第16話 カセルタの戦いⅠ
「ローマンさん、キスレチンの連中は捕まえられそうですか?」
逃げ続けるキスレチン南部方面軍を追い続けるクレメア教団軍。
しかし本拠地であるナポライから大きく北上してきたものの、キスレチン軍の抵抗はしぶとく、彼らは未だ決定的な損害を敵に与えられずにはいた。
「そうですな。ここまでの撤退で奴らにそれなりの損害は与えております。ですが、それでもどうにか秩序を維持しながらミラニールへ向かっている。正直申しますと、このままでは首都に逃げ込まれるかと……」
「そうですか」
前線の実働部隊の指揮をとるローマンの率直な回答に、ケティスは苦い表情を浮かべる。
すると、彼の傍に控えていたハムゼが自らの見解を示してみせた。
「ケティス様。この調子ですと首都にて、奴らと対峙する事になりそうですな」
「いえ、それはないでしょう。ミラニールの規模ではとても防衛戦は不可能。となればその直前には打って出てくるはずです。しかし……」
ケティスとしては様々な点で不可解なことだらけであった。
突然の仲間割れから始まり、陣の放棄だけではなくひたすら逃げ続けるだけの敵の行動。
もちろん元々ケティスたちがキスレチン軍を圧倒しており、勝敗が明らかとなっていたのなら考えられなくもない行動であった。
しかしながら、クラリス軍の参戦がなくとも敵はこれまでほぼ互角の戦いを続けていたのである。それが少なからぬ損害を出してまでひたすら撤退に専念することに、正直言って納得の行く理由を彼は見出すことが出来ていなかった。
「おそらくですが、ミラニールに残っている守備隊やら治安維持部隊まで全て動員し、最大限の人員で我らに立ち向かうためじゃないでしょうか」
「ハムゼさん、その可能性は確かに否定できません。ですが、その為だけにこれほど被害を出し続けているのは、どうにも理屈に合わない」
「……確かにその通りですな」
キスレチン軍も緩急や偽装反撃などを用いながら、出来る限りその損害を少なくするようこれまで行動してはいた。
しかしながら、それでもなお追撃戦故に、ここまでの道のりでほぼ一方的にクレメア教団軍だけが戦果を上げ続けてきたのである。
そのことへの違和感をハムゼも次第に感じ始めていた。
そしてそれは無骨なローマンも同様であり、彼なりに考えうる事態をその言葉にする。
「首都で政変などでも起こったのでしょうか」
「わかりません。首都ではなく何処かで決戦を挑んでくるつもりかもしれませんが……」
「首都以外ですか……あるとすれば、東街道と合流するこの先のカセルタくらいでしょうね」
ケティスの懸念を受け、ハムゼが現実的に考えうるその地名を口にする。
「カセルタには確か要塞がありましたね」
「はい。ただこれだけ我々と距離が近い状況で、そのまま要塞内に奴らが駐留するかどうかは……」
「要塞内に伏兵を用意している可能性もあるやもしれませんな」
ケティスに対するハムゼの回答を受け、ローマンは彼なりの考えを口にする。
それを一考した上で、ケティスはゆっくりとその口を開いた。
「否定はできません。ですが、奴らが何かを仕掛けてくるにしても、あらかじめ予想さえできていれば対処のしようもあるでしょう。連中の距離が近すぎれば、何ら有効な手を打てないでしょうし、遠ければ十分に対応も可能でしょうから」
「その通りですな。それに第一、キスレチン軍はそのほぼ全軍を東部戦線と我らが南部戦線に投入しています。結局のところ、残されているのは先程もお話しした守備隊や治安維持部隊くらい。おそらく規模としても知れているかと」
ハムゼがそう口にした瞬間、ケティスは突然何かの可能性に気づいたかのように、ハムゼを見つめる。
「……一つだけ確認させて下さい。最初に逃げたクラリス軍が、要塞内に駐留している可能性はありませんか?」
「彼らの動向はわかりませんので断言はできませんが、ただ喧嘩別れした相手を自軍の要塞に招き入れる理由はないかと思われます」
ケティスの問いかけに困惑しながら、ハムゼはそう答える。
するとそのタイミングで、前線から一人の騎兵が彼らの下へと駆けつけてきた。
「報告いたします。敵軍の先頭部隊は既にカセルタ要塞の脇を通り抜け、そのまま北上している模様」
「駐留はなし……か。となれば、連中は首都決戦を選んだわけですな」
その報告を受け、ハムゼは重々しく一つ頷く。
すると、ローマンはわずかに口元に笑みを浮かべ、そのまま口を開きかけた。
「となれば状況は極めてシンプルだ。このまま――」
「待って下さい、あれはなんですか?」
ケティスは前方を指差しながら、ローマンのことばを遮る。
その彼の指し示した先。
そこには砂埃を上げながら行軍を行っている膨大な数の一団が存在した。
「て、敵の伏兵……い、いや、あれはクレメア教を示す七芒星(ヘプタグラム)の旗。そんなバカな。なぜ、なぜ彼らがここに!」
「くそ、連中はまだ捉えられんのか!」
「はい。完全に出し抜かれた形で撤退された上に、地の利さえ連中にあり……」
苛立ちを隠せぬバイラム司教に対し、彼の副官はうつむき加減のままそう口にする。
するとそんな二人のやり取りを耳にしたヌルザーン枢機卿は、溜め息を一つ吐き出した。
「落ち着け、マフズン。奴らとて永遠に逃げ続けられるわけではない。結局辿り着く先は一つしか無いのだからな」
「首都ミラニールですな」
ヌルザーンの言葉に、マフズン司祭が反応する。
それに対し一つ頷くと、ヌルザーンは再びその口を開いた。
「そうだ。キスレチンがミラニールを放棄でもせん限り、奴らはあの地を守らねばならん。となれば、いずれ追いつくのは自明の理。だからここで焦る必要はない」
「そのようですな。連中はカセルタの要塞さえも無視して北上しておりました。となれば、ここから先にまとまった戦力を交わせる場所などなく、やはり首都にて決着をつけに来るつもりかと」
「ちっ、このまま要塞に逃げ込めば話が早いものを」
マフズンの見解に対し、好戦派のバイラムはやや不満そうな言葉を発する。
しかしながらそんな彼の発言に対し、マフズンは首を左右に振ってみせた。
「あの大軍が要塞を得たとて身動きが取れんだろう。妥当な判断といえるだろうな」
「二万や三万の数ならともかく、あの数なら要塞への駐留は不可能だ。まあ何れにせよ、我らは追撃するだけということだな」
やや不満そうな口調ではありながらも、眼前の要塞を占拠することにバイラムは何ら軍事的意味を見出していなかった。
そしてそれはマフズンとて同様であり、彼は冷静な口調で自らの考えを表明しかかる。
「ですな、ミラニールはもはや目と鼻の先。慌てて反転する奴らをそのまま食いちぎって――」
「枢機卿、所属不明の大量の兵士たちが前方に存在します」
慌てて彼らの下へとやってきた兵士の口から発せられたその報告。
それを耳にした瞬間、ヌルザーンの眉間には深いしわが刻まれた。
「前方だと?」
「はい、どうもキスレチン軍のようなのですが……」
そこまで口にしたところで、兵士はそれ以上は判断に余るとばかりにその口を閉じる。
一方、その報告を隣で聞いたマフズンは、悩ましげな表情を浮かべながらその口を動かした。
「……どうも我らの追いかけていた兵士たちとは違いそうですな」
「ああ。だが向かっている先は同じだ。となれば、首都決戦の為に呼び出された者たちということか」
「何れにせよ、奴らの足取りは重そうです。このまま行けば、追いつくことも可能かと」
ここのところ、敵にしてやられてばかりであったこともあり、バイラムは強い口調でヌルザーンに決断を促す。
するとヌルザーンも、ほぼ迷うことなく首を縦に振った。
「そうだな。決戦のときの敵兵は少なければ少ないほどいい。となればだ、ここで少しでも減らしておくに越したことはないか」
「お待ち下さい、枢機卿。南の方向からも、所属不明の軍が出現したとのことです」
その報告は参謀を務めている一人の助祭の口から発せられた。
途端、一同の視線は北から南へと移され、バイラムが苛立ち混じりに疑問をぶつける。
「南だと! 首都を目指す他の敵か?」
「い、いえ……それが、その南の一団はクレメア教を示す七芒星の旗が掲げられております」
「この地にいる七芒星を掲げる部隊だと……まさかケティスの連中が!?」
紋章までは確認できなかったものの、その一団の存在を目視したヌルザーンは、頬を引きつらせながらその言葉を発する。
そして同時に、バイラムの怒声がこの場に響き渡った。
「なぜ、なぜ奴らがここにいるのだ!」
その疑問と怒気を孕んだバイラムの問いかけ。
それに対し答えられる者は、この司令部の中に誰ひとりとして存在しなかった。
わずか離れたとある陣内にて一つの疑問が発せられたその時、その問いかけに答えを返すことのできる人物は、小高い丘の上に於いて頭を掻きながらその地域一帯の動きを見下ろしていた。
「ふう、ソラネントくんも無茶するなぁ」
「先生の本命はトルメニア神聖軍だったわけで、南部方面軍が無理する必要は無かったということですか?」
隣に立つかつての恩師に向かい、レイスはそう問いかける。
すると黒髪の男は、頭を掻きながら正直な感想をその口にした。
「兵数が五倍くらい違うからね。下手をすると、要塞周辺で交戦となって彼ら南部方面軍を巻き込む羽目になっていたわけだしさ……まあ予め彼には神聖軍の位置を伝えていたから、間に合う確信があったわけだろうけど」
それだけを口にすると、ユイは大きなため息を吐き出す。
一方、そんなユイをその目にしながら、レイスは苦笑交じりに言葉を口にした。
「まあ、世の中割り切れることだけでは無いということじゃないですか? 自分には誰かの命令で無茶をさせられてる上官の気持ちがわかりますし」
「はは……耳が痛い。ともかく、楽しい山登り中のエインスの方は大丈夫そうかな?」
そう口にすると、このカセルタと呼ばれる盆地を取り囲む高い山々へとその視線を向けながら、ユイはレイスに向かいそう問いかけた。
「予定の場所に到着したとつい先程報告を受けました。ただ後で覚えておいてくださいねと、報告に言葉が添えられていたようですが」
「はぁ……小さなことにこだわるとモテなくなるよってあとで言っておいてくれ」
「あの人は多少モテなくなるくらいでちょうどいいんですが……ともかく軍務大臣の気持ちは僕にもわかりますよ。何しろ無理をさせられた上に、事にあたる際にクラリス軍の最高の右手と左手抜きでやれと一方的に言われたわけですからね」
自らの師匠と、そして銀髪の魔法士のことを暗に示しながら、レイスははっきりとそう告げる。
それに対しユイは僅かに苦笑を浮かべた後、そのままこの話題を打ち切った。
「まあ苦労すればいずれいいこともあるさ。とにかくだ、目の前の彼らの動きを見るに、どうやら神聖軍が南部方面軍の尻尾に食いつきたそうだ。となれば、急いで作戦を次の段階に進めなければならない」
「エインス様達のクラリス軍はもちろん、東部方面軍もほぼ準備が整っております。もういつでも始められます」
そのレイスによる報告。
それを受けて、ユイは頭を掻きながら小さく息を吐きだす。
「それじゃあ、彼らが余計なことに気づく前に始めるとしよう。ロイスくん」
「はっ、心得ております。魔法士隊、始めるぞ」
ユイの呼びかけを受け、帝国軍の一団を預かるロイスはすぐさま行動を開始する。
そして彼らの一団は一様に精神の統一を行うと、一斉に目的とする呪文を唱えていった。
「グレンツェン・クーゲル」
「「グレンツェン・クーゲル」」
黒色の兵士たちの声が大気中にとどろき、そして彼らの頭上には熱と光を凝縮させた巨大な球体が形成されていく。
ゆっくりと確実に肥大していくその灼熱の球体。
それをその目にしながら、ユイはほんの僅かに口元を歪めると、その口から力ある言葉を発する。
「マジックコードアクセス……クラック!」
そのコードが発せられた瞬間、頭上に存在した球体は立ちどころにその性質を、そしてその役割を書き換えられた。
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