第21話 正すべきもの
キスレチン南部の街道を全速力でかけ続ける者たち。
その姿は明らかに敗軍のそれではなかった。
兵士一人一人の表情に一切の動揺はなく、それどころかまるで凍りついたかのように、そこから一切の感情を読み取ることはできない。
しかしながら集団の中には例外も存在した。
部隊の実質的な指揮をとる若い男と、敗軍の指揮者であったはずの男。
もっともそんな彼らの表情は、明らかに全く異なっていたが。
「まさか総主教猊下の懐刀たちが、尽く魔法士だったとはな」
疲れた表情を浮かべたままのケティスは、溜め息とともに隣の男に向けてそう呟く。
北上を始める直前になって、ドラグーンの責任者として突然姿を現した青年。彼はその言葉を受け、敢えて軽い笑い声をあげてみせた。
「おや、ドラグーンの本質に関して、あなたはとっくにご存知だったと思っていましたが」
「そうであれば、色々と説明のつきやすいことは多々あった……が、正直それを信じたくはなかったものでな」
やや棘のある口調のまま、ケティスは隣の青年に向かいそう告げる。
途端、さらなる小馬鹿にした笑いが周囲に響いた。
「現実主義者のケティス枢機卿が、自分の見たいものだけを見られていた? はは、それこそありえないでしょう」
「ふん……で、いつの間にかドラグーンを取り仕切っている貴公は何者だ?」
南部で武装蜂起するにあたり、枢機卿から送り込まれたドラグーン達。
その指揮を取っていた男は、ランティスと名乗る壮年の武人であった。
しかしながら包囲網を突破する際より、明らかに部隊指揮は彼ではなく眼前の青年が取るようになっていた。
そう、ケティスにとって見覚えのない蒼髪の青年が。
「ああ、これは失礼を。少し野暮用にてある方の護衛をしておりましたので、ランティスに隊長職を任せておりました。総主教猊下直属であるドラグーンの長、エミオル・フレッサンドにございます」
「知らん名だな……いや、魔法士であるならば妥当だろうが」
魔法排斥を掲げるクレメア教団において、魔法士の存在を表に出すのはタブーと言えた。
だからこそ、枢機卿とは言え外様扱いの自分が知らないのもやむを得ないとケティスは考える。
しかしながらエミオルと名乗った青年は、小馬鹿にした笑みを浮かべたまま、ケティスの発言をあっさりと否定してみせた。
「冗談はやめてほしいですね。彼らはともかく、この僕は違います。魔法士などという汚らわしいものとは決して一緒にされないようご注意ください」
目の前の人物がケティスであることを知りながらも、そして魔法士の部下たちの前でありながらも、エミオルは一切躊躇することなくそう言い放つ。
それを受けて他の兵士たちにかけらも動揺が走らなかったことを受け、ケティスはそこに全ての事情を察してみせた。
「なるほど。貴様も修正者というわけか」
「ふふ、ご想像にお任せします。はぐれ修正者のケティスさん」
意味ありげな表情を浮かべながら、エミオルはそれだけを口にする。
一方、そんな彼の発言を目にして、ケティスは苦々しげな表情を浮かべた。
「私のことはどうとでも言えばいい。それよりも言外に認めたわけだな」
「だからそのあたりはご想像におまかせしますって。とりあえず、それよりも大事なことをお伝えしたく」
「大事なこと?」
「ええ。現時点をもって、貴方はこの私の指揮下に入って頂きたく……ご同意頂けますでしょうか?」
表向きは探り探りと言った口調ながらも、その表情は満面の笑みが浮かべられていた。
だからこそ、ケティスはその意味するところを彼なりに理解する。
「……それは脅しかね?」
「まさかまさか。枢機卿相手に脅しなんてとんでも無い話です。これはあくまでただのお願いですよ。もっとも従って頂けなければ、ちょっとお願いの仕方を変えなければならないでしょうが」
一切変わらぬ笑みを浮かべながら、エミオルは当たり前のようにケティスに向かってそう告げる。
途端、ケティスの口からは深い溜め息が吐き出された。
「はぁ……そういうのを脅しというのだよ。何れにせよ私は多くの信徒を失った敗北者だ。君の指示に従おう」
「それは実に素晴らしい。では、急ぐとしましょうか。ナポライには既に貴方を待つ船が到着しているはずですので」
「なんだと、もう一度言ってみろ」
「はい……キスレチンへと侵攻した我らが神聖軍は壊滅。枢機卿以下司祭は全て死亡し、そして助祭であったユダナは敵に拘束されたとのことです」
枢機卿会の中でも武闘派で知られるクレメンス枢機卿の怒声に、報告者であるトルティナ司祭は震える声で手元の報告書を読み上げていく。
途端、クレメンスの両拳がテーブルへと叩きつけられた。
「馬鹿な! 敵は後退し、首都ミラニールへ逃げ込もうとしていたのではなかったのか」
「いえ、それはどうやら奴らの擬態だった模様。敵は撤退の演技を行なった上、集合魔法を我らに向け――」
「集合魔法だと!」
次に司祭の声を遮ったのはパンポリーネ枢機卿であった。
普段は温厚なパンポリーネのその言葉に、トルティナ司祭は再び声を震わせる。
しかし彼は自らの役目を放棄することはなかった。
「は、はい。間違いなく集合魔法です。敵の集合魔法により我が軍は混乱に陥り敗北。おそらく帝国からの協力があったと思われます」
「奴らは犬猿の仲だったはずだ。それがなぜ……」
いまだに信じられないと言った表情のパンポリーネは、首を左右に振りながら弱々しい声でそう口にする。
すると、それまで沈黙を保っていた白髪の初老の男が、彼に向かってその口を開いた。
「パンポリーネ枢機卿。西方会議に帝国の皇太子が姿を現していたのはすでに聴いているはずだ。最低の結果ではあるが、驚くべきことではないだろう」
「よく落ち着いていられるな、イエール。我が軍が破れ、敵の背後に帝国の影まであるのだぞ」
「クレメンス、落ち着いてなどはいないさ」
そう口にすると、イエール枢機卿は自らの手のひらをクレメンスへと見せる。
そこでクレメンスが目にしたものは、爪が食い込み変色しているイエールの手のひらだった。
「む、むう……」
「ともあれだ、早急に次の手を打たねばならん。このままではキスレチンの奴らが余勢を駆って我が国へ乗り込んで来かねんからな」
クレメンスの沈黙を契機に、会話の主導権を取ったイエールは、枢機卿会に集う一同に向かってそう告げる。
だがそんな彼に向かい、思わぬ意見を口にする者が存在した。
そう、この枢機卿会において最年長に当たるベルクである。
「ああ。だがその前にだ、今回の戦いの責をどう取るかを考えるべきだろうて」
「そんなことを言っている場合ですか」
ベルクの言葉に、クレメンスはすぐさま反発を示す。
しかしながら逸る彼に向かい、ベルクはゆっくりと首を左右に振ってみせた。
「いや、やっている場合だ。現状ではまとまるものもまとまらん。我らが二つに割れている間はな」
「二つに……ま、まさか、やるつもりですか?」
ベルクの意味するところを理解したイエールは、思わず頬を引きつらせる。
しかしそんな彼に向かい、ベルクははっきりとその意図するところを口にした。
「今を置いて他にはないかろう。幸いなことに、猊下が懐刀まで送り込んだ南部方面軍もまとめて敗退したのだろ? ならば、その責を迫る形を取ればよかろう」
「やむを得ん……ですな」
ベルクの発言にクレメンスは苦い表情を浮かべつつも一つ頷く。
そしてそれに続くよう、その場に居合わせた枢機卿たちは次々と同意を示していった。
そうして、場の同意を得たベルクは一同を見回した後にその口を開く。
「ならば早速、銃士隊に連絡を取り、首都アンクワット全域に戒厳令を――」
「どうも、こんばんは」
場にそぐわぬあまりに明るい声。
それを耳にした者は、一斉に突然開け放たれた入り口の扉へと視線を向ける。
彼らの視線の先に存在したもの。
それは華奢な銀髪の美少年の姿であった。
「クリストファー枢機卿!? な、なぜここに」
「いえ、エレンプトでの雑事が終わりましたので、先ほど帰国したところだったのですよ。そうしたら、何やら緊急の枢機卿会が開かれているというじゃないですか」
銀髪の少年ゼス・クリストファー枢機卿は、パンポリーネ枢機卿の問いかけに対しなんでもないことのように笑いながらそう答える。
そして場の誰もがお互いの顔を見つめあい戸惑っていることを確認すると、右の口角を吊り上げながら再びその口を開いた。
「おや? もしかして枢機卿会にも関わらず、この僕が顔を出しては何か都合が悪かったのですか?」
「い、いや……そんなことはない」
「いや、問題はある」
パンポリーネと百八十度異なる回答。
それを口にしたのは、その場を立ち上がったクレメンス枢機卿であった。
「ほう、何でしょうか。お伺いしましょう」
「この国の一大事の折に、枢機卿会に断りなく他国に行っていたということ。それが問題以外の何ものでもないだろう、違うか?」
「はは、確かに。でもクレメンス枢機卿、私のエレンプト行きは総主教猊下のご許可の元ですよ」
クレメンスの追求に対し軽くほほ笑みを浮かべたまま、ゼスは堂々と自らの主張を行う。
しかしそんな彼の発言を、クレメンスはすぐに問題視した。
「猊下のご許可があることは知っている。だが他国へ向かう際は、必ず枢機卿会へ報告義務があったはずだ」
「ああ、そういえばそんなものもありましたね」
「ありましたねだと? ふざけるな。如何に猊下の推挙とは言え、貴様のような無責任なガキに枢機卿を務めることは不可能だ」
クレメンスは怒りを募らせると、右拳をテーブルに叩きつける。
空間にその音が響き渡った瞬間、場の空気は一瞬で静まり返った。
そして、まさにそのタイミングを見計らっていたかのように、最年長の老人がゆっくりとその口を開く。
「然り。申し訳ないがクリストファーくん、今回のキスレチンとの戦いへの敗北の責も合わせ、この場にて君の枢機卿解任決議を行わせてもらおうかの」
「おやおや、いくらなんでもそれは苦しいでしょう」
「ふふ、正確な罪状など後でいくらでも訂正しておこう。君が心配する必要なども無いようにな」
それはつまりお前はこの場にいる資格はないという、はっきりとした宣告であった。
一方、ゼスは軽く肩をすくめてみせると、先程まで以上に口元をいやらしく歪めてみせた。
「なるほど、結論ありきというわけですか。だとしたら、この僕も良心の呵責を覚えずにすみそうですね」
「良心の呵責だと?」
ゼスの口にした言葉の意味がわからなかったクレメンスは、眉間にしわを寄せながらそう問いかける。
それに対し、返された言葉は枢機卿たちがまったく予期せぬものであった。
「ええ。この場を持って、キスレチンとの戦いにおける責任者の処罰を執行させていただきます。どうかご容赦のほどを」
そう口にするなり、ゼスは自らの入ってきた扉を大きく開けてみせる。
途端、頭にターバンを巻き手に銃を手にした男たちが一斉に会議室内へとなだれ込んできた。
「な、ドラグーンだと……」
「ええ、残存していた部隊にご協力頂きました。あ、そうそう。ちゃんと正確な罪状は後で訂正しておきます。と言っても、この会合自体総主教猊下への叛意の表れでしょうから冤罪の心配はいりませんね。では失礼」
それだけを告げると、ゼスはそのまま部屋の外に向かい歩み出す。
途端、彼に背に向かって慌てたクレメンスの声が発せられた。
「ま、待て。こんな一方的な話があるか。話し合いだ、話し合いを求める」
精一杯のクレメンスのその主張。
それに対して返されたものは、無数の銃声であった。
激しい発砲音が響き渡り、そして一瞬の間の後に会議室から発せられる音は消失する。
ゼスがその場で生じた結果を確認することは無かった。
彼はそのまま、無人の廊下をゆっくりと歩んでいくと、虚空に向かい呟く。
「介入しすぎてはいけないという気遣いが、彼らにとっては仇となったかな。とはいえ、あるべき未来を切り開くのは彼らの役割。にも関わらず、彼らはどうしてこうも愚かなのだろうね」
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