第3話 対なる動き

 以前より明らかに人気が少なくなったトルメニア首都アンクワット。

 その中心部に存在する聖堂の一室には一人の少年と、一人の青年の姿が存在した。


「あの男も此度の協議に同行しているとのことです、ゼス様」

 蒼色の髪を持つエミオル・ニトロマブは、眼前の銀髪の少年に向かってそう報告を行う。

 すると、彼の上役に当たるゼス・クリストファーは、わずかにその口元を歪めてみせた。


「ふぅん、そう。少しはやる気になったということかな。まあ結構なことさ」

「して、如何いたしますか?」

「僕たちが直接手を下してもかまわないけど、それはリスクを伴う。何しろ、奴らには朱もいるわけだしね」

 朱の悪魔。

 それは既に西方最強と称される一人の男性であり、そして彼等の宿敵の親友でもあった。

 そんな存在のことをゼスが示唆した瞬間、エミオルは自らの下唇を軽く噛む。


「今世最大のバグ……厄介極まりませんね」

「ああ。だからこそ、バグにはバグで対抗するべきと僕は考えている。もっともこちらのは、創造主公認のバグではあるけどね」

 そこまで口にしたところで、ゼスは薄く笑った。

 途端、エミオルはわずかに驚いた表情を浮かべる。


「では、あの者が本当に餌に食いついたと?」

「ああ。今、こちらに向かっているはずさ。と言っても、ここまでたどり着くのに、あと三十日ほどは時間が必要だろうけどね」

「三十日……ですか」

「言いたいことはわかっているさ。だからこの僕が迎えに行くよ」

 エミオルの苦い表情をその目にして、ゼスは突然そんなことを口走る。

 すると、エミオルは困惑隠しきれぬ声を発した。


「ゼス様が御身自らですか?」

「そうさ」

 エミオルの問いかけに対し、ゼスは当たり前のように首を縦に振る。

 だが、エミオルはそんな彼に向かい懸念事項を、つまりこのトルメニアの隣国事情を突きつけた。


「で、ですが、ゼス様がいらっしゃらなければ、再び不安定となったゼルバイン王国をどうなされるおつもりですか?」

「代わりのものを立てるさ」

「代わりのもの……まさか!?」

 ゼスのその瞳の色から、その言葉の裏側に気づいたエミオルは頬を引きつらせる。

 そして直後、彼はその気づきが正しいことを理解した。


「そう、君だよ。エミオル」

「しかし凪の時期でしたらともかく、今の状況下でゼス様と同じようなことなどとても……」

 一時的にではあるが、この世界の法則がいたるところで書き換えられ、その影響と歪みによって生み出された現象。

 それを真正面から修正することは、正直エミオルの手に余るというのは彼の本音であった。


「大丈夫だ。完璧にコードを整えようなんて考えなくていい」

「ですが、そうなるとあの国は遠からず国土全てを砂漠によって蝕まれてしまいます。まさかリカバリーされることを前提に、今回は見捨てられるおつもりですか?」

 それはありうる可能性であった。

 少なくとも、現状を見る限り妥当な選択肢と言ってもいい。

 しかしながらエミオルは、そんな選択肢をとても選べるものではないと考えている。

 そして幸運なことに、それは彼の上も同様だった。


「そんなつもりはないさ。彼等は主の教えに背かぬ正しき人々だ。だから溺れかけた彼等には、掴む藁を与えようと思う。それも自らの体を浮かしうるだけの十分な藁をね」

「十分な藁? そんなものどこに……まさか!」

「ああ、まさかさ」

 エミオルが彼の狙いを理解したと判断し、ゼスはニコリと微笑む。


「なるほど溺れかけた国を藁としてお与えになるおつもりですか」

「そうさ。あくまで一時しのぎの代物だけどね」

「……了解いたしました。ですが、やはり私の力では十分な時を稼げぬかもしれません。総主教と彼の国の王に話を通して頂けておりましたら幸いです」

 自らのなすべきことを理解した上で、エミオルはゼスに向かいそう依頼する。

 だが、そんな彼に答えたのはまったく別の人物の声だった。


「それは既に通しておいた。この私がな」

「貴様! 貴様がなぜここに!」

 いつの間にか自らの背後に立っていた人物をその目にして、エミオルは頬を引きつらせる。

 すると彼の反応を目の当たりにして、その人物は軽く鼻で笑ってみせた。


「ふん、呼ばれたから来ただけのことだ。言うならば、貴様らの尻拭いを先にしておいてやったと言うのに不満があるというのか?」

「良くもぬけぬけと……貴様があの男に後れを取らなければ、事態はこんな面倒にはならなかったはずなのだ」

 現在の情勢悪化の一因。

 それは間違いなく目の前の人物の失態にあった。

 だからこそ、エミオルは迷うこと無く糾弾する。

 しかし、そんな彼の言葉を、眼前の人物は肩をすくめながら軽くあしらってみせた。


「それについて言い訳するつもりはないさ。だが本来、私が外に出るわけにはいかぬものだったのでね」

「でも、今ここにいる。つまり腹をくくったということかい?」

「君が保証したんだろう? 短期間なら影響は出ないと」

 差し挟んできたゼスの言葉に対し、その人物は逆にそう聞き返す。

 すると、ゼスは迷うこと無く首を縦に振った。


「君の土地は十分以上にバグが生まれていないからね。だが――」

「既にバグに蝕まれたゼルバイン王国はもはやだめだと?」

 ゼスがもったいぶって答えるより早く、その問いかけはなされる。

 それに対し、ゼスは軽く苦笑を浮かべながらその問いを肯定してみせた。


「否定はしない。だから長年私は表に出れなかったわけだし、君のところに行くためにも相当な無理をしたのだよ」

「その割には、その後も修正者を追って気ままに動いていたように見えるがな」

「凪の時期だったからね」

 そのゼスの回答に、彼らの眼前の人物は納得の表情を浮かべる。


「そうか……なるほど、話が見えたよ。つまり君たちが動けるのは、世界の侵食が凪いだその期間だけというわけか」

「さて、どうだろうね」

「まあいい、君たちがアレを彼等から取り返してくれるというのなら協力はやぶさかじゃないさ」

 最後までの回答を与えてくれぬゼスに向け、氷の如き整った容姿を持つ人物は、このあたりが妥協点だと冷笑を浮かべながら受け入れる。

 一方、そんな眼前の人物の反応に、ゼスは満足の表情を浮かべた。


「それでは取引成立だね」

「よろしいのですか、ゼス様。同じはぐれ調停者にしても、こやつめはあのケティスとは違いますぞ」

「当たり前だ、あんな三下とこの私を同列にしてくれるな」

 エミオルの物言いに対し、すぐさま抗議の声が発せられる。

 途端、エミオルは首を左右に振った。


「そういう意味ではない。だいたいお前は――」

「そこまでだ、エミオル。協力を仰ぐ立場にあるのは我々なのでね」

 やや感情的になりかかったエミオルに向かい、ゼスはあくまで冷静にそう窘める。

 すると、エミオルは一瞬で黙り込み、そして小さく頭を下げた。


「……失礼いたしました」

「結構。ならば話は成立だ。お互いにとって、最良の結果を得られればよいな。ゼス・クリストファー」

 そう口にするなり、氷の美貌を持つ女性はほんの僅かに口元を歪める。

 そんな彼女に向かい、ゼスは軽く肩をすくめながら、敢えてそれ以上言葉を紡ぎ出すことは無かった。

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