第9話 見えぬ思惑
「どういうことですかな、もう一度ご説明いただきたい!」
眼前の長机を叩きながら一人の壮年男性、トルメニア外交官ウィンヘッラは怒りを露わにする。
本格交渉を開始するための下交渉。
明日から始まるトップ同士の会談を前にして、ここまで連日行われていた下交渉ははっきりと暗礁に乗り上げ、外交官たるウィンヘッラの苛立ちもその頂点にたどり着いていた。
一方、そんな彼の向かいの席に座る青年は、顔に貼り付けた笑みを崩すこと無く、さらりと言葉を繰り返す。
「ですから、賠償金やトルメニアへの政治的介入は現時点ではお受け出来ません。ただホスヘル公国を始めとする、各国への被害の補填は行います」
「ハッサン司祭殿。約束が違うと思うが? 確か貴国は国家解体も辞さぬと言って、我らをこの場へと集めた様に記憶している」
嫌悪感を隠すこと無く、一人の威風溢れる男性がそう問い直す。
キスレチン外交団の代表フェリアム・グルーゼンパーク。
彼は一向に進まぬ下交渉の報告を受け、通常の慣例を破る形で彼はこの場に同席していた。
だがそんなキスレチンの重鎮を前にしても、トルメニア側の交渉担当を務めるハッサン司祭は、飄々とした表情を浮かべたまま軽く肩をすくめてみせる。
「もちろんそのつもりです。何しろ我が国は戦いに敗れた。ですから、世の中の習いには逆らいませんよ」
「ならば、先述の要求を聞いてもらえるということだな?」
「はは、フェリアム代表。そう焦られますな。なにも責任を逃れるつもりは無いのです。ただ少しばかり時間を頂きたいという話でして」
「時間だと。それは一日後か、十日後か、それとも百年後か?」
のらりくらりとしたトルメニア側の説明に苛立ち、外交官のウィンヘッラは皮肉げにそう問いかける。
すると、ハッサンは弱った笑みを浮かべながら、ゆっくりとその口を開いた。
「外交官殿、期日を切るのは実に難しいものです。もちろん、貴国との関係を改善するためにも、我が国は最善を尽くす用意があります」
「ほう……最善か。この三日かけて、貴公らが送ってきた降伏文章の内容一つ確定できぬこの状況が、トルメニアの言う最善なわけか」
ギロリとハッサンを睨みつけながら、フェリアムは懐からまさにその文章の写しを取り出し、その紙の束をハッサンへと放り投げる。
さすがにこの行動は予測範囲外であったのか、ハッサンはわずかに対応に迷いを見せ、先ほどとは打って変わり逃げの一手となる。
「申し訳ありませんが、あの文章を記し許可したのは我らの枢機卿会の方々です。ですが、既に彼らの尽くは敗戦の責を取って、自害を行っておりまして……」
「つまり枢機卿と総主教の印が押されたその文章を、貴公らはなかったことにするつもりか?」
フェリアムとて、トルメニアの枢機卿達が何らかの理由で尽く死亡したことは聞き及んでいる。
もちろん素直に自害したなどとは考えていなかったが、少なくともトルメニアにとってこのような場面でしか有効性が見いだせぬ手であるが故に、その情報自体は嘘ではないと彼は判断していた。
しかしながら同時に、そのことを持って幕引きとさせる訳にはいかないという認識を当然有しており、彼は行き着く間もなく目の前の司祭に詰め寄っていく。
すると、ハッサン司祭は苦虫を噛み潰した表情を浮かべながら、小さく首を左右に振った。
「そんなつもりは毛頭ありません。ですが、死人が書いた文章で、我々まで厳重に縛られると、まとまる話もまとまらなくなります。そうではありませんか?」
「縛られる……これは思わぬおっしゃりようですな。まるで敗戦国の物言いとは思えません」
「外交官殿、もちろん基本的にはあの条件に沿うつもりでいますよ。ただ細かい点をもう少し丁寧に詰め、準備を重ねていきたいと言っておるだけです」
ウィンヘッラに向かってそう告げながら、ハッサンの視線はただフェリアムだけを捉えていた。
その視線に答える形で、フェリアムはゆっくりとその口を開く。
「我々を呼び出しておいて、今度は待て……か。どうやら、貴国のマナーというものへの考え方は我々と大きく異なるようだ」
「否定はできませんね。何しろ我々の文化は異なるのですから。何れにせよ、回らない首はどうにも回らないものです。そしてそれを無理に回そうとすると、何もご提供できなくなる。無残に朽ち果ててしまいますからな」
「おや、下交渉はもう終わったのですか?」
「ふん、あんな口先だけの男と話しても、何も決まりはせん。だから引き上げてきた」
キスレチン外交団が詰めている屋敷の二階。
その一室にたどり着いたフェリアムは、そこでくつろぐ先客に向かってそう答える。
すると、目の前の黒髪の男は肩をすくめながら、苦笑を浮かべてみせた。
「それはそれは。ともあれ、まさか代表自ら下交渉に参加されるとは先方も思っていなかったでしょう。だからこそ、何も決断できなかっただけじゃないですか」
「本気でそう思っているのか?」
「いいえ。違うでしょう。ともあれ、こんな天気が良い日のお出かけ、お疲れ様でしたと言っておきます」
じろりと睨みつけてくるフェリアムに対し、ユイは軽く頭を掻きながら外の景色を眺めつつそう述べる。
するとすぐさま、フェリアムは舌打ちを一つした。
「ちっ、我々はピクニックに来たわけではない。言葉だけの気遣いなど無用だ」
「はは、失礼しました。でも、先方はどうやらピクニックにこの国へ来たみたいですがね」
「ふん、国家解体まで受ける用意があると言いながら、妥結する気さえ無さそうに見える。何を目的に我々を呼び出し、そしてこんな無駄な時間を過ごさせるのか正直わからん」
吐き捨てるような口ぶりで、フェリアムは苛立ち混じりにそう述べる。
すると、ユイは顎に手を当てながら、ボソリと呟いた。
「意外とそれ自体が目的かもしれませんね」
「それ自体だと?」
ユイの言葉を耳に捉えたフェリアムは、眉間にしわを寄せる。
それに対しユイは、逆に彼に向かい質問を返した。
「ええ。ともかく、今回の落とし所はどの辺りだと考えているんですか?」
「再軍備の禁止と、各国への賠償金。その二点が本命。あとはおまけのようなものだ」
「ふむ……やはり領土はいらないと」
「管理できもしない土地などいらん。住民ともめてさらに金がかかるだけだろうしな」
それはフェリアムのなかで明確に存在した線引であった。
地続きでないトルメニアの領土など不要であり、逆に管理コストを考えれば赤字になる見通ししか立たない。だからこそ彼は、最初からそのようなものを求めるつもりはなかった。
一方、そんな彼の発言に一理あると思いつつも、ユイは一つの提案を彼へと行う。
「獲得した土地は、そのまま周辺国に分けてしまえばいいと思いますけどね」
「そして周辺国を尽く今後の潜在敵とするわけか? 愚策だな」
ユイの提案に対し、フェリアムは軽く鼻で笑い却下を告げる。
すると、それは予め織り込み済みとばかりにユイはさらにその口を開いた。
「ともかく、最初から国家解体を口にしている以上、領土に関しては譲るつもりがあることは事実でしょう。譲らないとしたら、信仰の自由くらいでしょうか」
「ふん、信仰など好きにすればいい」
「ええ、私も同意見です。だからこそ、そこから切り崩されては如何ですか?」
ニコリと微笑みながらユイがそう述べると、途端にフェリアムの顔つきは険しくなる。
「……どういうことだ」
「信仰に制限を加える事。それを交渉に盛り込みましょう。途端に、彼等にとっての交渉に於ける遊びがなくなると思いますね」
「あくまでも引っ込めるための札というわけか。だが、外に漏れるほど前面に押し出せば、奴らの信者が暴発しかねんな」
「したければ、させてあげてるのも一つでしょう」
フェリアムの危惧に対し、ユイはあっさりとした口調でそういい切る。
そのあまりに予想外の返答にフェリアムは一瞬息を呑んだ。
一方、ユイは小さく頭を振ると、すぐに補足をその口にする。
「ただ確信を持って言いますが、多分彼らは必死に押さえ込むと思いますよ。領地がそのまま彼らのもとにある、少なくとも今は」
「少なくとも今は……か」
「ええ。何れにせよ、あとはあの若い外交官殿と、前大統領殿のご手腕次第ですな」
それだけを口にしたところで、ユイは手近な椅子の背に深くもたれかかると、ニコリと微笑んで見せる。
それに対し、フェリアムはイヤミの一つも言わずにはいられなかった。
「ちっ、オブザーバーは気楽なものだ」
「はは、まあ発言権が無いというのはそういうことですよ」
笑みを崩すことなく、ユイはそう言い放つ。
そんな彼に向かい、フェリアムは真剣な表情で一つの疑問をぶつけた。
「エイス……いや、イスターツ。奴らの真の目的はなんだ?」
「少なくとも、国家や指導者達の延命が目的ということはないでしょうね。そうならば、最初に国家解体なんて言葉で餌をちらつかせるのは悪手ですから。結局のところ、彼等は宿願を叶えたいだけなのでしょう」
「宿願?」
「魔法をこの世界から消し去ること」
そのユイの言葉は、静かに部屋に広がった。
そして一拍の間をおいた後に、フェリアムはその口を開く。
「……それは知っている。だが彼らは魔法の前に敗北した」
「その通りです。だからこそ彼らはテーブルごと盤面をひっくり返すつもりなのでしょう。こうして時間を稼ぐ事自体、その為の布石でしょうからね」
視線を窓の外へと向けながら、ユイはそう告げる。
それに対し、フェリアムは顎をさすりながら眼前の黒髪の男へと問い掛けた。
「ふむ……で、お前はどうするべきだと思うね」
「いっその事、現時点で全てを飲み、妥結しにかかる。そして一気に会議をまとめる振りをすると言うのは如何ですか?」
「損を承知で、敗戦国である彼等有利の提案を丸呑みするわけか。些か望まぬリスクが伴うな。もちろん交渉の推移次第だが」
「そうですね。でも、いつでも挽回はできます。既に戦争は終わったのですから」
ユイははっきりと、しかし確信を持ってそう告げた。
そんな彼の表情を目にして、フェリアムは嫌悪感を露わにする。
「貴様らしい意地の悪い顔だ。だが考慮に入れておく」
「是非是非、ご考慮下さい。幸い明日は私もオブザーバーで参加します。期待していますよ、外交団代表殿」
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