第12章 ホスヘル編

第1話 在りし日の記憶

 村の外れに存在する小高い丘。

 その地にて一人の黒髪の少年はうずくまり、そして一人の黒髪の女性は彼を見下ろす。


「こんなものですか、ユイさん」

「ま、まだです、母さん!」

 地面にうずくまったままの少年は、青あざのついた顔を必死に女性へと向けながらそう口にする。

 途端、長い艶やかな黒髪を持つ女性は、その口元に薄い笑みを浮かべた。


「ならば、立ち上がりなさい。このままだと、永遠に私には届きませんよ」

「はい……行きます」

 もがくように必死に体を起こした少年は、もはや打ち込まれすぎて変色した右手で小太刀を握りしめ直す。

 これまでの経験から、立ち上がった以上は目の前の人物は決して待ってくれはしない。もちろん立ち上がらなくても、待ってはくれないのだが。

 何れにせよ一太刀も浴びせることなく、彼は今日を終えるわけにはいかなかった。


 だからこそ、彼は全身のバネを総動員して、一足飛びに間合いを詰めにかかる。

 まだ女性は薄ら笑いを浮かべたまま、身動き一つ取ってはいない。


 今しかない。

 そう確信した少年は、全力で手にした小太刀を一閃させる。


 そして次の瞬間、彼は天と地が反転し、再び地面に向かい叩きつけられた。


「良い剣筋です。決して悪くはありません。でも、あまりに予備動作が多すぎます」

 少年が剣を振るうと同時に、体を沈み込ませ軽くその足を払ってみせた女性は、ニコニコした笑みを浮かべながらそう告げる。そしてそのまま地面にうずくまる少年の頭の上に右足を乗せた。


「う、ううっ、あの、母さん……脚をどけてくれませんか?」

「脚をですか? 確かにこのままだと頭の形が変わってしまいますね。貴方の綺麗な顔が歪むのは、母の本意ではありません。だから早く全力で払い除けてみなさい」

 軽い口調でそう口にした女性は、本意ではないと称した発言とは裏腹に、少年の顔に向けてそのまま体重を乗せていく。


 途端、場に響く少年のうめき声。

 だが次の瞬間、彼らに向かって発せられた声により、場の空気が一変した。


「ちょ、ちょっと、端から見たらただの虐待じゃないですか。鍛えるにしても少しやりすぎだと思うのだけど」

「あら、アンフィニさん。王都からお帰りになったんですね」

 声の方向へと視線を向けた女性は、華やかな笑みを浮かべると、呆れたようにその場に立ち尽くす華奢な男性の元へ駆け寄る。

 そして彼の片腕に寄り添ったところで、上目遣いにその口を開いた。


「それで、王都では一体どちらへ行かれたのかしら?」

「あ、ああ……少し知り合いのところへね」

 栗毛色の髪を有する華奢な男性は、軽く頭を掻きながらそう告げる。

 途端、女性は男性の腕にその端を寄せた。


「くんくん。他の女の匂いはしないようね。この香りはむしろ男性……さしずめ、あの理屈屋のところかしら?」

「いや、その通りだけどさ……なんでそこまでわかるのかな、まったく。というか、たまにしか王都なんて行かないんだ、あまり勘ぐらないでくれるとうれしいな」

「ええ、信頼していますよ、アンフィニさん。だって何かあったらたぶん私、貴方の首をはねちゃいますもの」

 わずかにしなを作りながら、女性はサラリとそんなことを口走る。

 それを耳にしたアンフィニと言う名の男は、頬を引きつらせながら、確認するように問いかけた。


「じょ、冗談だよね? そんなことしないって、わかっているから言ってるんだよ……ね」

「さてどうかしら? なんだったら試してみますか?」

 怪しくその両目を光らせながら、女性はそっと腰に刺した一振りの刀へと空いた手を這わせる。

 途端、アンフィニは大きな溜め息を吐き出すと、やや疲れ気味の口調で本題を切り出した。


「いや、遠慮しておく……それよりも、連中のことがわかったよ」

「ああ、あの無粋な人たちのことですね。で、やはり妹からの追っ手でしたか?」

「違う。まったく無関係のようだね」

 女性からの問いかけに対し、男性はすぐさま首を左右に振る。

 それを目にして、女性は小さく息を吐きだした。


「はぁ……となると、この西方の人間ですか。この地にも私の生活の邪魔をする空気が読めない方がいるのですね」

「そりゃあ、西方も広いからいろんなやつがいるからさ。フォックスの小僧とか、あのアズウェルとか、カーラみたいなやつがね。でも、今回はその辺絡みでもないみたいだ」

 少年の姿にこだわる女たらしや、理屈屋の偏屈壮年、また出力馬鹿の魔法女王の顔をその脳裏に浮かべながら、アンフィニは違うとばかりに再び首を左右に振る。

 その返答を受け、女性は思わずその眉間にしわを寄せた。


「東方の追っ手でも、あの他称賢者の方々絡みでもない? では一体何者の仕業ですか?」

 女性のその問いかけ。

 それに対し、アンフィニは短くその名だけを口にする。


「修正者さ」

「修正……者。なるほど、彼等は神の御使いだったわけですか。どうりで厄介だと思いました」

 その名を耳にした瞬間、ほんの少しばかり彼女の周りに張りつめた空気が走る。

 だがそんな彼女の反応は、アンフィニにとって予想通りのものだった。

 だからこそ彼は、特に動揺した素振りも見せずその視線を女性の腰へと向ける。


「奴らの目的は、君のそいつにあるみたいだね」

「そうですか……なるほど、この雪切に目をつけられるとは、見どころのある方たちですね」

 そう口にしたところで、女性は底冷えするような冷気を放ちながら僅かに口元を歪める。

 一方、アンフィニは軽く肩をすくめてみせると、アズウェルと言う友人から聞かされた言葉をそのまま彼女へと告げた。


「残念ながら、刀自体には興味はないみたいだよ。奴らはその刀が持つとされる、世界への干渉機能をこそ必要としているみたいだからさ」

「あらあら、ということはもしかしてこれが影打ちということをご存じないのかしら」

「そりゃそうだと思うよ。剣の巫女なら真打ちを持っているものだと、普通なら思うだろうからね」

 男性は苦笑を浮かべながら、女性に向かってそう口にする。

 すると、女性はわずかに考え込み、そして一つの問いを男性へと向けた。


「……そうですか。だとしたら、その勘違いを正してあげないといけませんね。で、彼らはどちらに?」

「さあ、あの理屈屋のアズウェルにも、今はわからないってさ」

「まったく役に立たない人ですね、あの人は」

「まあそう言わないであげてよ。アレでも数少ない友人の一人なんだからさ……って、そう言えばうちの息子くん、倒れたままじゃないか!」

 ふと視線を前方へと向け直したアンフィニは、女性に踏みつけられたときの姿勢のまま、彼等の息子が起き上がってこないことに気がつく。

 途端、女性はアンフィニの胸元へと手を忍ばせると、そこから取り出したものを少年へと向けた。


「ユイ、そろそろ起きなさい」

 まるでねぼすけの我が子を軽く起こすかのような口調で、女性はそう告げる。

 そして次の瞬間、彼女の手にしていた短銃から高速の弾丸が放たれた。


「ちょ、ちょっと、なんてことを!」

「あらあら、大丈夫ですわ。ちゃんと避けられるくらいには、余力を残して鍛えていますから」

 女性は地面を転がる形で弾丸を躱した少年をその目にしながら、嬉しそうに告げる。

 その光景を目の当たりにして、アンフィニは深い溜め息を吐き出した。


「新型の護身銃の初テストが、まさか自分の息子くんに向けてとは……」

「あら、確かに前のものよりひと回り小さくなっていますね。ふふ、今度はこれを使ってどう鍛えてあげようかしら」

 良いおもちゃを手に入れたとばかりに、女性は手にした銃をくるりと回転させながら右の口角を軽く吊り上げる。

 一方、アンフィニは自らの妻の発言に、思わず口元を引きつらせた。


「いや、そういう目的で開発したものではないんだけど……」

 妻の嬉しそうな横顔を眺めながら、銃を返すよう言えなかった男性は、心の中で弱い父ですまないと息子に謝る。



 苦しく理不尽で、そして何よりも懐かしい日々。

 当時は永遠につづくかと思われたそんな日々は、この時から一年後に突然終わりを告げることとなる。


 一人の少年の心に心的外傷トラウマを植え付ける形で。

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