第4話 予定外の来訪者
ホスヘル公国。
それはかつてキエメルテ共和国と呼ばれた巨大国家が分裂の末に、西方に産まれた比較的新しい小規模国家である。
もともと民主主義を標榜するキエメルテ共和国においては、選挙という行為を通して代議士と呼ばれる代表者を選出し国家運営を担う体制が敷かれていた。
しかしながら、キエメルテ共和国の人口は実に歪な構造となっており、その大多数が現在のキスレチン共和国の存在する地域に偏在していた。
結果として人口密集地域を優先した国家運営がなされることとなり、それに反発した現在のクロスベニア連合とホスヘル公国の地域の民たちが、独立運動を行うに至る。
もちろんその背後には、当時から対立していた帝国やトルメニアの影が見え隠れしていたものの、結果的にキエメルテ共和国は三つの国家へと分裂する事となった。
その中でも大陸中央との玄関口とも言えるホスヘル公国は現在、コルドイン大公という比較的穏やかな君主を頂いていた。しかしながら、その実質は議会が政治を取り仕切っており、いわゆる立憲君主制と呼ばれる制度を採用している。
そして今、トルメニアとキスレチン共和国との講和会議の舞台として、このホスヘル公国の首都ポトゴリカに、かつて無いほどの数の人々が一斉に押し寄せていた。
「いやはや、思ったよりも手狭な街だね。と言うか、ここでやるならどちらも人を連れてきすぎだよ」
ポトゴリカのほぼ中心地域に存在する数少ない高層建築。
間借りすることになったその一室の窓から外を眺め、ユイは苦笑交じりにそうこぼす。
実際に彼の視界に映るのは、明らかにこの国の人々ではない者たちの無数の姿。
そう、今回の講和会議の主役となるトルメニアとキスレチンの関係者たちの姿だった。
「別に人員制限はありませんでしたからね。でもこんなのんびりしてそうな首都ですし、落ち着いた時に来てみたかったですね」
「ああ、まったくだよ。せっかくの落ち着いた街並みが台無しさ。まあこれからが本番だから、バタバタするのは仕方ないのだろうけどね」
フェルムの見解に同意したユイは、ため息を吐き出した後に小さく頭を振る。
するとそんな彼に向かい、フェルムはさしあたっての問題点を口にした。
「あとは食べ物なんかも輸送が大変みたいですね」
「もともとこれだけの人員を収容できる街ではないからね。それに南のトルメニアは戦争に負け、もう南東のゼルバイン王国は国土が砂漠化の真っ最中。正直、美味しいものを望むのは難しいかもね」
「それを見越していたから、海上交通の自由化を提案されたんですか?」
ユイの発言を耳にするなり、何かに気づいたフェルムはその背に向かって疑問を放つ。
すると、ユイはゆっくりと振り返り、ニコリと微笑んでみせた。
「理由の一つではあるかな。キスレチン辺りから海路で輸送しないと、正直追い付かないさ。第一、海上で一隻一隻取締調査をしているわけにも行かないだろ」
「でも正直言って、トルメニアがよくこの条件を飲みましたね。ミラニールと違い、あの国は首都が海に面していたはずですが」
海都とまで言われるトルメニア首都アンクワット。
その立地から海に対しての警戒は、他国とは比べ物にならぬほど厳重で知られる。なぜならば、大陸西方で二大強国と呼ばれる帝国とキスレチンに劣らぬだけの兵士数を彼の国は誇っており、更にその強大な領地から陸からの奇襲などはよほどの事がない限り無視できると考えられていた為である。
しかしながら現在、その前提条件は先日の戦いによって大きく崩れてしまい、まさにトルメニアを取り巻く状況は一変していた。
「事ここにいたり、わざわざ海路から侵攻する理由なんて無いさ。彼らから降伏を申し出たわけだしね」
「確かにそのとおりですね。ならば当然、キスレチンも警戒する必要は乏しいですし、商船活動を自由にさせたほうが望ましいというわけですか」
「そうしなければ物流が追いつかない。お前の表向きの提案は、そんなところだったな」
その声は、部屋の入口の方向から突然放たれた。
そして姿を現した人物を目にして、ユイは軽く肩をすくめてみせる。
「まあね、フェリアムどの。この状況を見るに、正しい予測だったと思いませんか?」
「どうだかな。確かに物流面でのトラブルは軽減されたが、どこかの商会がこのタイミングで荒稼ぎをしていると小耳に挟んでいるのが引っかかるところだが」
フェリアムはこのタイミングを見計らっていたかのように、大量の商船を借り上げて活動するとある人物の息の掛かった商人たちの存在を、あからさまに牽制してみせる。
一方、そんな彼の発言を耳にしたユイは、クレイリーという名の海賊にしか見えない商人らしき人物が、当初の予定通り動いていることをそこから理解した。
「商機は最大に活かすよう、従業員には指導をしているものでね。で、官僚たちとの楽しいディスカッションは終わったのかい?」
「ふん、まだ今も会議は続いているところだ」
非難と警告を続けようとしていたフェリアムは、話の腰をおられた事に苛立ちながら、それだけを口にする。
「おやおや、じゃあサボってきたというのかい?」
「お前ではあるまいし、そんなわけがあるか」
「偏見は良くないよ。平等や人権を標榜するキスレチンの代表者としては、如何なものかと思うね。で、実際のところなんの用だい?」
この真面目な政治家が会議を抜けてまで会いに来たという事実。
それが意味するところがわからず、ユイはまっすぐに問いかける。
それに対し、フェリアムの答えはシンプルなものであった。
「お前に会いたいという客が来ている」
「客?」
「ああ。御本人曰く、借金取りだそうだ」
「借金ねぇ……色んな人に借りがありすぎて、正直わからないんですど、はてさて一体どなたですかね?」
心当たりがありすぎたユイは、苦笑を浮かべながらのんきにそう言い放つ。
だがフェリアムの背後から発せられた声を耳にした瞬間、彼の表情はまさに凍りついた。
「ほう……借りたことを忘れたと申すか?」
「え……」
それ以上の言葉が浮かばず、ユイはただただその声の主を見つめる。
こんな場所にいるはずのないその人物を。
「借用書まで書いて、あれだけ好き勝手しておきながら、実に殊勝な態度ではないか。のう、大罪人のエイス・クローサー……いや、ユイ・イスターツ」
その人物はそう口にするなり、ゆっくりと洗練された所作で部屋の中へと入り込んでくる。
ユイの前に姿を現したその人物。
それは氷の女王と呼ばれるブリトニア女王オリヴィアその人であった。
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