第16話 残されし賢者

 すでに荷物が運び出され、がらんどうとなった屋敷の一室。

 そこには二人の男が存在した。


「ユイ、最初から僕をここに置いてくれてたほうが良かったんじゃないかい?」

 壁に持たれながら赤髪の男はそう声を発する。

 すると、一脚のみ残された椅子に腰掛けていた男は、ぼんやりと窓の向こうに広がる海を眺めながら言葉を返す。


「まあね。結果論から言えば、君がいてくれるのが理想だった。でも、彼らを釣り出すのに、君の存在はマイナスかもしれなかったからね」

「どうだろう。ともかく、実に残念だよ。今代と剣を重ねることができなかったのはね」

 その言葉は間違いなく彼の本心だった。

 そのことを理解したユイは、アレックスに向かい確認の問いを放つ。


「確か、一度だけ剣を交わせたんだったよね」

「ああ。でも、子供の頃の話さ。それとは知らずに重ねた剣の続き、それを今代に求めたいというのは自然なことと思わないかい?」

「どうかな。不幸にもどちらとも剣を交わせた身としては、金輪際手合わせはお断りしたいところだからね」

 軽く肩をすくめてみせたユイは、ゆっくりとその視線を快晴の空へと向けながらそう述べる。

 すると、そのタイミングで部屋の入口の方向からとある男性の声が発せられた。


「ユイ……すまんが、逃げられた。まるで煙にでもなったかのように、鮮やかにな」

 突然発せられた声の主。

 その方向へと視線を向けたユイは、そこに帝国の皇太子と、キスレチンの全権代理の姿を目にした。


「そっか……いや、予定外のことを任せてすまなかった」

「構わんさ。お前が貸しだと認識してくれているのならな」

 それだけを口にすると、ノインは軽く頭を振りながら部屋の中へと入ってくる。


「あのさ、細かい貸し借りに拘らなきゃならないほど貧乏じゃないだろ。せめて出世払いにしておいてくれないかな」

「出世払いか。ふむ、いいだろう。貴様をさっさと出世させる目処もあるしな」

「……え?」

 思いもかけぬノインの返答に、ユイはぽかんとした表情を浮かべる。

 すると、ノインは返事代わりとばかりにわずかにその口元を歪めた。


「いや、ノイン。言っておくけど、クラリス王国の中枢にもう私の席はないよ。出世の先なんて無いはずさ」

「そうでもないと思うがな。あそこの連中なら、お前が望めば喜んで席を空けるだろう。例えばそこの赤髪とかな」

 ノインはそう口にすると、アレックスへと視線を向ける。

 それに対し赤髪の男は、いつもの狐目を僅かに細めてみせた。


「ふふ、僕を剣に専念させてくれるという話かい?」

「いくら前線に出たいからって、他国の求める人事案に乗らないでくれよ、軍務大臣どの」

 アレックスなら軍務大臣よりも剣を振るうことを容易に優先しかねないと考え、ユイは軽く肩をすくめながら彼に向けてそう告げる。

 途端、アレックスはやや呆れたようにその口を開いた。


「おやおや、喜んで降格人事に乗っかりそうな君が言えるセリフじゃないな」

「そりゃあ、否定はしないけどモラルとか常識とか――」

「だから君が言える言葉じゃないって」

 ユイの言葉に苦笑を浮かべながら、アレックスはあっさりとユイの発言を封じてみせる。

 一方、そんな彼らのやり取りを目にしたノインは、小さく吐息を吐き出しながらその口を開いた。


「ともかくユイ、安心するんだな。間違ってもクラリスに貴様を押し込むつもりなんてないさ。私も、そこの御仁もな」

 ノインはそれだけ告げると、その視線をフェリアムへと向ける。

 すると彼は渋々といった体で、一つ頷いてみせた。


「母国に押し込むって言い方は如何なものかと思うけど、ともかくフェリアムさんまで巻き込んだとなると、なにか悪いことを企んだようだね」

「ふん、別に私は何も企んではいないさ。今後生まれ得る席に、最適な人物を据えようとしているだけでな」

「生まれ得る席?」

 ユイは軽く首を傾げながら、ノインに向かってそう答える。

 それに対し返答を行ったのは、これまで沈黙を保っていたフェリアムであった。


「そうだ。エイス、貴様に西方連合軍元帥の席を用意した。この地の管理責任はたった今より貴様にある」

「は? フェリアムさん、今なんと言われましたか?」

「西方連合軍元帥に貴様を据える。ちなみにこれは既に決定事項だ」

「西方連合軍?」

 初めて耳にする名であるが故に、ユイは眉間にしわを寄せながらそう問いかける。

 すると、何故か嬉しげにノインが横から口を挟んだ。


「ああ。オブザーバーたる我が国を含めた西方会議の発展系だ。もちろん各国から正式な承認を得た上で発足するわけだが、すでにもう一カ国の軍務大臣の内諾は得ていてな」

 そんな彼が向けた視線の先。

 それを追ったユイは、頬を引きつらせながら赤髪の男の名を口にした。


「アレックス……まさか君までも」

 信じられない物を見る目つきで、ユイは赤髪の男を睨みつける。

 すると、そんな彼の視線をアレックスはゆうゆうと受け止めてみせた。


「ふふ、一人だけ楽するのはズルいんじゃないかな。君にはまだ現役でいてもらわないと、僕の相手がいなくなるからね」

「そんな私的な理由で賛成しないでくれよ、まったく」

 もちろんアレックスが自己の目的のために賛意を示したのではないことはユイも理解している。だがしかし、手合わせがまったく彼の意識の中に存在していないかと問われれば、ユイとしては怪しいものだと思われた。


「ともかく、治安維持能力が限界に達したホスヘル公国の許諾は取っている。現時点をもって、この地は西方会議の庇護下に置かれ、暫定の責任者は貴様となった」

「さすが宗主国の元大統領。普通ならホスヘル公国に気兼ねしてできないことをよくもまああっさりと……ともかく一つ聞きたいんだが、私に選択権はないのかい?」

 自分のやり口を完全に棚に上げながら、ユイはフェリアムに向かって皮肉げにそう問いかける。


「承諾するか、無理やり引き受けさせられるかを選ぶ権利ならやるさ」

「それは選択とは言わないよ、ノイン」

「ともかくだ、今回の騒動はほぼお前の思惑どおりに終わったわけだ。それくらい受け入れることだな」

 ユイを真っ直ぐに見据えながら、ノインははっきりとそう告げる。

 それに対しユイは、疲れたように軽く頭を掻いた。


「本当ならば、もう少しマイルドなソフトランディングを目指していたんだけどね」

「つまり自分抜きで西方のバランスが取れるようにか? 無理だな。少なくとも時期尚早だということくらいわかるだろ」

「否定はしないさ。君に出した空手形の回収時に、段取りをつけるつもりだったのだけどね。ともかく、理想とはいえないが最悪でもないか」

 小さく溜め息を吐き出すとユイはそうぼやく。

 一方、その言葉を聞きつけたフェリアムは、不愉快な表情のままその口を開いた。


「ふん、やはり殆どは貴様の手のひらの上だったわけだ」

「重ねていいますが、理想とはいえないんですよ。彼らに関しては予定から程遠い結果となりましたからね」

 首を軽く左右に振りながら、ユイは残念そうにそう述べる。


「彼ら……か。つまりあの枢機卿たちのことだな」

「奴は何者だ?」

「トルメニアの枢機卿ですよ」

 ノインとフェリアムから相次いで放たれた問いかけに対し、ユイはあっさりとそう答える。

 だがその回答に納得できなかったフェリアムは、矢継ぎ早にユイへと言葉をぶつけた。


「あまり見くびるな。奴がただの枢機卿でないことくらいはわかる。あの場にも居合わせたしな。その上で、何者なのかと聞いているのだ」

「それは――」

「修正者……いや、正確に言えばこの世界のシステム管理プログラムだよ、フェリアム」

 その言葉は一人の老人の口から発せられた。

 そう、いつの間にかこの部屋の中に入り込んでいた長い顎髭を有する老人の口から。


「な、貴方は!?」

「久しぶりだな。どうやらあの馬鹿レオルガードの面倒を見てくれているようで迷惑をかけている」

 一歩後ずさったフェリアムに向かい、老人は軽く感謝の言葉を向ける。

 一方、その人物の存在に驚いたのは、彼だけではなかった。


「アズウェル……アズウェル・フォン・セノーク!? まさかこの地に来られていたのか!」

「そうだ、帝国の皇太子。時が満ちたのでな」

「時が満ちた?」

 アズウェルの回答に、ノインは戸惑いながらそう問い返す。

 するとアズウェルは一つうなずき、そしてはっきりとその言葉を口にした。


「繰り返す歴史。その向こう側へと至るべき時が来たということだよ、ついに……な」

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