。その通りさ、セシル」
この地に生まれ、そしてこの地の領主代理を務める女性の言葉の重み。
それを理解しながらユイはゆっくりと一つ頷く。
すると、クレイリーは首を左右に振りながら、目の前の男性に向かい問い掛けた。
「どうしてここなんでやす。新しく別に西方の中立都市を造ればいいじゃないでやすか」
「それは否定しない。でも、それじゃあダメなんだ。それでは私の本当の目的を成し得ない。そして私が頼める範囲で、目的に成し得る街はここしかなかった。残念なことにね」
実際のところつい先日までならば、ユイの頭のなかにはもう一つだけ候補となる街の名が存在した。
そう、それは眼前のスキンヘッドの男性の故郷であるカーリン市。
しかしながら現在、かの地に住むものは誰もいない。
廃棄された彼の地に住んでいた者は、現在はこのレムリアックに移住し、ようやく新たな生活を送りつつある最中にあった。
「ユイ君。一つだけ教えてくれるかな。万が一、移住に時間がかかればどうなるの?」
「その時は巻き込まれるかもしれない。無駄で不毛な私怨混じりの戦いに……ね」
口ではそう嘯きながらも、ユイの表情はなぜか透き通るように穏やかなままであった。
その口にした言葉と彼の表情。
そのギャップを目の当たりにして、セシルは小さく息を吐き出す。
「……わかったわ」
発せられた肯定の言葉。
それを耳にした瞬間、クレイリーは驚きの表情を浮かべる。
「せ、セシルさん。いいんでやすか。ここは貴方の故郷でやすし、せっかくここまで育てた街を放棄するなんて……」
「悔しいわ。感情だけを言えばね。でも、彼が言うならば受け入れる」
「そりゃあ、この地は旦那の領地でやすが――」
「違う。彼がこの地の伯爵だからじゃない、彼がユイ・イスターツだから。それ以上の理由はいらないわ」
クレイリーの言葉を遮る形で、セシルははっきりとそう告げる。
途端、苦言を呈してきたクレイリーは、その言葉とそこに秘められた思い故に、口にしかかった反論を飲み込んだ。
「……すまない」
「夢を見ているようだった。あの寂れた街がどんどん大きくなって、人も増え続けて……本当だったら、この街は無くなっていてもおかしくなかった」
窓の外に広がる景色をその目にしながら、セシルはそう告げる。
そして視線をユイへと向けると、彼女は再びその口を開いた。
「このレムリアックの今は貴方が作ったもの。だからユイ君……貴方を信頼します」
「本当によろしいのでしょうか?」
セシルたちが慌ただしく立ち去り、市長室に残された男性に向かいイスターツ軍の副官を務めるロイスはそう問いかける。
すると、黒髪の男性は軽く首を左右に振り小さく息を吐き出した。
「君がそう言ってくれるとは、喜ぶべきところなのかな」
「今は帝国軍人ではなく、イスターツ閣下の部下だと考えておりますので」
皇帝命令にてユイの為のイスターツ軍に配属となっていたロイスは、一切表情を変えること無く真剣な面持ちでそう述べる。
するとユイは、わずかに自らの冗談めかした問いかけを恥じ、そして素直な内心をその口にした。
「良くはないさ。正直なことを言えば私自身が一番反対なんだ。自分で構想を組み上げておきながらね」
「それでもなお、実行されると? 何のためにですか。正直言いまして、既に彼我の勢力差が明確となった今、閣下が自らの身をお切りにならなくとも、他にいくらでも選択肢はあると思われますが」
それはロイスの本心からの問いかけであった。
かつてその存在を憎み、後に振り回され困惑させられ続けたこの上官のことを、今は素直に敬愛していた。そして同時に、もはや彼が救われてもいいのではないかとさえ考えていた。もはや十分以上に彼は多くを救ったのだから、と。
だが、そんな彼の提案に対し、ユイは苦笑を浮かべたのみで決して同意することはなかった。
「トルメニアと対峙するだけならそれでもいいかもしれない。いや、仮に修正者たちと対峙するだけでもね。でも、それでは未来が生まれない」
「修正者とはあのゼスという名の枢機卿のことですよね。しかし未来とは?」
やや哲学めいた物言いに対し、ロイスは困惑を覚えながらもそう問いただす。
すると、ユイは顎に手を当てた後に、ゆっくりと言葉を選んでその口を開く。
「迷子となり閉じてしまったこの世界の未来さ。若隠居してまだまだ余生をのんびり過ごしたいのに、先がないとなったら憂鬱だと思わないかい」
「閣下が若隠居は……ともかく、戦後よりもその先を見越しての一手というわけなのですね」
「その認識でそんなにズレはないかな。その為に、私は悪を成す。まずはこの地の住民たちを排除し、そして次は私を育ててくれた王国に喧嘩を売る」
はっきりと、そして強い口調での紡がれたその言葉。
それを受けてロイスはわずかに絶句し、そして深い溜め息を吐き出した。
「……お考えを改められるおつもりはないのですね」
「誰かが代わりにやってくれるのなら、すぐにでも考えを変えるのだけどね。残念ながら押し付ける相手が見当たらないから、私がやるしか無いのさ。というわけで、先方に連絡を頼むよ。独立を宣言しにまいりますので、寝床と食事を用意しておいてくださいとね」
「了解いたしました。それでは失礼致します」
後ろ髪を引かれる思いで、ロイスは市長室から退室していった。
そしていよいよ一人となったユイは、錆びてボロボロとなった市長室の窓から、活気あふれるこのアモキサートの街を眺める。そして彼は謝罪の思いを胸に秘めながらその目を閉じると、ゆっくりとその内心を吐露した。
「猶予は余りないはずさ。彼らは絶対にくる。その前に面倒事は全て片付けておかなければならない。優雅な隠居後に僅かな禍根も残さないために……ね」
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