第2話 交渉の内幕

「先生、先生起きてください。もう間もなく、国境ですよ」

 疲れたような声を向けられながら、ユイは青年によってその体を揺すられる。

 緩やかに開かれていく彼の両眼は、馬車の隣の席に座る淡い銀髪の青年の顔をゆっくりと映し出していった。


「ん……ああ、私……か」

 ユイはゆっくりと首を左右に振ると、自らの体をしげしげと眺めながらそう口にした。


「私かって、先生は先生に決まっているじゃないですか。変な夢でも見ていたんですか?」

「はは、変な夢……ね。そうとも言えるか。しかし久しぶりだな、あの頃の夢をみたのは」

 苦笑を浮かべながらユイはボソリとそう呟く。

 すると、隣にいたフェルムは怪訝そうな表情を浮かべた。


「あの頃の夢……ですか」

「ああ。私が君よりもまだ幼かった頃の……そう、背伸びばかりして本当にどうしようもなかった頃の夢さ」

 それだけを口にすると、ユイはやや自嘲気味に笑う。

 途端、彼の向かいの席から呆れ混じりの言葉が放たれた。


「ふん、自称仲介者は気楽なものだな。馬車に乗っている間、殆ど寝てばかりではないか」

「はは、まあ私は表向き顔を出すだけが仕事ですから。どなたかと違って気楽なものですよ」

 ホスヘル公国に入る前から、既にその身なりと表情を引き締めたフェリアムに向かい、ユイは苦笑交じりにそう告げる。


「ちっ、言ってろ。せいぜい貴様のその微妙な立場を、上手く使い倒してやるからな」

「やれやれ、これは到着後が怖そうだ」

 キスレチン公国の全権大使を務める男に向かい、ユイはそう口にしながら軽く肩をすくめてみせる。

 一方、そんな二人のやり取りに冷や汗をかいていたフェルムは、慌てて話をそらしにかかる。


「で、でも先生。せっかくのクロスベニア連合にホスヘル公国ですよ。結構街並みや植生も違いますし、外も見ず寝てばかりだともったいなくはないですか?」

「ふむ、それはそうかもね。小さい頃に一度だけ来たことがあるけど、まったく覚えてはいないしさ」

 元大統領にして次期大統領を前にしたフェルムの気苦労を理解し、ユイは頭を掻きながら彼の話題に応じてみせる。

 すると、本当に興味深そうな表情を浮かべ、フェルムが言葉を発した。


「来たことがあるって、このあたりにですか?」

「ああ。うちの父がこれから向かうホスヘル公国出身だからね」

 フェルムの問いかけに対し、ユイはさらりとそう応じる。

 途端、フェリアムの眉がピクリと動いた。


「ほう、それは初耳だな」

「別にだからどうしたという話ですしね」

 軽く左右に両腕を広げながら、ユイはそう切り返す。

 しかしながら、依然として興味をいだいたままのフェリアムは更に問いを繰り返した。


「ふむ、しかしならばなぜ貴様はクラリスなのだ? 確か貴様の母親は――」

「あの人は流れ者ですから。ともかく、あの人達にとってきっと居心地が良かったんだと思いますよ。あの国がね」

 両親の話はここまでだとばかりに、ユイはフェリアムの言葉を遮る形でそう告げる。

 一方、彼の教え子であるフェルムは、思わず自らの国のことを強く主張した。


「ラインドルもいい国ですよ。いえ、キスレチンもそうなのでしょうが」

「フェルム君、別に私に気を使わなくていい。もっとも、そこのそいつはもう少し気を使うべきだがな」

 軽く鼻息を立てながら、ユイに対するあてつけとしてフェリアムはそう吐き出す。

 それを受けて、ユイは頭を掻きながら苦言を口にした。


「なんというか、次期大統領が差別するのは如何なものかと思いますが」

「ふん、これは差別ではない。明確な区別だ」

「なお悪い気がしますけど、まあいいでしょう。それよりも、どの辺りを落とし所にするのか決めましたか?」

 ユイはあくまで軽い口調で、目の前の男に向かいその最重要の問いかけを行う。

 すると、フェリアムは苦虫を噛み潰した表情を浮かべた後、ボソリと小さく呟いた。


「トルメニアを属国化はしない」

「ほう、では金だけ巻き上げて、代官を置かないというあたりですか」

 フェリアムの回答から、ユイは一つ頷きつつそう答える。

 それに対し、フェリアムは僅かに視線をそらしながら、一つの事実を口にした。


「……ああ。貴様が提案してきたあの仮案のとおりにな」

「おっと、それは学生がいる前で言うべきことではありませんよ。次期大統領閣下」

 隣で目を白黒させているフェルムを横目に、ユイは内幕をばらしたフェリアムを非難する。

 だがそんな彼の苦言は、あっさりと無視されることとなった。


「ふん、彼も貴様についているのなら今更だろう。ともかくだ、貴様が指摘する通り、我が国と彼の国はあまりにその成り立ちが違いすぎる。強引に事を推し進めれば決して良い結果を産まぬのは自明の理だ」

「ええ、そのとおりだと思います。しかしよく内閣と議会を通しましたね。いや、提案しておいてなんですが」

「別に、こいつをうまく使わせてもらっただけだ」

 フェリアムはそう口にすると、懐からとある紙の束を取り出す。

 そう、ある人物が汚い字で書きなぐった紙の束を。


「って、まさか!?」

「ああ、内閣の連中は、今回の我が国の提案が誰の頭の中から出てきたものか既に知っている。つまりはそういうことだ」

「はぁ……貴方なら内々にうまくやると思って提案したんですがね」

「だからうまくやっただろう。使い勝手のある貴様の名を使ってな」

 フェリアムはそう口にすると、してやったりの表情を浮かべる。

 一方、ユイは不満げな表情を浮かべながら、小さく頭を振った。


「終わってから面倒事に巻き込まないでくださいね」

「さて、それは今回の交渉次第だな。後で楽をしたいのなら、せいぜい裏でうまく立ち回ることだ。期待しているぞ、悪徳商人」

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