第10話 オブザーバー席で
苦虫を噛み潰した表情を浮かべる男と、そして余裕のある笑みを浮かべる男。
会議室の中心において、各国を代表する二人の男は、まったく異なる表情を浮かべていた。
そう、交渉の内容と真逆の形で。
「あれはお前の入れ知恵か?」
「おや、これは、オリヴィア様。何をおっしゃられているのかわかりません。私はあくまでオブザーバーですので」
騒然とする会議室の中で、オブザーバー席でうたた寝をしかけていた男は、突然向けられた女性の言葉にそう答える。
すると、スラリとした肢体を有する妙齢の女性は、突然彼の隣の席へ腰掛けゆっくりとその足を組んだ。
「ふん、その寝ているふりもわざとらしいな。演技をするならもう少し考えることだ」
「いえ、別に演技をしているつもりはないのですが……」
この騒然とした交渉の流れが事前の予想通りであったため、本気で興味をなくし眠りかかっていたユイは、困ったように頭を掻きながらそう述べる。
すると、オリヴィアは視線を強めながら彼へと言葉を向けた。
「で、改めて聞くが、お前の策か?」
「……だから私はただのオブザーバーですよ。大国たる隣国の政策方針に口を挟めるわけがないじゃないですか」
「今更そんな言い訳が通ると思っているのか? だいたいあのフェリアムの表情を見てみろ。交渉において一方的に押されているにも関わらず、ああも余裕を見せているのは、譲歩が全て予定通りだからだ。どこかの誰かの考え通りにな」
そう、オリヴィアの言うとおり、事前交渉で両者が揉めていた案件を、全てキスレチンが引く形で交渉は進みつつあった。
賠償金は当初主張していた額の二割、領土割譲なしなど戦勝国の……それもほぼ完勝した国家の対応とは思えぬほどに、彼の国は柔軟な姿勢を見せている。
一方、交渉を優位に進めているはずのトルメニアは明らかに様相がおかしかった。
表面上だけ見れば、彼等の主張はほぼ全て通っており、本来ならば胸を張って笑みを浮かべていておかしくない状況である。
にも関わらず、はっきりと彼らの表情には焦りの色が見受けられていた。
「その誰かがどこにいるのかは知りませんが、このままだとキスレチンはトルメニアの要望を丸呑みすることになりそうですな。いやはや、戦いと交渉とは異なるものと言いますが、こんな形になるとはわからぬものです」
「あくまでとぼけるつもりか? 正直、あまり白々しい演技は好まぬな。見ろ、自らの提案を押し通したはずのトルメニアの総主教が青い顔をしておるではないか」
「そうですかねぇ? きっと自国有利の条件を飲ますことができて、戸惑っているだけかと思いますが」
席についた時は落ち着き払い不敵な笑みを浮かべていたはずの総主教。
そんな彼は、完全に予想外となる自国優位の交渉進行と反比例するかのように、明らかに動揺を見せつつある。
そんな彼の表情を改めて眺めやり、オリヴィアはユイの耳元でボソリと呟いた。
「一つ忠告しておく。あまりトルメニアを追い詰めすぎるな」
「私にそのことを伝える意味はわかりませんが、それは貿易相手国の元首としての発言ですか?」
「さてな。だが、ここまで流れができてしまったならば、もはや私の出る幕はないな」
オリヴィアはそう口にすると、ゆっくりとその場から立ち上がる。
「……どちらへ?」
「引き上げ時だ。私はあくまでこの会議の中立性を見守るためのオブザーバー。交渉の成立が決定的な以上、もう仕事はない。何しろ、お前みたいに両国に介入するつもりは無いのでな」
そのオリヴィアの発言。
それを受けてユイは軽く肩をすくめると、小さく息を吐き出す。
「はぁ、まあ私のことはともかく、貴方はお忙しい身でしょうから、やむを得ないでしょうね」
「まあな……そうだ、エイス。こいつをやる」
オリヴィアはそう口にすると、一通の書簡を彼へと手渡す。
「……これは?」
「請求書というやつだ。代金を魔石換算で試算しているので、遅れなく我が国に納入してくれたまえ」
「しかしまあ、しっかりと足元を見てきますね」
書簡の中身に目を通したユイは、その請求量を目にして小さく舌打ちする。
「ふふ、これでも苦労したのだ。レムリアックの魔石算出量は、何故か巧妙に隠蔽されていて、どうやらクラリス王国さえ実態を把握できていないようだからな」
「にも関わらず、その概算を貴方はほぼ掴んでいる……ですか。まいったな」
レムリアックの正確な魔石の産出量や収益は、ごく一部のものしか知り得ない。
それはその実態を把握困難となるよう、ユイが第三国を経由したり、別名や変名を用いて様々な経路で金銭化や備蓄を行っているからではある。だが、その七割近い経路を把握されていることが、オリヴィアからの請求書からユイは理解できた。
「また表情と言葉がずれているぞ。しかしその反応を見るに、どうやら私達の試算よりもまだ産出量は上のようだな」
「だから嫌なのですよ、貴方のような人と交渉するのは」
それは紛れもなくユイの本音であった。
そしてその言葉を引き出したオリヴィアは、口元を僅かに吊り上げながらその口を開く。
「そうつれないことは言うな。私はお前とは仲良くしておきたい。エイス・クローサーは国敵ではあるが、レムリアック伯爵である貴公とはな。だからオマケを付けてやる」
「オマケ?」
「今夜、とある屋敷に襲撃があるだろう。そして一人の男が殺され、この会議は停滞する」
バラの香水の香りが漂うとともに、耳元で告げられたその言葉。
その言葉の意味を咀嚼したユイは、軽く下唇を噛む。
「……そう来ますか。ちなみに一つ教えてください。貴方には、私以外にも交渉相手がいるのではないですか?」
「さて、なんのことかわからぬな。ともかく、貴公が無事壮健であるならば、また会おう。エイス・クローサー……いや、ユイ・イスターツ」
それだけを言ってのけると、オリヴィアは会議場のオブザーバー席から立ち去っていく。
そしてその場に残されたユイは、頭を掻きながら小さく頭を振った。
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