第12話 先手を取ったものは
「こ、これはどういうことですか、フェリアム殿!」
キスレチンの外交団が宿舎として利用していたポトゴリカ中心部にある豪奢な屋敷の正門。
そこから次々と人と物が運び出される光景を目の当たりにして、トルメニアの外交担当者であるハッサン司祭は、理解できないという表情を浮かべそう問いかける。
「おや、これはハッサン司祭。如何なさいましたかな?」
声を向けられたフェリアムは、軽く首を傾げながらそう応じる。
するとハッサンは、彼の元へ詰め寄るなり矢継ぎ早にまくし立てた。
「如何なさいましたではありません。これはどういうことですか。まるで国にお帰りになられるような様子だ」
「ええ、そのとおりですが、何か?」
まったく悪意のない表情のまま、フェリアムはさらりとそう述べる。
途端、ハッサンの表情は一瞬青くなり、その後に真っ赤に染まっていった。
「な、何かですと! まだ交渉は途中ではありませんか。にも関わらず、貴国は一体どういうおつもりですか!」
「どういうおつもりと言われましても、むしろ貴国こそどうされるおつもりですか? 噂では総主教どのが重症を負われたと伺いますが」
ハッサンが交渉材料としてこの場へと持ってきた内容。
それがフェリアムの口からさらりと先回りして告げられる。
そのことはまさにハッサンにとって、青天の霹靂とも言えた。
「な、なぜそれを」
「いえ、何やら貴国の要人が泊まられていた屋敷にて騒動があったと伺いましてね。我々のところは何もなく平穏であったこともあり、今朝、部下が驚きながら報告に来ましたよ」
「今朝……ですか。その割には、やけに退去の手際が良さそうに見えますが?」
彼らが会話を重ねる間にも、次々と退去の準備が進んでゆく光景を目にして、ハッサンは苛立ち混じりにそう口にする。
だが、それに対しフェリアムが返事をすることはなく、ハッサンは渋々話をすすめるために彼の指摘を認めるに至った。
「……おっしゃられたことは事実です。一部、我らの交渉を邪魔しようとする何らかの悪辣な勢力が躍動している。我々としては絶対に許すことはできません」
「ほう、何らかの勢力。しかし我らの交渉の邪魔を行う悪辣な勢力とは一体何者でしょうかな」
ハッサンの発言を受けてフェリアムは、やや視線を彼方へと向けながらそう疑問を告げる。
「わかりません。何れにせよここは共に手を取り合い、その悪辣なテロリストを検挙した上で交渉の再開を――」
「ふむ、それは如何なものかと思いますな」
拳を握りしめながら力説し始めたハッサン。
そんな彼の言葉を遮る形で、フェリアムは疑念を示す。
途端、ハッサンはあからさまに狼狽し、同時にその理由を目の前の男へと求めた。
「なんですと。何が問題だというのです」
「ここは我が国でも、貴国でもありません。ですので、そのような不逞な輩に関しては、まずホスヘル公国の官憲におまかせするのが筋ではないかと」
「た、確かにそれはその通り。だからこそ我々は敵に隙を見せぬためにも、交渉を継続し、両国の関係が改善に向かっていることを見せつけるべきです」
彼らが議論している間にも、着々とキスレチンの屋敷を引き払う準備は進みつつあった。
ことここに来て、ハッサンは完全に彼らの策が裏目に出たことを……より正確に言えば裏を取られたのだということを理解する。
一方、先日はのらりくらりと交渉を引き伸ばしていた目の前の男の狼狽ぶりに、フェリアムは確実に溜飲を下げていた。
しかしながら、その事自体は決して彼の目的ではなかった。
だからこそ、彼は畳み掛けるように目の前の男にとどめを刺しに行く。
「おや、貴方はてっきり交渉日程の延期を申し込みに来られたものだと思っていましたが、そうですか交渉の継続をお望みですか……ですが、残念ながらその話はお受け出来ませんな」
「な……なにゆえ!?」
「総主教どのがお怪我を成され、また貴国には責任者たりうる人物がおりません。聞くところによるともう一人ほど枢機卿がおられるようですが、まさか我が国の犯罪者を交渉担当として全面に押し出されるおつもりではありますまいな?」
フェリアムの口にした枢機卿という言葉。
その言葉の意味する人物は、紛れもなくかつて自国の軍務大臣を務め国を裏切った男、ケティス・エステハイムに他ならなかった。
そしてだからこそ、彼は言外に目の前の男にこう告げたのだ。
誰の手によるものにしろ、総主教なき今、交渉の継続はありえない、と。
「この度、トルメニアの方々に起こったご不幸は実に悲しいことです。ひとまず私は、総主教殿の早期の治癒をお祈り申し上げます。それでは」
すでに戦場での決着がついている以上、基本的に譲らなければ負けない戦い。
しかしながら敵の交渉における狙いが複雑怪奇極まりなかったため、これまで交渉は完全に暗礁に乗り上げていたのだ。
だが交渉で過去に出たサイコロの目が変わることはない。
そのことを改めて胸に刻み、キスレチンは決断を下した。
敵の目的が何であろうと、土俵に乗りさえしなければ良いと。
その結果が、この突然の交渉からの撤退である。
もっともこの進言を行った黒髪の男の頭の中には、この行為に別の戦略的な意味を見出してはいたが。
何れにせよ、ここに彼らの交渉は一旦中断と相成った。
少なくとも、フェリアムとハッサンのやり取りを目にしていたものはそう理解していた。
だが、そのタイミングで澄んだ声がその場に響きわたった。
「お待ちいただけませんか、次期大統領どの」
「……誰かね、君は?」
フェリアムが目にした者。
それは艶やかな銀髪を有する一人の美少年であった。
「誰と言われると悩ましいところですが、敢えて言うならば貴方の探し人……つまり枢機卿といったでしょうか」
「枢機卿……だと?」
子供の悪戯。
初対面であったフェリアムは、ただそう感じた。
だがそれ以外の感じ方をする者が存在した。
フェリアムたちからわずかに離れた正門の裏で、この交渉の推移を窺っていた黒髪の男。
彼はその少年の存在に気づいた瞬間、一瞬で二人の間に割って入った。
そう、腰に差した雪切と呼ばれる刀を振るいながら。
「手荒な歓迎ですね、調停者」
咄嗟に後方へ大きく飛び退る形で、ユイの一撃を回避した少年。
彼はわずかに忌々しげにそう告げる。
それに対し、ユイは油断なく目の前の少年を見つめながら、はっきりと彼の名を口にした。
「残念ながら、貴方に対する他の迎え方を知りませんもので。ゼス・クリストファー!」
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