第11話 成すべき準備

「先生、本当にブリトニアの女王はそんなことを言っていたんですか?」

「ああ。立ち去り際にね。まあ置き土産というやつさ」

 会議を終えた深夜、ユイは暗闇に包まれた外の景色をにらみながら、背後にたつ教え子に向かいそう答える。

 すると、彼の教え子たるフェルムは困惑気味の表情を浮かべながら、戸惑いを隠せぬ口調で疑問を投げかけた。


「はぁ……でも、この状況でキスレチンを襲撃する意味が僕にはわからなくて」

「ふむ、確かにそれは私にもわからないかな。何しろ、彼女が言い残した言葉は『とある屋敷に襲撃がある』ということだけだからね」

 立ち去り際にオリヴィアが告げていった警告。

 それを思い出しながら、ユイは端的にそう述べる。


「と言っても、襲われる理由のある屋敷なんて他に――」

「エイス。本当に襲撃はあるんだろうな?」

 食い下がろうとするフェルムの声を遮る形で、一人の男が大股で部屋の中へと入ってくる。

 そんな彼へと視線を向けると、ユイは頭を掻きながら正直な感想を口にした。


「だから先程ご説明したように、確証なんてものはありませんよ。私自身、正直二割程度がいいところだと思っていますので」

「ふん、まったくブリトニアの女王は勝手に姿をくらませおるし、どいつもこいつも無責任極まりない」

 憤慨した口調でそう言い放ったキスレチンの代表者たるフェリアムは、不機嫌そうな表情を浮かべながら手近な椅子へと腰掛けた。


「はは、耳が痛いです。ともかくオリヴィア女王はもう帰国の途についている頃だと思いますよ。色々ときな臭くなっていますし、自国のほうが気持ちよく昼寝できるでしょうから」

「そんな貴様みたいな理由で帰るやつがあるか!」

 ユイの発言を耳にしたフェリアムは、彼に向けて怒鳴り声を放つ。

 一方、怒鳴られた側のユイは、軽く肩をすくめてみせた。


「はてさて、どうでしょうかね。まあ他人の考える事なんてわかるもんじゃないですよ」

「その割には、貴様は色々と未来に関して予想しているみたいだが?」

「はは、だからあくまで確証のない話です。繰り返しますが、高く見積もっても二割がいいところかと」

 両手を左右に広げながら、ユイはさらりとそう言い放つ。

 それを受けてフェリアムは軽く自らの顎を撫でた。


「……二割か。つまり残りの八割は何も起こらず、夜間に兵士たちを働かせたと言うだけのくたびれ儲けに終わるわけだな」

 ユイの警告を受けて、やむなく護衛の兵士や同行した官僚たちに交代での警戒を命じたフェリアムは、吐き捨てるようにそういい放つ。

 だがそんな彼の言葉に対し、ユイはあっさりと首を左右に振ってみせた。


「いえ、それはないかと思いますよ」

「なんだと?」

 ユイの回答に、フェリアムは思わずその視線を強める。


「現状、彼らが最も望んでいることは時を稼ぐことです。その目的を考えれば、おそらく自――」

「報告いたします」

 軽い口調で話し始めたユイの言葉を遮る形で、警備隊長が部屋の中へと慌ただしく飛び込んでくる。

 それを認めたフェリアムは、表情を引き締め直し彼へと問いただした。


「どうした、周囲に何か動きがあったか?」

「いえ、この屋敷周囲に怪しい影はありません。ですが、たった今襲撃が!」

「襲撃だと? いま、怪しい影はいないと言ったではないか」

 警備隊長の発言に対し、意味がわからないと言った表情でフェリアムはそう口にする。

 すると、彼らの会話に突然黒髪の男が言葉を挟んだ。


「やはり彼らの……トルメニアのところですか」

「は、はい。その通りです。正体不明の者たちによる襲撃がトルメニアの総主教の屋敷に行われた模様。現地は大騒ぎとなっておるようです」

 たった今、警備隊長からなされた報告。

 それを受けて、フェリアムはその顔色を変えた。


「なんだと……いかん。すぐに兵を」

「駄目ですよ、フェリアムさん。今、兵士を動かすと彼らの思う壺です」

 慌てて事態打開に動こうとしたフェリアムに対し、ユイはぴしゃりとそう言ってのける。

 それに対しフェリアムは、一瞬で眉間の皺を深くした。


「なに?」

「彼等のことはただ静観していればいい。こんな無駄な狂言に付き合う必要はありません」

「狂言……だと!」

 ユイの言い放った言葉を受け、フェリアムは戸惑いを隠せずそう口走る。

 すると、ユイは小さく首を縦に振ってみせた。


「ええ、確証はありませんが八割くらいの確率でそうだと思いますよ」

「……つまり貴様はこの事態を予想していたのか」

 目の前の黒髪の男が、この屋敷が襲われる確率を二割だと言い放ったことを脳裏によぎらせると、フェリアムは畏怖を僅かに垣間見せながらそう口にする。

 それに対し、ユイは軽く頭を掻いて苦笑を浮かべてみせた。


「どうでしょうか。低く見積もっても八割くらいかと思っていましたが、はてさて」

「ともかく、我々はどうすればいい?」

「準備を始めて下さい」

 短く、そしてシンプル極まりない回答。

 それを受けて、フェリアムはすぐに問い返す。


「準備? 戦いのか?」

「違います。この街からの撤退準備ですよ」

 なんでもないことのように言い放ったユイのその言葉。

 それに最初に反応したのは、一歩引いた位置で沈黙を保っていたフェルムであった。


「撤退!? どういうことですか先生?」

「言葉のとおりさ。ここから引き上げるための準備を始めよう。ただあくまでも準備だけだけどね」

 指を一本立てながら、ユイは教え子に向かいそう伝える。

 一方、そんな彼のに向かいキスレチンの代表はその意味するところを端的に問うた。


「つまり奴らとの交渉を打ち切るということか?」

「半分正解で半分間違いでしょうか。何しろ打ち切るつもりがあるのは、先方の方だと思いますから」

 僅かに回答に迷ったあと、ユイは苦笑交じりにそう告げた。そして再び周囲の二人が口を開くより早く、彼は自分が口にした行為の意義を説明する。


「ともかく、彼らに知られること無く撤退準備を行うには今日はまさに最適。何しろ我らを警戒しているはずの彼等が、自ら騒ぎを起こしてくれているわけですからね。今晩に限っては、彼等はこちらの動きを十分には察知できないでしょう」

「……要するにだ、貴様はこの機に撤退準備を行わせるために、皆をこの時間まで起こさせていたというわけか?」

「否定はしません。ただ間違えないで下さい。行うのはあくまで準備です。本命のカードを切るのは、先方が切り札を切ってきたタイミング。ですので、さっさと準備を終わらせて、それをのんびり待つとしましょうか」

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